こんな時ばっかりすみません!
18.11.2025 13:28 — 👍 6 🔁 0 💬 0 📌 0@fta7.bsky.social
こんな時ばっかりすみません!
18.11.2025 13:28 — 👍 6 🔁 0 💬 0 📌 0千葉雅也氏の『動きすぎてはいけない』に何度目かの挑戦をしているのだが、突然、意味がわかり読めるようになっていて驚いている。
最初に買ったのが2020年6月9日だった。ほぼちょうど5年。
その間、途中まで読んでは挫折を繰り返した。おそらく十数回は挑戦している。『差異と反復』『アンチ・オイディプス』などにも挑戦したがもちろん無理で、でも少しずつ少しずつ、意味がわかるようになってきて、いまようやく、日本でいちばんわかりやすいドゥルーズの解説本といわれている『動きすぎてはいけない』が読めているという実感をもてた。
入門書の入門に5年かかったかー。
頭の中のひとりごと(反芻思考)が自分の世界をつくっている。この反芻思考は、自分でもわかっているように、冷静に考えてみればまったく論理的でなく、根拠がない。それでも強く感情を動かす。
これは変えられない、自分の性格と強く結びついている、と感じられるが、実はこの「変えられない」というところまで含めて、自分の信念として反芻思考の中に強化機構が含まれている。
実はこの反芻思考を変えるのは、思っているほど難しいことではないのかもしれない。最近、そんな可能性というか、手応えをよく感じる。これをなんとか言語化していきたい
ワールドトリガーおもしろすぎ ついにアニメ全部観ちゃった 戦闘の駆け引きでこんなにハラハラさせられるのってなかなかない 漫画ももちろんおもしろいけど二期以降のアニメの出来が良すぎてやっぱりぜひともアニメでも観たい
ワートリで初めて駆け引きとその解説の楽しみ方を知ったことで、「もしかしてスポーツとか将棋も解説がわかったらめちゃくちゃおもしろいのかも」って生まれて初めて勝負+解説というコンテンツに興味が湧いた
その可能性に気づかせてくれたワートリは偉大だ ありがてぇ
生成AIの進化によって、僕らが美しいと感じるものでまだこの世にないものをカンタンに得られるようになった。しかしそれは最大公約数的な美しさであり、必ず「どこかで見たことがある」という感じがつきまとう。
人間の顔の平均値を出すと誰もが「イケメン」と感じる顔になるという。
最高級と最大公約数が同じ領域にあるとして、インターネットで手に入る情報はそこに向かっているとしたら、僕らはますます「外れ値」を求めるようになるだろう。これはもしかしたら人類の希望なのかもしれない。
文章を書くとき、例えばこんなふうに徒然と書いていいなら2時間は書いていられる。でもたいていは、文章は目的があって書かれる。目的があると2時間は続けられない。そうか、目的がある行為は疲労がたまる。目的が身体に必要以上の強度を求めてしまうからだろう。身体に必要以上の強度をかけず淡々と進めていくならば、おそらく作業は淡々と前に進んでいくのではないか
31.12.2024 03:36 — 👍 4 🔁 0 💬 0 📌 0いま実験したいのは、休まなくても動ける方法はないか、というあたりなんだと思う。歩く、という行為は、つねに足を動かしているけれどその間、頭では別のことを考えられるし、そしてもし足が疲れなければ、ずっと歩いていることができる。それでなくても2時間は休まず歩き続けることができる。歩くように仕事をするにはどうしたらいいだろうか、ということを考えている。仕事や家事も、徒歩のように淡々と進められれば「気づけば終わっていた」ということが起こり得る
31.12.2024 03:34 — 👍 4 🔁 0 💬 1 📌 0令和ロマンとひろゆき氏の対談のショート動画が流れてきて見たんけど、くるまが
「勉強すればお笑いをつくることはできるけど、つくったお笑いが自分の身体に合うかどうかはわからない」
と言ってたのがなんだかすごく刺さった。
彼らはたしかに勉強してるし研究してるしPDCA回しまくって質の高い笑いを生産しまくっているけど、いくらそのシステムがしっかりしていても、生み出される笑いが自分の身体(見た目や雰囲気、キャラ)と一致していなければ笑いは取れない、ということだと解釈した。
でも世の中、実際そういうとこある。自分で選んだ努力が自分に応えてくれるとは限らない。
話し合うことは大切だ。大切なんだけれども、どちらかが、あるいはお互いが疲れているときにはむしろ、話し合うべきではない。どちらも疲労やプレッシャーから開放されているときにはじめて、対等で理性的な話し合いが成立する。
20.12.2024 23:29 — 👍 10 🔁 1 💬 0 📌 0イラッとした時は全身の力を抜く。次に頭の中の言葉を遅くする。狂言くらいがいい。すゑひろがりずくらいの。あるいは般若心経くらいの。
20.12.2024 01:55 — 👍 6 🔁 1 💬 0 📌 0「拗ねない」ということ
25.11.2024 00:17 — 👍 5 🔁 0 💬 0 📌 0ようやく体力全回復した感がある
やっぱ中途半端な回復ではダメだ
特に慣れないことー新しいことや久々なこと-をやろうとしているとき、いつもより回復が遅い、というよりはつねにHPを削るステータス異常にかかってる、って感じ
いや、頭の一部で子どもを育ててる、って発想の方が近いかもしれない。新しいタスクを遂行するためのプログラムが自動構築されていく、そういうプロセスが脳内の一部で常に走ってるから、普段通りには動けない
20代前半のころ、毎日何時間も話を聴いていた人が十数年ぶりに出した本を読んだ。やはりするすると頭に滑り込んでくる。
02.09.2024 12:45 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0最近は時間を大切に使えるようになってきた気がする。ひたすらダラダラと過ごした日であっても、「それが必要だった」と思える。
02.09.2024 12:28 — 👍 9 🔁 0 💬 0 📌 0僕にとって「考える」とは決断の先延ばしであることが多い、のかもしれない
30.08.2024 23:25 — 👍 8 🔁 0 💬 0 📌 0より複雑なことを考えるためには、より少ないことに意識を集中しなければならない。絡まりあった紐の塊をいくら眺めていてもほどけることはない。まずはどの糸を手にとるべきか。その糸をどう動かすべきか。そのことだけを見つめ、手を動かす。その繰り返しだ。
19.08.2024 02:43 — 👍 3 🔁 0 💬 0 📌 1ていねいに時間をかけて文章を書き終えると、しみじみとした達成感がある。そして何度も読み返してしまう。
でもそれが思ったより多くの人に読んでもらえていないな、と思った途端に、今まで感じていた愛着が遠のく。
これ、これがよくない。自分が生み出したものへの愛情よりも、他者の評価を優先してしまっている。
でも物書きとして、自分が書いたものが評価に晒されることは避けられないし、避けるべきでもない。
この他者評価の強度をいかに克服していくかが目下、人生最大の課題になっている。
自分を大きくしていくことばかり考えていたが
いまは自分を小さくしていくことに興味がある
健康のためにラジオ体操をするのではない。生きるためにするのだ。死活問題だ。意識高い低いどころの話じゃない。やらなきゃ命に関わる。
23.05.2024 00:26 — 👍 6 🔁 1 💬 0 📌 0中年になると「自然体」とか言ってらんない。自然体はいつだってどこか痛んでるし、いつだって懸念事項は多すぎる。
僕らの意識は、中年以降はなおのこと、どんなときでも笑顔で機嫌よくいるためにあるのかもしれない。
自然に口角が上がらないときに口角を上げるために意識がある。
なるほど意思とはこのように使うのか
23.05.2024 00:18 — 👍 4 🔁 0 💬 0 📌 0仕事はお金以外のものを同時に得ようとすると途端に難易度が上がる
やりがいとか
人の人生に口を出さない
課題の分離
身近な他者にほど 徹底しなければならないしかし
身近な他者ほど これが難しい
なんやかんやと言い訳をつけて 口を出してしまう
ギリギリまで 本当にギリギリまで
口を出さない
朝カフェ
15.04.2024 12:46 — 👍 222 🔁 39 💬 0 📌 1🐾他人のゲームから降りる
🐾自分のゲームをはじめる
🐾自分のゲームのなかで、他人のゲームをプレイするのはいい
思い浮かんだままに話し、生きる
勇気のことだ
今日やったことを愛する
明日もやるであろうことを愛する
自分から出てきた言葉を愛する
ありきたりだろうと愛する
使い古されていようと愛する
その言葉に乗ってあなたの中から出てくることをその思いの方が選んだのだ
そのまま言葉にしろ
何をすればリズムが乱れるかもわかっててまあお酒でしかないんだけど、これはまあ楽しいからしょうがない
12.04.2024 22:56 — 👍 9 🔁 0 💬 0 📌 0ようやく予定通りの時間に起きて家を出られた
リカバリに一週間かかったけど、ちょんと戻ってこられる
単に時間の問題、回復にかかるスピードの問題なのだ
やるとかやらない以前に、「それが頭にタスクとして思い浮かんでいる」という時点でえらいってことにならない?
あとはそれをどういう気分でやりたいか、ということだけに自分はこだわっているんだ、ということに気づいた