い、イマドキだー!
おじさんなので、音声入力、まだちょっと恥ずかしい。最近ようやくアレクサに声をかけられるようになったよ。
キーボード買っておいてなんだけど、効率とか言い出すとやっぱりPCがいいなって思った。笑
@yumada.bsky.social
内省と自己観察。言葉を大事に思いながら、のんびり喋る場所にしよう。
い、イマドキだー!
おじさんなので、音声入力、まだちょっと恥ずかしい。最近ようやくアレクサに声をかけられるようになったよ。
キーボード買っておいてなんだけど、効率とか言い出すとやっぱりPCがいいなって思った。笑
えー、やだー。笑
老害と言われてもいいから、まだもうちょっと、こう、タイピングすることも含めた楽しみでありたい。
変化もなるべく取り入れることを意識している。「X のことをまだ Twitter と言ってしまう」というのも、さすがにそろそろ。「イオンをまだジャスコと呼んじゃう」とほぼ同義ぐらいと思うくらい、令和にジャスコは流石にやめとこうかなって自覚しないといけない。
そんな感じで、この文章もキーボードで打っている。「家でスマホで長文を打つ必要性があるのか」と言われたら、ない。むしろ私の打鍵スピードにスマホもキーボードもついて来れていない(ラグ&認識漏れがある)のでむしろ不便である。
しかしそれでもいい。私はただスマホで無線キーボードを使ってみたいだけなのだ。無駄に。そういう好奇心を大事にしていきたい。
bluetooth接続の小さなキーボードを買ってみた。基本的に文章はPCで書くのが好きなのだけれど、どうしても仕事部屋にある都合上、片手間では触れない。であればスマホで打とうとするが、フリック入力では思考が狭まる感じがする。やはりキーボードがいい。
家を買ってからというもの、顕著に「新しい体験を取り入れていかないと」という気持ちが湧いている。それは食洗機だったり、ダイソンの掃除機だったり、「新しいもの、いいじゃん!」というのをたくさん感じたから。新しいモノやコトを取り入れることのハードルを自分で高くしないようにしたい。
なので「私の人生なんて、私が楽しんでしまえばそれでよろしい」というシンプルな考えに行き着いた。それは『嫌われる勇気』を読んだから、アドラー心理学に触れたから、というのではなく、たまたま根っこにあった価値観を、言語化・体系化された思想によって整理しやすくなった(その喜びが大きかった)のだと思う。
そう考えればこそ、冒頭の、宗教や哲学に肯定的になったという話は、「あの考え方の体系が一番価値観にマッチするので、自分はその周辺にいるんだってことにしたほうが分かりやすそうだ」という自己理解の入口だったのかなあとも。
そんな「カジュアルに哲学する」という内省は楽しいものですねえ、というお話でした。
そのような「街ですれ違うすべての人に、その人を主人公とする壮大なドラマがあり、それは世間では無数に同時進行で繰り広げられている」「世界とはその集合体である」という視点を持ってしまうと、私の人生など誰が気にしてくれるのだろうなーと明るい諦観に行き着くことは容易い。
電車に乗り合わせる人、信号待ちで視界に入る車……そのすべての人達にドラマがある。それを認めるならば、逆に「私個人の人生」の価値は、少なくとも"相対的には"無価値だなー、というのが私なりの帰結である。すれ違うその人達の人生に、私が、一切の関心を向けられていないことを理由として。
『街』というゲームがある。8人の主人公が、渋谷という街を舞台に、それぞれの視点でのドラマが進むサウンドノベル。たとえば、ある主人公のシナリオを読んでいたとき、別の主人公とすれ違いざまに肩がぶつかるシーンがある。
片方の主人公は「街で誰かとぶつかってしまったが、目的地に急ごう」と大したドラマもなく話が進む。
他方、その別の主人公のシナリオを選択して読んでいると「ぶつかった弾みで、手に持っていたデバイスを落としてしまった。どうしよう!」から壮大なドラマが始まる。
私は割と、自分のことは「私は世の中において特別でないことを自覚している点において特別である」と思っている。
自分は大したことはない、世に名を馳せられるほどの個性もない、ただの「世の中の有象無象、その他大勢のひとり」であると。けれど、『私の人生においては私は間違いなく主人公である』ということも確固たる価値観としてある。
「こんな人間が一人くらいいたところで誰も困らないし、瑣末な話だろうし、場合によっては多少面白いかもだろうよ」くらいの。ニヒリズムではないのだけど、謙遜のような傲慢さというか。自分としてはチャーミングな考え方のつもりで。
『嫌われる勇気』という書籍。アドラー心理学の教えを分かりやすく説いたものとされ、ベストセラーにもなった。自分はこの本に、将来をどうしようか迷っていた20代の半ばごろに触れ、当時はものすごく感銘を受けた。
当時は「これはなんとも素晴らしい思想だ!」と息巻きはしたが(なんとも若々しい)、今はある程度、肩肘張らずにそれが血肉となり、「まあ人によって合う合わないはあると思いますが、少なくとも私の価値観の形成には大きく影響を与えたと思いますー」くらいになっている。
そこから、哲学や宗教への抵抗は薄れ、考えることのハードルはかなり下がって、なんなら肯定的に考えるようになった。
変化の激しかった2025年を経て、2026年の展望と、理想のオンラインの未来を作るためにできることは何かについて考えてみました。
私たちの予測をいくつかご紹介します。皆さんの考えもぜひ教えてください! bsky.social/about/blog/0...
ということで、大ゴッホ展、行ってきました。芸術の難しいことはよくわからないので、とにかく「ビビッときた作品をちゃんと持ち帰る」というスタンスで。
ゴッホの作品だけじゃなく「ゴッホに影響を与えた作品」も展示されていたのが良かった。
マクシミリアン・リュスという画家の作品(下段やや左のパステル調の色彩のもの)も不思議と惹かれたなー。こういう出会い方も、面白くて、楽しいでございますな。
紅茶のエスプレッソが楽しめるお店ですって? ゴッホ展のときに奥様を連れて立ち寄ってみようかしら🫖
ティーソーダもアフォガードも美味しそう。
アッサム茶葉から抽出する濃厚な紅茶を味わって♪神戸・三宮のカフェ「UNICORN」 - ことりっぷ
co-trip.jp/article/556520 #ことりっぷ
大阪関西万博に行ったことも、再確認のきっかけになった要因かも。あんなお祭りはなかなか無いし、なんなら一度行ってしまえば生涯にわたって「行ったことがある側の人」になれる。そういうのってあとで取り返せないものねと。
日本中、世界中、味わい尽くせないほどの楽しみがあるのだから、せめて行ける範囲の場所で興味を持った催しがあれば、体験した側になっておこうと、ね〜。一期一会。
そんな訳で、肩肘張らずにいろんなことで「体験した側」になっていこうと思っている、というお話でした。
「ゴッホ、ゴッホ。もうすぐ会期が終わるって伝えなきゃ」──思いついたけど機を逃したのでここに供養します🦉
この数年、奥様からよく「美術展や観劇によく行くようになったね」と言われるようになった。それは自分も意識的に動くようにしていて、自分の中で「知識」よりも「体験」の比重が大きくなったからだと思う。究極的には(少なくとも)聴覚と視覚の情報はインターネットでいくらでも摂取できるからこそ、「直接触れないと語れないもの」をもっと持ちたくなった感じ。
ただそれも小難しい話ではなく、「小説を読む」とか「映画を見る」とかと大して変わらないぐらいの位置づけであって、取り立てて高尚なものでもないと思っていて。「一回見ておきたくない?」ぐらいのカジュアルな具合。
神戸での大ゴッホ展。会期がもうすぐ終わってしまうので駆け込みで申し込み。行かなきゃ。
grand-van-gogh.com
それくらい「食べることって、楽しみ方が無限大だな」っていうことを発見してから、食べるのが楽しくて楽しくて。今年はいろんなお取り寄せをやっていこう。そう、健康に気をつけながら。
横浜中華街の「王府井(ワンフーチン)」さんの小籠包セットはとても美味しかったです。
item.rakuten.co.jp/wangfujing/s...
あとは、本当にくだらないことだけれど、「冷凍のパスタはどのメーカーの商品が美味しいのか」だったり「近所のパン屋の食パンの味のデータベースを作って生涯最高の食パンを探してみよう」みたいなことも密かにやっている。こだわりなく全部好きであったとしても、敢えてこだわりを持つような。
こだわるくらいの知識や経験に意味があるとは思っていなくて、「なんでそんなところにこだわってるんですか。笑」っていうコミュニケーションが生まれることに価値があるよねーと思っていて。どうでもいいことに、どうでもよくない価値を持たせるのが楽しい。
きっかけは、以前に北海道に旅行にいったときにイカを食べたとき、それはもう美味しくて美味しくて。私の知っているスーパーで売っているイカとは全然別物だ!ぐらいの衝撃で。そもそもイカは苦手なほうなのだけれど、それでも「このイカは全然食べられる、むしろ好きかもしれない」と思えたのが、自分にとってはすごくカルチャーショックで。
なので、苦手な食べ物に対しても「まだ美味しい食べ方に出会えていないだけなんだ」と思うようにしていて、隙あらば「価値観がひっくり返るような味に出会えるかも知れない」という下心をずっと持つようにしている。
これまで食にはあまり興味が強いわけではなかったのだけど、ここ数年は「試してみる」というのを楽しむことを心掛けている。
「味が想像できるもののなかで美味しいを楽しむ」というのがこれまでだとしたら、最近は「新しい味に出会うために、味が想像できないものを試してみる」というような。
たとえば私は魚よりも肉が好きなのだけど、それでも「この土地の魚を食べてみたいな」だったり「このメニューなのであれば知らない体験ができるかも」みたいな気持ちに気付いたら、なるべくそれを抑えずに拾いあげるような。
それぐらい、見えてないと怖いと思っちゃうんですよねー。こと家庭においては、自分が家計を支えている、支えることを覚悟した以上、「まあなんとかなるやろー」ってのは甘えというか、無責任だなって思うので。
【「なんとかする」覚悟のある人は、「なんとかなる」なんて言葉は使わない】
というのは私の人生のモットーで。さすがにこれを人に強いるつもりはないけれど、それでもその言葉が聞こえたときには考えるところはある。というのはここだけの話。
そんなこんなで、お金のことは今年もちゃんと勉強していこう。億単位の話は、面倒だなーと思うけれど、それ以上に、親にはまだまだ長生きしてもらいたいのだから。
輪郭を得られた理由のひとつに、マイホーム購入の際にローンやら金利やらをとことん調べたというのは大きい。「なぜかはよく分からないけど機能している」というのが、性格柄、信用できないのである。我ながら面倒な気質だと思う。
「なぜそうなるのか。そうなる根拠は何か。絶対にそうならないと言えるのか」みたいなところをきちんと認識したい。原則と例外を切り分けたい。「実質」じゃなく「本質」をまず理解させて欲しい。取扱説明書は最初に読みたい。
だから人より時間はかかるけれど、「気が済む」「納得する」のラインは人より明確な気がする。
親が、終活の一環で、相続対策にと色々やってくれている模様。「持ってる土地にマンション作っておくからね」みたいな(田舎に土地があるだけで、お金持ちでは無いですのよ、念のため)。
で、マンションのローンは何億かあるけど完済前に死ぬと思うのでその後はよろしくね、と。昨年、何千万円もかけて「家を買う」というアクションを起こしたので、億単位のお金も、なんというか「ギリギリまだハンドリングできる規模だな」って感じで、輪郭は見えるようになっている感覚。億という金額の大きさに動じないメンタルは持てた、気がする。「まったくもぉ〜、雑なんだから〜」ぐらいの気持ちで臨めている。
そんなこんなで今年は、家を買って土地に根付かざるを得なくなった部分もあるので、ちゃんと地域のコミュニティにも目を向けていこうかなーと思ってみたり。
いやー、毎年思うけど、去年と同じってのが進歩してないみたいで嫌なので、毎年絶対に「なんか変わったよね」って言われる生き方をしたい所存。今年もちゃんと変われるように頑張ります。皆様どうぞ今年もよろしくお願いいたします。今年は恋敵が現れるようです。
なんというか、「人としての社会的な振る舞いや、かくあるべし」みたいなものではなく「私が選んだ場所というものは、私にとって心地よいものじゃないと!」みたいなのが原動力で。
コミュニティって本当に、ありがたいものだなあと思う。当たり前には存在しないというか、何もしなければ消えるものであり、維持してくれる人がいてこそなので、自分はせめて楽しむ側のお作法を気にしていたいなと。「コミュニティにとって価値ある存在になる」とまで言わずとも、楽しむ役割をちゃんと全うする、ぐらいのポジションで。
あけましておめでとうございます。
新年早々に食あたりで寝込み続け、良くない意味での寝正月でした。割と絶望的な体験。
食に関心がないのが原因のひとつではあるので、それは良くないんだなあ、というのを改めて感じた新年の始まりでした。妻には心配と迷惑をかけたので猛省します。。。
昨年あたりから個人的に、「コミュニティに貢献する」というのを自分なりに心掛けたつもりで、それは良い実りになったなと思う。自分がやらないときっと自然消滅するから頑張ろうとか、お世話になってる場所には賑やかしでも参加した方がいいなとか、興味を持ったお誘いには尻込みせずに参加しようとか。それは結構意識した点。
映画(アマプラ等含む)もよく見た。今年は10作品。ギンツ・ジルバロディス監督の『Away』『Flow』も印象的だったけど、一番はドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』かな。この映画のおかげで「SF作品って面白い!」と思えたし、見ていたからこそ『プロジェクト・ヘイル・メアリー』にも強い興味を持てた気がする。あと『リバー、流れないでよ』も見れたのは良かったなあ。流行を追うってことも(感想を共有できる人が多いうちに)いくらかは頑張ってみるのもいいな、と思ったり。
そんなこんなで、今年は小説や映画によく触れた一年だった(audible無料体験期間の恩恵)。楽しかったー。来年も楽しもう。
2025年内に読了した小説は全部で14冊。全部audibleだった。最近本を読むのが目が疲れるので、耳から入ってくる読書体験は本当に自分に合ってるなーと思う(出張の新幹線移動も増えたので)。
今年読んで面白かった作品は『カフネ』『同志少女よ、敵を撃て』『歌われなかった海賊へ』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』かなあ。どれもそれぞれジャンルや舞台やテーマが違うので一番を決めるには甲乙つけ難いけれど、「やっぱり小説って面白い!」と感じたのは『同志少女よ〜』だと思う。
コメントもらって「なるほど確かに〜!」と思って尋ねたら、テイクアウトもOKだったよー!ありがと〜!!良いおせちを買います🥳
22.12.2025 02:53 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0会社から「プロジェクトが表彰されたときにもらった賞金だけど、すまない、会社の都合で仕様がシビアになった。誰と使ってもいいが、食事利用のみ、各人2万円まで、12月中の利用に限って経費として精算してもよい」と言われ。
つまり私は、とにかく急いで「2万円分の外食」をしなければいけなくなった訳である。2,3回程度なら分かれても良いらしい。ただ、この時期に急に贅沢をしろと言われてもなかなかシビアである。何より私、庶民派なので、そんなお高いお店なんてレパートリーにない。
せいぜい、回転寿司で、ちょっと良いやつ頼んだり、デザートまで食べちゃうくらいしか……!
他方で、割と仕事と休みのメリハリは結構利かせられたというか、「リフレッシュしないとやってらんないよね!」みたいな部分もあって。新しいことを始めたり、新しい場所に飛び込んだりするのも、大変ではあるのだけど、これも「惰性のままってどうなんだろう」みたいな気持ちでやってみたり。そういうのも、働き方の意識の変化から来たのかなと思う。
何にせよ、生きていくためにはお金が必要で、そのためには働かねばならないわけで。それならばせめてそこに楽しみを見いだせる人間でありたいなと思うので、来年も楽しく働いていきたい所存。昇給・昇格を目指して来年もがんばっていこう。