私がますます学びたいのは、何ごとにつけ必然的なものを、美しいものとして見てとることである。──かくして私は、何ごとも美しくする人たちの一人となる。運命愛、それがこれからは、私の愛であれ。
醜いものに戦いを挑むのはやめよう。告発するのはやめよう。告発者を告発するのも絶対やめよう。"目をそむけること"、それが私の唯一の否定であれ。総括して言えば、いつの日か私は、然りを言う者にひたすらなりたいのだ。
(ニーチェ『愉しい学問』276番)
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私がますます学びたいのは、何ごとにつけ必然的なものを、美しいものとして見てとることである。──かくして私は、何ごとも美しくする人たちの一人となる。運命愛、それがこれからは、私の愛であれ。
醜いものに戦いを挑むのはやめよう。告発するのはやめよう。告発者を告発するのも絶対やめよう。"目をそむけること"、それが私の唯一の否定であれ。総括して言えば、いつの日か私は、然りを言う者にひたすらなりたいのだ。
(ニーチェ『愉しい学問』276番)
君の時代の好む趣向をさげすみ、
その目標に
民衆の浅薄な苦しみに
ひややかな唇をもって罰を加えよ。
誇り高く
君とならびたつものなしと思え
君の心と行いをわかち……
君の終焉にはただ忘却こそあれ
君の生命は君のみのためにあり、
君の日々が万人の賞讃によって汚されぬために。
(シュペングラー)
学者の愛はわざとらしいものであり、学者の憎しみは作りものであり、力技であり、ささやかな虚栄であり、誇張である。学者は客観的でありうるところだけで、本物なのである。学者はその朗らかな〈全体的な見方〉を維持できるときだけ「自然」であり、「自然らしい」のである。
つねにみずからを磨きあげ、鏡のようにものを映しだす学者の魂はもはや肯定することも、否定することも知らない。命令することも、破壊することもない。
(ニーチェ『善悪の彼岸』207)
午後に少し昼寝をして、ふと目をさますと、まだ夢うつつの状態だったが、母が何気なく、バルコニーから下に向かって、「何をしているの?」と尋ねるのが聞こえた。誰か女性が庭から見えた。「緑の中で、おやつを食べているの」
このときぼくは驚嘆した。人々が生きるすべを心得ている、そのあぶなげのなさに。
(カフカ マックス・ブロートへの手紙 1904.8.29)
現代の最高の実力からしてのみ、私たちは過去のものを解釈することを許される。君たちが持っている一番高貴な特性を最強度に張りつめた場合にだけ、過去において何が知るに値し、保存するに値し、偉大であるかを、君たちは推し測るだろう。
等しきものは等しきものによってだ! そうでないと、君たちは過去のものを君たちのところにまで引きさげることになる。もっとも稀有な精神らの頭脳から飛び出したものでないような歴史記述を信じてはいけない。
(ニーチェ『生に対する歴史の利害について』6)
ぼくの手紙は譲歩していないように見える。しかしそれはただ、ぼくが、譲歩することを恥じ、無責任だと思い、怖れたからで、譲歩したくなかったからでは決してない。それどころか、譲歩することしか望んでいなかった。
(カフカ 日記 1914.10.15)
永遠はきみに向かって、そしてこれらの幾百万、幾千万の人間のひとりひとりに向かって、ただ一つ、次のように尋ねるのだ、きみは絶望して生きてきたかどうか、きみはきみが絶望していたことを知らなかったような絶望の仕方をしていたのか、それとも、きみはこの病を、責めさいなむ秘密として、
あたかも罪深い愛の果実をきみの胸のなかに隠すように、きみの心の奥底に隠し持っていたような絶望の仕方をしていたのか、それともまた、きみは、他の人々の恐怖でありながら、実は絶望のうちに荒れ狂っていたというような絶望の仕方をしていたのか、と。
(キルケゴール『死に至る病』)
反逆する大衆は、宗教や認識についてのあらゆる能力を失ってしまった。彼らの頭の中には政治しか、それも軌道をはずれ、狂乱し、われを忘れた政治しかない。というのは、それは認識、宗教心、知恵──要するにその実質からして人間精神の中心を占めるにふさわしい唯一のもの──に
取って代わろうとする政治である。政治は人間から、孤独や内面性を奪ってしまう。それゆえ全面的政治主義の宣教は、人間を社会化するために使われる技術のうちの一つなのだ。
(オルテガ『大衆の反逆』フランス人のためのプロローグ)
だが、悩む友がいるならば、彼の安息の場所になるがいい。ただし、言うなれば堅い寝床に、野営用のそれに。それがもっとも彼の役に立つ。
そして友が君に酷いことをしたら、こう言うがいい。「君がわたしにしたことは許す。だが、君が"君に"したことを、わたしがどうやって許せるというのか」。
すべての大きな愛はこのように語る。こうして許しも同情も超えるのだ。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第2部 同情する者たちについて)
「なんだってあなたは、なんだってあなたはご自分に対して、そんなことをなすったんです!」と絶望したように彼女は叫んだ。
(ドストエフスキー『罪と罰』)
64-64達成みたいになってる気がした
01.01.2025 07:21 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0哲学者の「カント」だけを拾ってくるフィード、なかなか難しい
「カントリー」とかを除外する、みたいなのはできるけど、なんかどうやら「カント」っていうアニメかゲームかのキャラがいるらしくて、そいつはどうやっても避けることができない
ニーチェは本当にガチの敬虔なキリスト教徒のことはむしろ尊敬していたと思う
08.12.2024 03:31 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0ニーチェは高貴な人なんすよね
02.12.2024 06:29 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0僕の好きなウィトゲンシュタインの名言「ケツより高くクソしようとするな」
01.12.2024 13:11 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0逆に、いま「知識による世界の修正」を信じていない人ってほぼいない気がする
というかそんなこと言おうものなら品性を疑われる気がする
できれば原著者、そのテーマの創設者・発見者の書いたものを読みなさい。少なくともその分野で高い評価を得た大家の本を読みなさい。その内容を抜き書きした解説書を買うよりも、そのもとの本を、古書を買いなさい。誰かが発見したことに新しく付け加えるのがたやすいことは、いうまでもない。
だからこそ、じっくり考え抜いた根拠に基づいて新たに付け加えられた事柄に精通してゆかねばならない。ここでも「新しいものがよいものであることは稀だ。よいものが新しいのは、ほんの束の間だから」という原則がおおむねあてはまる。
(ショーペンハウアー『著述と文体について』2)
神は生きておられると思います
30.11.2024 23:18 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0苦痛の明晰さには、何か魂に有益なものがある。どんな思想も、またどんな感覚も、烈しい苦痛ほどの明断さに達することはできない。よかれあしかれ、それは世界を直視させる。
あとになって思うと、節子はこれほどの苦痛に耐える力を、徐々に育てていたわけであるが、こんな苦痛により、
又それに耐えることにより、節子は自分の久しい悩みの凡庸な性格を払拭して、非凡な女になったのだった。おそろしい苦痛にさいなまれながら、声一つ立てなかった。そこで女医は、用意した吸入麻酔の使用も控えてしまった。
(三島由紀夫『美徳のよろめき』第18節)
神は生きておられると思います
29.11.2024 14:57 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0人格主義の極右って意味ではニーチェとカントは似てると思いました
28.11.2024 03:24 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0ここ好き
『宴のあと』は普通にめっちゃ面白かった
この歌詞私のことだ
28.11.2024 01:30 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0グールド
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シュペングラー
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ウィトゲンシュタイン
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三島由紀夫
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太宰治
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カント
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ゲーテ
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キルケゴール
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ショーペンハウアー
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なんか魔が差してフィードを作りまくってしまった
27.11.2024 12:29 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0「ウィトゲンシュタイン」or「ヴィトゲンシュタイン」を含む投稿を新しい順に表示するフィードを作ってみた
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ゲイと男色は違うっていう知見を得た
27.11.2024 03:28 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0「愛の対象を選ぶ」ってことがなんかそもそも偽善的な気がする
27.11.2024 03:27 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0ぐるりのひとびとは、しじゅう、自分が幸福なのだろうか、これでも陽気なのか、という疑問になやみつづけている。疑問という事実がもっともたしかなものであるように、これが幸福の、正当なあり方だ。然るに陵太郎ひとりは、『陽気なのだ』と定義づけ、確信のなかに自分をおいている。こうした順序で、
ひとびとのこころは、彼のいわゆる『確かな陽気さ』のほうへ傾いてゆく。とうとう仄かではあるが真実であったものが、勁くして偽りの機械のなかにとじこめられる。機械は力づよく動きだす。そうしてひとびとは自分が『自己偽瞞の部屋』のなかにいるのに気附かない。
(三島由紀夫『仮面の告白』第3章)
Bluesky、ブックマーク機能があったらいいなと思う
06.11.2024 11:49 — 👍 0 🔁 1 💬 0 📌 0