その日を境に、学校では誰もわたしに寄りつかなくなった。でも自分は正しいという確信があったから、悲しくなんかなかった。(中略)
「選ばれしものは孤独なんだよ 」母は言った。
『オレンジだけが果物じゃない』ジャネット・ウィンターソン 岸本佐知子訳
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読書など
その日を境に、学校では誰もわたしに寄りつかなくなった。でも自分は正しいという確信があったから、悲しくなんかなかった。(中略)
「選ばれしものは孤独なんだよ 」母は言った。
『オレンジだけが果物じゃない』ジャネット・ウィンターソン 岸本佐知子訳
すぐに収まるよ。ほら、ぼくたちからだを寄せあってる。ぼくが息するのが聞こえるだろう。カブトムシが葉っぱをかついでいるのも見えるだろう。あっちへ走りこっちへ走りするから、それを見ていれば、何かを(いまはルイだ)なにがなんでも独占したい、というきみの気持ちも、きっとゆらぐ。ブナの葉のあいだにちらつく日の光みたいにね。そのうちきみの心の奥深くで暗くうごめくことばが、このハンカチにねじこまれた固い塊をほどいてくれるよ」
ヴァージニア・ウルフ 『波』 森山恵訳
水上正餐
ここは詩人の死ぬ港ゆゑ一ひらの花と焔が残しおかれき
塚本邦雄
風邪をひいている。
13.11.2024 23:18 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0敵は社会であること、自分を責めないこと、負い目をつくらないこと、こう生きるべきだとは考えないこと、ほめられないようにふるまうこと、アイデンティティを植え付けられないこと、頭を緑にすること、光を浴びること、雲であること、虹の根となるような場所で涙を流すこと、
野村喜和夫『骨なしオデュッセイア』
121頁
そういう意味では、私はまさに骨がなかった、気骨がなかった、反骨もなかった、比喩的な意味での骨がなかった、女のところに背骨を置いてきてしまったらしい私のこの無脊椎的夢遊も、つまるところ、骨のない私の生き様への寓意にすぎない?野村喜和夫『骨なしオデュッセイア』
97-98頁
目を覚ませ、もう正午だ、幸福は朝の時間に似ている、どちらも絶対的なみずみずしそのうちにあり、それと一瞬交錯する眩暈を生きることはできても、それを固定したり、持続させたりすることはできない、目を覚ませ、もう正午だ、あまねく白けた光の支配を、おまえは死ぬまで受けなければならない
野村喜和夫『骨なしオデュッセイア』
79頁
「絵で人形を描いていたときは、横顔を描くと横顔だけ出来るでしょう。でも、粘土で人形の鼻を作るとき、手でつまんで鼻の片側の形を整える。そして人形を正面に向けると、まだ作ってもいないもう片側の鼻の形も出来上がっているんです。あれ、そんな顔だったの、というふうに。それが面白くて、いくつもどんどん出来ていったんです。油絵の世界から人形たちを解放させてやりたかった」佐々木幹郎『人形記』
06.03.2024 15:02 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0去年行った骨董市の最後にずらっと人形の本がならんでいてそこから一冊買った佐々木幹郎『人形記』を今さらすこしずつ読み、すごくいい。テーマは共通して人形なのに各章が独立しているのは各々の作り手が語り得ないモノとひとつも目移りなく対話し続けているからなのだろう。言葉なき対話でのみ得られる独自の言語。
06.03.2024 15:01 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0小説は至ることができるいっぽう、たとえるなら短歌は額縁だろう。
03.03.2024 11:36 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0仕事の環境が変わり、疲れてしまった。
03.03.2024 11:30 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0「表面がこのひとの素肌。人間は着物のなかが素肌だけど、人形は着物を含めてすべてが素肌。恥ずかしいんだけど、この人には。それを恥ずかしくないように、作る人が考えてやらないと。表面が素肌。これが人形のボキャブラリー。ここで、言い切らないと」
21.02.2024 05:44 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0「人形は魂を入れてくれないですよ。そもそも、人形には魂がないんだもの。入れようとすると、人形は逆らってきます。逆らって、動きませんよ。」「作者がどんなに気持ちを込めても、人形はどんどん逆らってきて、できあがると違うものになっている。人形に自分の気持を素直に入れるなんて、人形作りというのはそんな簡単なもんじゃないです」
21.02.2024 05:42 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0
喋らない、息をしない、聞こえない、眼が見えない、すべてない世界で嘘をついているのが人形ですからね。人間と逆転しているそんな世界に、意志を持たせようとするのが人形の世界ですから。 『人形記 人の世の夢の宴』佐々木幹郎
春一番みたい。夜が広くて気持ちいい。
19.02.2024 16:42 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0天狗屋久吉は、十六歳のときから七十年間、人形を掘り続けてきた人である。結婚してからも、同じ家の同じ場所に坐って仕事をし、すり切れた座布団を変えることもなかった。「これと言うて信心しておりはいたしませんけんど、早う言うたら、人形をつくってます間が、神さまを拝うでおるような気持と言うのでござりましょうぞ。わが技の及ばんところが神さまでござります。人の心の及ばんところが神さまでござります。」(中略)神さまを拝んでも、神さまは人形を彫る技術を助けてはくれない。自分の技術の及ばないところが神さまなのだ、というこの心境(…) 『人形記』佐々木幹郎
19.02.2024 13:22 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0自分に変なかたくなさがあるのを自覚してはいるけれど、まあこれも風の芯ということでよいでしょうと片目をつむっている。
19.02.2024 06:05 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0では、どうするか。「動かす人間」ではない、そして、「動かされる人間」でない人間になる。なれるかどうか判らないが、そう努力するほかにない。その努力を「書く」行為に凝集するのが、ことばのもっとも本質的な意味においての「作家」であり、凝集の結果が「文(ロゴス)」だ。武田は文学、いや、「文」をそんなふうにとらえていたのではないかと思う。 「被災地」「ロンギノス」「戦後文学」小田実
19.02.2024 02:37 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0言い換えれば、加藤典洋的な〈ぼく〉の文体は、あくまで非社会的な個人の経験から始まり、それが社会を代弁するような公共の一部となることを拒否しながら、しかし、それでいて「公」的な世界をその内側から語る、そのような批評性を帯びたものだ 『ぼくと「先生」』長瀬海
15.02.2024 02:21 — 👍 4 🔁 1 💬 0 📌 0去年はじまったカウンセリングで、「過食が治らない」という話をしたとき、カウンセラーの先生から、「過食はどんな助けになっていたのでしょうか?」という問いが帰ってきた。 『養生する言葉』岩川ありさ
15.02.2024 01:21 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0井戸川射子の『無形』、登場人物が多いうえに文体のほとんどが二重にぶれてるからわけがわからなくなる。これは彼女の文体のか、それともオオハルの視界の歪みなのかしら。
15.02.2024 01:09 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0寝転び胸に両手のひらを置く、その重さで収まるくらいの嫌な思い出しだ。いつか割けて海に沈むかもしれない、どうにか今はそのかけに勝っているだけの部屋だ。 井戸川射子『無形』
15.02.2024 01:07 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0わしは、このプラトンの原型なるものについてはまだよく分らぬ。黄色なり黒なりをはじめて見たとき、あるいは、ある果実をはじめて味わったときのことは、だれも覚えてはおらぬ。多分、その頃はあまりにも幼くて、それがその後の非常に長い連鎖のはじまりに当たるなどとは、思いもよらぬからだろう。むろん、別の、決して忘れられぬ最初の時、というのもある。
14.02.2024 16:54 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0文のけだかさは読者を説得するのではなく陶酔させる。すべて、けだかく力強いものはその力で、ただ説得を求めるものやたのしみをめざすものを圧倒してしまうものだ。説得にかかわっては私たちは自分で取捨選択できる。しかし、こちらの方は抗しがたい力で迫ってきて、読者を支配してしまう。
14.02.2024 16:53 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0猫はごはんを食べなくなってしまったのでいよいよ。吐いてしまうので、投薬もやめた。投薬をやめることがどれほどのことか。ゆるやかに萎びゆく心臓によって、肉体が急速に死へ向かうことがどれほどのことか。死へ舵を切ることがどれほどのことか。そうだった。死へ舵を切ってしまった。諦めるだけでは、死にはたりなかった。舵を切らねばならなかった。くるしい。
13.02.2024 15:42 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0わたしが今もっともねこに与えたいものは滞りのない死だときづいてしまい、覚悟していたけれど、やはり葛藤がある。急なひきつけや発作によるはげしさのないまま、水のながれるようにするすると死をむかえてほしい。そのために定期的な検診や点滴をしたいし、(医者から処方のあって)改善した薬、やすむための薬をあげている。そのためのできるかぎりのことをしている。ねこは目を合わせると喉を鳴らす、いもうとが言うには音が変らしいけれど、わたしにはわからなかった。ねこの、わからないことはたくさんある。
10.02.2024 01:40 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0ねこが横に揺れながらとつとつあるいてきて、ご飯を食べた。座布団ほどの段差もためらうほどなのに、平坦なフローリングを歩くときは優雅にとつとつと歩くからふしぎ。横に揺れながらリビングを歩き回って、すこし廊下に出て階段を見上げ、リビングに帰ってゆく。2階には私の部屋があり、3日ほど前まで好んでよく訪れていた。また来てほしい。またわたしのベッドで一緒に眠りたい。薬が抜けて興奮ぎみのねこを撫でてなだめていると、鼻先をこすりつけ、すぐに疲れてしまってやめたけれど、それは甘えたときによくやる仕草だった。かわいいし、うれしい。
09.02.2024 16:01 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0とおくに感じているはずのねこの呼吸はもう錯覚かもしれず、もう彼女はそばにいないかもしれない、と起きると物陰に呼吸するからだはあり、そばへ寄って、緑の瞳へかつてそれが愛情表現ときいたさだかでもないゆっくりのまばたきをひとりよがりに割りこませる わたしはもうねむい 唸るような呼吸がきこえ、そのあいだのみ微睡むことができる
09.02.2024 13:40 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0上部には吊るされた籠の中でキャンドル型ライトが灯り、テーブル中央には天使の置物、奥側には2匹のおさない猫の写真が置かれる。左上に、窓にかかった薄いカーテンが映る。
09.02.2024 13:16 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0