始末書 この度、私××××は、下記の通り就業規則に違反する行為を犯し、皆様に多大なるご迷惑をおかけしました。当該行為について、深く反省し、心からお詫び申し上げます。 【日時】 ××年××月××日 【場所】 東京都××区××ビル B2階安置所 【不始末・不祥事等の内容及び原因】 私は、××月××日勤務中に発生した出来事について、他言無用と言い渡されていたにも関わらず、家族に漏らしてしまいました。これは、みなみちゃんに知られかねない、危険な行為でした。 【再発防止策】 二度と同じ過ちを犯さないために、家族は消すことにしました。家族を消すにあたり、ご協力いただいた皆様には、感謝申し上げます。
あなたはあなたを見下ろした。横転した自動車を目にするのは初めての経験だった。物珍しげに眺めたあと、下敷きになっている人物の正体に気づく。あなたは首を傾げた。それから、あなたはあなたではなくなった。 あなたはあなたを見下ろした。急いでいる最中だったから、行手を阻まれたことを苦々しく思った。腕時計を見る。商談まで残り一時間と三十分。舌打ちする。あなたは侮蔑の念を込め、路上の物体を一瞥した。どうせ死ぬなら誰の迷惑にもならないところで死んでくれ。あなたの苛立ちをよそに、今日も空は真っ青な快晴だ。 あなたはあなたを見下ろした。何も思わなかった。羽を広げ、餌の散らばる地上へ降り立つ。撒き散らされたポップコーンは血が付着していた。何も思わなかった。紺色の制服を着た男がやってきて、あなたを追い払う。ポップコーンの周りには三角コーンが置かれ、あなたは餌に近寄れなくなってしまった。あなたは苛立ちもせず悲しみもせず、うろうろ、うろうろ、そばで彷徨った。うろうろ、うろうろ。 あなたは再び腕時計に目をやった。飽きもせず路上の光景を眺め、またうろうろ、うろうろ。ポップコーンの破片を啄み、これは誰だろうと首を傾げ、そして舌打ちする。赤子をあやし、期末テストの話題で盛り上がり、スマホを熱心に眺める。耳にはめたイヤフォンからは流行りのポップソングが流れている。排水溝から顔を出し、自動車の下敷きになった物体の横を素早く駆け抜けた。別の排水溝へ潜り込む。信号は青になり、アクセルを踏み込む。あなたは。あなたは。 ただ横断歩道を歩いただけだった。 広がる血液は排水溝へ滴り落ち、うごめく。あなたの血液に潜んでいた限りなく水に近い、しかし水ではないソレ。あなたはあなた以外になることを覚える。あなたはあなただ。だは、あなたはあなたでいたくない。ずっとそう願っていたはずだ。あなた以外の誰かもそう願っていた。よって、あなたがあなた以外となることであなたになるあなた以外の誰かにとっても、あなたは歓迎すべき事象だ。 あなたは歩む。 滴り、広がり続ける。 ゆるやかに。きわやかに。 あなたはそしてあなたを求む者たちと出会う。あなたはそのたびにあなたを分け与えてやる。あなたはもはやあなたではない。"あなたたち"だ。あなたたちの歩みは止まらない。あなたたちの使命を果たすまで。あなたたちの希う、祝祭の日まで。 そうそれはすべてがあなたとなる日。 あなたがすくう。あなたが満たす。あなたが溶かす。苦しみ喘ぐ民を解放する。決して癒えることのない渇きから。決して逃れることのできない輪廻から。あなたが全てを包み、覆い隠し、永遠の解放を。終わることのない宴を、今。 この地上に! 「可哀想に。まだ若いでしょう」 安置所であなたの体を見下ろす若い男が言った。手元の紙に何か書き込んでいる。あなたは首を傾げ、戻した。「まさか」男が振り向いた。「先輩?」あなたの言葉を不審に思ったようだった。 あなたは首を傾げ、戻した。 あなたは首を傾げ、戻した。 あなたは首を傾げ、 「可哀想なものか。これは喜劇だよ」 男も首を傾げた。 二人で首を傾げ、戻した。 首を傾げ、戻した。 鏡写しのように笑い合った。 「みなみちゃんには言わなければ良いだけだ」
061『始末書』
04.11.2025 03:11 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0