マイソフ(Xではmaisov_J)'s Avatar

マイソフ(Xではmaisov_J)

@maisovj.bsky.social

『士官稼業』『なにわの総統一代記』ほか。 ミリタリ創作・NFはhttps://mypage.syosetu.com/1312005/ ミリタリ同人本はhttps://maisov.booth.pm/ 個人サイト(ミリタリ・同人出版・艦これ記事など、1998年開設のHPを継承)https://seesaawiki.jp/maisov/

49 Followers  |  62 Following  |  103 Posts  |  Joined: 07.02.2024  |  1.8471

Latest posts by maisovj.bsky.social on Bluesky

まあ、新古典派的な(市場メカニズムに基本的なメリットを認める)経済学がここ何十年か成果を示せていないということだろう。トランプを気に入らない人も、トランプが当選してしまう広範な不満がアメリカにあって、似たような気分が世界のどこにでもあることは認めざるを得ない。それはグローバリゼーションで損をした、世の中が生きにくくなったと感じている人々の気分である。一般的な処方箋を書けないから、ノーベル経済学賞が「百年後に先駆者と言われるかもしれない人々」にばらけている。

27.12.2024 14:20 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0
Video thumbnail

Cat chooses you..🐈🐾🧒😍

04.12.2024 07:23 — 👍 414    🔁 36    💬 1    📌 1

「投票日直前までまったく勝算がなかったので事前収賄が成立しない」という論点も追加。

27.11.2024 21:29 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

本業として行っている業務を無償で提供したら、それは賄賂と認定できるか。そこが攻防の焦点か。現場写真に写り込みすぎているので提供してないとは言いづらい。県の事業を受けているなら事前贈賄になってしまうところも争いづらい。

26.11.2024 07:33 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

トートはシュペーアに負けず劣らず、停滞し始めていた弾薬生産を食い止め増進するため盛んにヒトラーから直接指示を引き出した。しかしそれはレーダーやゲーリングもやっていることだった。だから軍需の分野でシュペーアの覇権が確立したというのは、その裏返しとして、ゲーリングが戦況悪化を食い止められずヒトラーの寵を失ったということなのである。

24.11.2024 06:06 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

現代で言う地方自治体の職分はガウライターなど党組織が担っていたから、国民に戦局悪果を意識させる諸措置に党組織は抵抗したし、その「古き良きゲルマン家庭幻想」から女性の動員にも反対した。陸軍の一部にも女性動員は故郷からの手紙を通じ兵士の士気を下げると懸念もあった。捕虜や外国人労働者は農業などで広範に使われていたが、食料と受入施設の問題もあり、サボタージュの懸念もあって、政治的エネルギーをつぎ込まないと軍需産業への導入は進まなかった。こうして1941/42年冬まで、軍需生産にまつわる様々なことが先送りされ、不徹底なままだった。

24.11.2024 06:03 — 👍 1    🔁 0    💬 1    📌 0

フロムと予備軍の手配りで、1941/42年冬に冬物衣料は相当に用意されていた。ただしそれは、ソヴィエトに勝った後で配置される占領部隊の規模に見合っていて、東部戦線の兵士全員分があるわけではなかった。
「独ソ戦は3か月で勝つ」というのはヒトラーの夢想とフランス戦完勝に酔った軍首脳の過度の楽観が、そうでも仮定しないと辻褄が合わない各種補充状況と合わさって、軍と政府全体で共有された幻想であって、12月にソヴィエトの反攻が始まるまで様々な残滓があった。

24.11.2024 05:57 — 👍 3    🔁 2    💬 1    📌 0

そして英仏が宣戦してきた。ヒトラーもいくらか動揺したと伝えられる。陸海空三軍いずれも、このタイミングで英仏との戦争はないと踏んでいた。9月のうちに第5波歩兵師団の動員が始まり、1940年5月まで懸命に兵員抽出(もちろん1920年生まれ組は前年夏~秋からRADに召集されて基礎訓練と西方防壁づくりをやり、冬から入営している)が続いたが、今度は装備がない。そんな軍拡の用意はないからあらゆる装備がない。ついでに合理的配分をしようにも労働統計がない。

20.11.2024 23:33 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

Aufstellungswelleの第4波までは文字通りの波てあって、召集者が鉄道で動くから、タイミングをいくらかずらすよう配慮されていた。予備役を中心とする特設師団が第2波。各歩兵師団等に間借りするように置かれていた、徴兵制施行以前に20才になった白の世代を訓練する(Erganzung)部隊を中心とするのが第4波。間に挟まる第3波は軍管区の諸部隊を核として、つまり元のチームがない白紙状態から組まれた師団で、最も戦闘力の評価は低かった。

20.11.2024 23:28 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

1938年のチェコ危機などでも予備役の動員は行われているし、そうしたときに特設師団を作るための師団司令部チームカッコカリみたいなものは常設されていた。当然、「有事のために平時から計画される」どことモメるかを特定しない動員計画があるのであり、攻める計画があるときは、そうした動員計画や輸送計画とすり合わせが行われたはずである。そうした意味で、よく言及される「第1波~第4波」の歩兵師団動員はポーランドで戦争をするための計画であって、英仏とガチでやり合うことは想定していなかった。

20.11.2024 23:13 — 👍 2    🔁 1    💬 1    📌 0

『電撃戦という幻』で描かれたように、陸軍将官たちは1939年の英仏との開戦に驚き、憂い、直ちに講和すべきだと(ライヒェナウすら)口をそろえたのだが、そのニュアンスは「まだ早い」であった。徴兵制を復活させ、長期の訓練を課した世代は1914年生まれ組以降であり、予備役の層が狭いからである。まして1914年組以降の数年間は、出生数が大戦により激減した世代であった。1923年のフランス・ベルギーによるルール占領では、のちにヒトラー暗殺計画に関与したシュテュルプナーゲルが激高し、フランスとの(将来の)戦争を口にしたという挿話がある。

19.11.2024 21:47 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

陸軍は西方防壁を非常に長期をかけて建設する計画を立てた。すでにヒトラーは、ホスバッハ覚書で知られる1937年11月5日の演説で、自分たちNSDAP指導者が高齢にならないうちに、英仏と開戦のリスクを冒してオーストリア併合などの問題を処理すると宣言していたが、陸軍はこれを無視したことになる。

19.11.2024 21:39 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

ヴィルヘルム・アダム上級大将は、(当時は別の名前だったが)陸軍参謀総長としてベックの前任者である。参謀総長退任後も1938年11月まで要職にいた。ヒトラーとの対立点の一つとして、西方防壁の建設計画を巡る姿勢が指摘されている。

19.11.2024 21:35 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

次回作『ドイツの補給(2)』は読むべき資料があまりに多くあと1年では済みそうにないが、逆に言うと「需要がなさそうで捨てること確定」な断片かある。その辺を流しておきたい。

19.11.2024 21:23 — 👍 3    🔁 0    💬 1    📌 0

昔、ある情報サイトの管理者が不本意にも離婚した。その失意が契機となって彼はある種の中毒になり、小康を得て世間に戻ってきたときには、彼のサイトがあったジオシティーズが丸ごとなくなっていた。彼のサイトは今も再建されておらず、どこまで信用していいかわからない、かなり危険な広告の出る魚拓がいくらか残されている。

15.11.2024 22:47 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

過去のあらゆるWebサービスの経験に照らせば、長文ポストが可能であると言っても、ブルスカへのポストもまた情報としてはいつか消えるのである。それが運営元の何らかの意味での滅亡によるものか、外部で起きたことの副次的結果であるかは予測できないが。

15.11.2024 20:54 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

色々ある問題は色々あるに決まっている。方向性があるならそれへの賛否はあるとしても、それに至らない議論に外から入っていく気にはなれない。

15.11.2024 20:22 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0
Preview
Blueskyに「アカウントを一時的に休止して投稿を非公開にする機能」「DMでポストを共有する機能」などが追加される Blueskyに「アカウントを一時的に休止する機能」が追加されました。アカウントを休止すると自分の投稿を非公開にできるほか、アカウントを検索に引っかからないようにすることもできます。同時に、DMでポストを共有する機能も追加されたので、実際に各機能を使ってみました。

”Blueskyに「アカウントを一時的に休止する機能」が追加されました。アカウントを休止すると自分の投稿を非公開にできるほか、アカウントを検索に引っかからないようにすることもできます”
あと絵描きさんだと偽物対応でアカウントを作っておくけど運用は今のところしない。という人も居ると思うのでこういう方法もあるみたいという情報です!

gigazine.net/news/2024060...

19.10.2024 02:44 — 👍 42    🔁 42    💬 0    📌 0

ブロックされていても、捨て垢を使ってユーザ検索で読めば読めるし、リストじゃないから通知も出ない。鍵垢じゃない人にとってブロックは「時間稼ぎ」でしかなかったのは確か。だからといって廃止するほどのことかとは思うが。

17.10.2024 18:17 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

いまは数年おきに大学基準協会などの評価機関からカリキュラム全体、さらに個別の科目について内容を審査され、評価が公表される。評価基準とともに答案現物の提出を求められることも珍しくない。それに堪えられる軍事史・軍事学しか大学のカリキュラムに存在することはできない。
もうひとつ、近年の(入試が易しくなった)大学について回るのが、初年次教育である。例えば、1年次向け基礎科目「歴史学」を担当できない教員が史学科にいると、他の教員のお荷物になってしまう。さて、論文が軍事史ばかりの教員はポストを得られるであろうか。もちろん内容次第であり、軍事史はますます「広義」になる。

04.05.2024 02:55 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

Rudolf Absolonでググると出るので書名は省略。ドイツ語版だけWikipedia項目もある。
話を戻して、軍事史・軍事学とは何かを考えるとき避けて通れないのが「大学講座・大学教員としての要件」である。例えば講義担当者には非常勤であっても、オリジナルの論文を中心とした業績審査がある。それを満たさないスピーカーが話すときは、専任教員か業績審査済の講師が立ち会う。もちろん実践的な内容の科目を社会人実務家が担当するときは、社会人経験を自己紹介文にまとめてもらって履歴書とともに審査することもあるが、それでは「特殊講義・地雷処理概論」などが爆誕してしまう。

04.05.2024 02:47 — 👍 1    🔁 0    💬 1    📌 0

その増補版が1995年までかかって6巻組で出たのが、この分野のどう見ても金字塔である。ただそれは「研究として堅いソースで、かつ思想的な批判を受けずに語れるところ」を選り好みしてやったとも言えて、「広義の軍事史」であると同時に、「一部しかミリヲタの役に立たない知識の大海」でもある。日本でいうと「海軍制度沿革」みたいなものか。給与規定の細かいところを知っていても模型に色は塗れない。

04.05.2024 02:38 — 👍 2    🔁 1    💬 1    📌 0

それと並行するように、史学の方法論でコツコツ研究した著作もあった。Rudolf Absolonは工兵曹長だったが30代でブンデスアルキーフに再就職し、1960年にドイツ兵制史(1935-1945)の本を出した。参照文献欄に26.6.1936.(RGBl. I S.518とか書いてあって全く読めないが、これは1936年法令官報(Reichsgesetzblatt)第I部518頁。同様に国防省令官報(Heeresverordnungsblatt、HVBl.)もあるらしい。

04.05.2024 02:31 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

1970年代までに出た編成・生産・装備の本は、(元・現)ドイツ軍人が書いているものも多かった。「ソースは俺」みたいな調子で、出典が他人に確認できるほど書いてない。
Die gepanzerten und motorisierten deutschen Grossverbände (Divisionen und selbständige Brigaden) 1935 - 1945のRolf Stovesは「誰それ」だったけど、1980年代に米軍主催のシンポジウムに招かれていた。戦車兵で西ドイツ軍少将だった。

04.05.2024 02:25 — 👍 2    🔁 0    💬 1    📌 0
Post image 08.02.2024 12:19 — 👍 2144    🔁 719    💬 12    📌 12

ルーデンドルフたちは次第に政治家たちの圧迫に成功し、1917年3月には無制限潜水艦作戦を開始させた。イギリスの後を追うように、前年秋から弾薬などの増産に向けた措置も進んでいた。

18.04.2024 05:00 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

ドイツでも弾薬と兵員の劣勢が意識され、1916年9月から後のヒンデンブルク線(ジークフリート線)へ撤退する戦線整理が始まり、冬のあいだ続いた。これは尾根の逆斜面まで後退し、英仏軍が尾根に頭を出したら火力を集めやすくし、こちらの様子は探りにくくするものであった。こちらの前線陣地がいくらか取られても、英仏軍が見えない場所の砲撃手配に苦慮する間に取り返しやすくなるはずであった。

18.04.2024 04:57 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

1916/17年冬に戦場が相対的に平穏になると、戦線の両側で次の春をにらんだ政変が起きた。まずロイド=ジョージがすでに協力関係にあった保守党と結び、アスキスを圧迫して首相を譲らせた。ロイド=ジョージは「国民にアピールできる勝利」を軍部に要求したからヘイグやロバートソンとの対立はむしろ増した。しかしロイド=ジョージが乱暴に活を入れた軍需産業は、ドイツをはっきり弾薬などで凌駕し始めていた。

15.04.2024 00:57 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

委任戦術の歴史は古いが、古い操典の表現だと委任する範囲は士官までであって、ドライゼ銃が普及した19世紀半ばを過ぎても、大演習で大隊長が一斉突撃を命じて中隊長の裁量を殺してしまうことがよくあった。突撃隊戦術は兵士ひとりひとりに作戦目標を理解させ、臨機に最善の行動を考えさせるもので、伝統と隔絶していた。「兵と下士官と士官が腹を合わせる」のはイギリス軍が最も苦手とするところである。

15.04.2024 00:40 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

浸透戦術はフランス軍の言葉だから、フランスにとって最も手ごわい1918年の姿でイメージされやすい。だがその構成要素は、それこそ日露戦争に現れていたもの(手榴弾など)もある半面、短機関銃は1918年に限られ、その時点でできる限りの火力増強が図られた。だから次の大戦で、そこに戦車がすんなりはまったのである。

15.04.2024 00:33 — 👍 0    🔁 0    💬 1    📌 0

@maisovj is following 20 prominent accounts