砂糖ってドラッグじゃね?健康に悪いし。てか塩もドラッグやんけ
29.04.2024 12:16 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0@tacpongo.bsky.social
砂糖ってドラッグじゃね?健康に悪いし。てか塩もドラッグやんけ
29.04.2024 12:16 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0魂はある。データも根拠もねえよ。
12.04.2024 15:54 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0オカシラシャケ ジョーは、私に食事への関心を取り戻させてくれるきっかけになった。
11.04.2024 14:28 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0クソやろう。人生がもったいねーじゃねえか。今日も今日とて、1日の後半になったこともあって、調子を取り戻したぞ。
11.04.2024 14:25 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0結論、魂が「ある」と断言できないし、魂が「ない」とも断言できないという所に落ち着く。それでは困るのだ。私の悩み苦しみを何も解決してくれない。宗教はすぐ金の話だし、科学は「不明」「仮説」だらけで、頼りねえ。やはり、「データなんかねえよ」の状態のまま、確かじゃないけど自分が信じたいことを信じ、ふわふわと浮きながら生きていくしかないんだな。
くそ、人生の苦悩は厳しいものなのだな。まるで、真実が分からないようにわざわざ隠されているかのようだ。
よく、「ない」を証明することは悪魔の証明となってしまうので、魂がないことを証明することはできない。なんてことを聞くが、それは違うと思う。
「意識が脳内から発生している物理的な現象である」ことを証明することが、魂がないことの証明になるのだ。
だが、現代科学の現状は、「意識は恐らく脳から発生しているのではないか」という仮説の域に留まっており、そう仮定をすることで辻褄を合わせているに過ぎず、証明できるまでの段階には至っていない。
私が思うに、恐らく、現代科学の立場はこうだ。
「魂やあの世といった存在を検証する科学者もいるようだが、どれもその存在の証明を確立できるほどには至っていない。どれも仮説と検証の段階である。しかし、だからといって、存在しないと言い切れるほど、脳や意識の解明も進んでいない。つまり、どちらとも言えないので、科学の立場からコメントできることは今のところ何も無い」
データなんかねえよ と書かれた文字の後ろに、首から肩にかけて異様に太くなっている西村博之氏がおり、青空が広がっている。
そんなとき、このパワー系ひろゆきに救われるのである。「データなんかねえよ」そうだ。データが無くたって確かにそこに存在してるものがあるじゃないか。「世の中は確かなものだけで構成されている」とか「測定できないものは存在しない」とか、そういった「科学という宗教」で世界のすべてが包括できると考えるのは、私の無知故の怠慢なのかもしれない。
11.04.2024 08:53 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0と、こういうことを考えながら永遠と調べ続けてしまうのである。結果は見えている。「永遠に答えは分からない」である。たとえ魂とか運命とかが科学的に存在する可能性が示唆されようと、「どうせ金儲けのためのニセ科学だろ」と思うだろう。魂の存在を信じているにも関わらずだ。
藁にもすがるような状況のはずなのに、信頼できる藁でなきゃ絶対に掴まねえと考えているのである。苦しいなあ。
見つかったかと思えばすぐ金の話が飛んでくる。全部そう。クソ、全部金儲けのための嘘か。俺みたいに困ってるやつを利用するための方便か。やっぱり魂とかは存在しないのか。クソ。どうして、どうして信じさせてくれねえんだよ。悔しい。虚しい。悲しい。信じさせてくれよ。なあ。
11.04.2024 08:38 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0私は、「魂」や「運命」といった不思議なものが存在していると信じている。いや、「信じているのに驚くほど根拠が何も無くて虚しくて悲しくてどうしようもなくて、信じられなくなりつつある」と言ったほうが正しそうだ。
もちろん、そういうものを信じていたほうが人生は楽しいし、苦難を乗り越える際の助けになるのは間違いない。だから、損得で言えば、信じたほうが得ではあるのだ(人にお金さえ渡さなければね)
だが、私の「根拠が無いものは信じられない」という性格のせいで、納得できる根拠が見つかるまで永遠と、永遠と、調べ続けてしまうのだ。苦しい。
私は、信じるかどうかの基準を他人由来にしているような気がする。だがそれもそのはず。私は生まれてから一度も霊的な体験をしたことがないのだ。予知夢も見たことないし、死んだ祖父母に夢で会ったこともないし、祖父母が死ぬ際に、何か不思議なことが起こったこともない。すべてただの現象だった。
自分の人生の中から、「魂」とか「運命」といったものの根拠になりそうなものが何も無いのだ。私はこれをとても残念に思っている。なぜなら、私が「魂」や「運命」を信じるには、人から聞いた話を用いるしかないからだ。
でも聞いてくれ。「運命」とか「魂」とか説いている人のことを詳しく調べていくと、必ずと言っていいほど怪しいセミナーだの本の宣伝だの、つまるところ「金をくれ」という話が出てくるのだ。おいおい。勘弁してくれ。
私が真面目に記事を読んでいて「やっぱり魂とかあるのかな」と思った次の瞬間に「金くれパンチ」が飛んできて、どん底へ突き落とされるのだ。しかもそれが結構高額なもんだから、冷静にドン引きしてしまうのだ。「ああ、やっぱり魂とか運命という言葉は金儲けのために作られた幻想で、本当は存在しないんだ」と思ってしまうのだ。
私には幸運にもすべてを分かりあえる大事な人がいる。その人を失いたくないのだ。魂になっても、どんな形になっても、永遠に一緒にいたいのだ。傲慢だろう。だが事実だ。
もちろん、宗教家や、そうでない一般人でも、「永遠の繋がり」を説いてくれている人は大勢いる。数え切れないほどいる。だが、信じられないのである。そう、敵は自分自身なのである。私が、私に「魂だの不思議な力だの、そんなもんあるわけ無いだろ」と言ってくるので、本当は信じたい「運命」や「魂」といったものを信じられずにいて、それが苦しみを招いているのである。
今から素直な気持ちを書いていこうと思う
11.04.2024 08:11 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0あるいは、午前中は悪魔に取り憑かれているが、その日の終りには必ず私の元から去る。という例え方もある。
11.04.2024 08:11 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0だが一方で、どれほど調子を悪くしていても、1日の後半、特に就寝前の数時間は必ず調子を取り戻していて、むしろやる気に満ちているのだ。不可解だ。1日の中で違う人間になってるかのようだ。
11.04.2024 08:09 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0たまらなく死が怖え。
胃が掴まれているかのようで、食が通らねえ。味もあんまり感じねえ。しょうがねえから横になってるしかねえ。仮眠を取っている間は意識が低迷しており何も考えずに済んでるので割と楽だったりする。
日々違うことを考えながら調子を崩しているのだが、この不調に共通していることが一つ。死にたいと思ったことはないということである。むしろ絶対に死にたくないと思っている。
11.04.2024 08:05 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0今日は生きていることが不思議でしょうがなく、気味が悪く、自分が見ている映像は何なんだ?なぜ生きているんだ?と考えてしまい、苦しい。
11.04.2024 08:04 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0どう調子を悪くしているかというと、
・死の恐れ
・確かなものなんてあるのか?という不安(ないのは分かってる)
・大事な人の死が起きてしまうのではないかという妄想と、起きてしまったら絶対乗り越えられねえという自信の無さ
・一方で、そんな自分のことを「異常事態だ」と冷静に見れている
4月に入ってから寝起きが調子が悪く、それが8時間ほど続き、後半〜寝る前に調子を取り戻すという状態が続いている。
11.04.2024 08:00 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0う、うごけねえ
11.04.2024 07:57 — 👍 3 🔁 0 💬 0 📌 0