なお、わたしは2020年ごろに一度無償でネトフリジャパンから、性的マイノリティの表象に関わる宣伝でヒアリングを受け、その際に、当時の時点で「アジア圏でのDEI部門を作る案が出ている」という話を聞きました。
しかし以後、アジアはもちろん、日本でそういった部門が作られたかとか、非常勤でもそういった(十分な教育や実践を積み重ねている識者の)(できれば多様な立場の複数の)コンサルを採用しているといった話は出てないですよね?
なお、わたしは2020年ごろに一度無償でネトフリジャパンから、性的マイノリティの表象に関わる宣伝でヒアリングを受け、その際に、当時の時点で「アジア圏でのDEI部門を作る案が出ている」という話を聞きました。
しかし以後、アジアはもちろん、日本でそういった部門が作られたかとか、非常勤でもそういった(十分な教育や実践を積み重ねている識者の)(できれば多様な立場の複数の)コンサルを採用しているといった話は出てないですよね?
とどまらない継続的な機会創出を検討しているのか
これらの点が見えてきません。
もしこれらに取り組んできた/いるのなら、積極的に公表するのが良いんじゃなかと思います。
なぜなら、「トランスの物語」を扱うことは、単なる題材選択ではなく、社会的責任を伴う時期にまだまだあるからです。
キャラクターとしての「可視化」だけを前面に出し、社会で就労や訓練(就学)といった点での可視性は検討していない、構造を変える課題があるという点について語らないのであれば、それは表象として、マジョリティの社会からの消費にとどまります。
それを欺瞞的ではないかと思います。
取り組んだ自分の実践も、メディア産業内でこのテーマにおいて取り組んできた、他のトランスである人たちやそのコミュニティにいる人たちの実践も、軽く扱われたように感じてしまいます。
だから昨夜の投稿には、感情的な面が強調されていたと思います。
Netflix Japanは、トランスをテーマにした作品を配信し、そのオーディション(が公開で行われたかどうかは不明)にはトランスである人も参加したといいます。
ですが、
・業界内でトランスの人材育成や雇用拡大に取り組んでいるのか
・制作決定層やコンサルタントにトランスである人々や、最低でも、そういった知識を有する識者をアサインしているのか
・単発の出演に
想像します。
だけど、その形式がどんな社会的効果を持ったのか? ということをはるなさん個人にも考え直してほしいですし(はるなさんがそうだったということではなく、ニューハーフ業界では「自分を女などと思うな」と若い世代に言うような傾向は、割とあった/今もあると思います)、現在もこうした偏見を助長する表現を再生産している、巨大プラットフォーム側の責任は問われて当然だと思います。
そういう点から批評や検証は重要だと思います。
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②で言及したように、蓄積や運動の歴史を無視したまま「ポジティブな意味がある」とだけ言われると、②に影響を受けながら、自分にとっても切実な問題として、書き手として
「オネエ」の名乗りは理解できる。メディア上で、声を低く出したり、男性名を繰り返したり、自分を「男」と呼んだりするのも、自発的というより産業や、その産業を消費する一般からの要求に応えているのかもしれません。
特に、1990年代〜2000年代は、トランスという言葉もほとんど知られておらず、トランスの人たちへの就労や就学の困難なども、(今も全然足りてないけど)ほとんど一般に共有される機会がなかったと思います。
そんななか、「ニューハーフ」として水商売に従事し、そこから、当時ブームだった「オネエ」という枠組みに乗って、テレビを中心としたメディア産業内であの形式でしか居場所を持てなかった、厳しい現実も
の歴史の延長線上にあります。
このスローガンは、そういった背景から出てきた、運動の言葉です。
そうした議論や、現在の「望ましさ」は、アメリカから大きな影響を受けながら、しかし異なる歴史を歩んできた日本ではなかなかインストールが難しいし、追いつけない、という論点はあると思います。
ただ、このスローガンを持ってきておいて、その背景も考慮せず、「詮索はよくない」「推測は軽率」といった一般論で包んでしまうと、この歴史や運動や議論を都合よくつまみ食いしているだけ、表層的に利用しているだけなんじゃないかと思います。
③ 個人と構造はわけて考えたい
はるな愛さん個人の生存戦略としての、「ニューハーフ」や
人々の出生時に割り当てられた性別を暴露してよい情報として一般に植え付けてきた面があります。
そういった「ギャップのネタ化」という演出や表現に影響を受けて傷ついた人は少なくないと思います。
これは道徳の話ではなく、社会環境の話です。
② 「トランスジェンダーの役柄はトランスである俳優に」は文脈を持つスローガン
アメリカの映画・テレビドラマなどのメディア産業内では雇用機会の欠如、シスジェンダー俳優による役の独占、そもそもトランスの物語が少ない、制作決定層や創作の中心にいるプロデューサー、作家、演出家などにトランスである人々がほとんどいない現実があり、それは、人種主義や植民地主義などの差別や暴力
昨夜遅くの投稿を少し整理し直します。
わたしは「他者のジェンダーを詮索したい」わけではないし、カミングアウトを強制したいわけでもありません。その問題点は前提として共有しています。
わたしが言おうとしたのは以下です。
①表象の影響は現実の環境をつくる
日本でテレビや雑誌などのメディアが、くりかえし「オネエ」「元・男性」といった枠組みで、トランスジェンダーの女性を“ネタ化”、つまりいじっていい存在として強調してきました。
たとえばはるな愛さんがやってきたような、「声をわざと低く出す」とか「生まれたときに与えられた“男性的”な名前を明かす」といった表現が、そういった強調に加担し、トランスである
「カミングアウトを強制してはいけない」とか「GIを推測してはいけない」は一般論ではもちろんそうだけど、「トランスジェンダーである」と名乗らないと社会構造や一般意識を変えられなかった歴史や、名乗ろうが名乗らまいが、「そうだ」と認識され、暴力や虐待を受けたり、家や地域コミュニティにいられなくなったり、教育を受けられなかったり、お金を稼ぐのがたいへんだったり、そういうシスジェンダーを当たり前とする眼差しや社会構造や制度に苦しんできた人たちがいた/いることの延長線上に「トランスである役柄はトランスである俳優に」というスローガンがあることを考慮せず、「強制はだめ」「推測は軽率」と言うのは、都合よすぎる。
26.02.2026 17:45 — 👍 13 🔁 1 💬 0 📌 0
結局、日本の芸能界の文脈、シスジェンダー規範が強固でほとんど疑いもしないメディア産業の流儀でやっていくというなら、トランスなんて言葉は使わず、ニューハーフで、オカマで、オネエでええやろって思ってしまう。
はるな愛さんがいたニューハーフ業界なんて、今でもオカマ、オネエでやってる人なんてわんさかいるんだし、中途半端に「人権に目配せ」みたいな態度に見えてならない。
にも自分のやってきたことを軽視されていると感じたし、自分だけでなく産業内/境界で、こういった問題に取り組んできた、トランスである人たちの実践に関心を寄せてもこなかったのに、いきなり背中から撃ってくる感じがしています。
26.02.2026 17:23 — 👍 7 🔁 1 💬 1 📌 0
きました。
もちろん、「他者のジェンダーを詮索する」とか「カミングアウトを強制する」ということは問題だと思う。
しかし、表象をめぐる社会へのネガティブなものを中心とする影響は軽視できず、また産業内での労働機会の欠如や待遇の不均衡といった問題は、その産業だけの問題ではなく、社会全体の問題とも通じるはず。その差別に関わる諸問題と通じるスローガンであるはずの「トランスの役柄はトランスである俳優に」に象徴される運動や実践と社会背景を無視して、そのスローガンに関わる話題を無視し、「良いこと」としてのみ取り上げるのはずるいと思うし、欺瞞的と感じてしまう。
だったら「オネエ」で何が悪いのか?
さらに、個人的
大きな社会での運動の実践や歴史を無視し、日本と比較すらせず、
〈はるな愛、中村中、望月春希などといった存在のジェンダーについて細かく考えていくことはしないし、本人たちがとくに公表していない部分をことさら知る必要もない〉
〈ポジティブに描く本作は、大きな意味がある〉
と書くのは、ひどいなと思いました。
realsound.jp/movie/2026/0...
わたしはこのテーマについて、キネマ旬報、早稲田大学演劇博物館での企画展「Inside/Out ─映像文化とLGBTQ+」の図録、ウェブメディアなどで何度か「トランスの役柄はトランスである俳優に」というテーマで書いてきたし、SNSでも書いて
小野寺系さんの『This is I』の評を読んだ。
はるな愛さんは、生まれたときに「男性」と割り当てられ、同性愛の性愛指向を持つ人や割り当てられた性別に自己を一致できず移行する人たちが、主にメディア産業を通して、「オネエ」という蔑視混じりのキャラクターを引き受け、その蔑視を広げる担い手でもあったはず。もちろん、個人として生き延びる術だっただろうと想像する一方で、そのイメージの流布に苦しんだ人は、わたしだけではなかったと思う。
そうした功罪を踏まえないことや、アメリカでの「トランスの役柄はトランスである俳優に」というスローガンと、その旗の下の産業内のマイノリティの機会や平等を求める運動や、さらに
今回の選挙短期間すぎて点字エンボス加工なしの投票用紙なら期日までに納品できるからそれを選択したとのことだけど(東京都の話)、現政府は、投票するにあたってサポートが必要な人たちのことを排除していい人と思っている政府なんだよ。そう思ってこの短期間で「できる」と判断したわけで、排除される人たちを知っている人はもれなく怒りの一票をせめて自民維新以外に入れてほしい
天候や受験期しかり、できてない、成立してないんだよ。「サポートの有無関係なく投票権を持つ人全員が投票できる準備をする期間」を逆算して共有しろってんだよ
「権力者が見たい世界を見るための選挙」なんだよ今回ばかりは本当に。怒っていいんだよ
めっちゃおもしろいwww
04.12.2025 17:16 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0どこにお金が使われてるんですかね……
29.10.2025 14:10 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 010代20代の数を50代だけでさっくり超えられるという今の人口比、それに合わせてお金の格差、サブカルに与えてる影響ものすごいと思うのだがあんまり話題にならない。「子供だけの人気」で成り立つコンテンツの下限が低くなる中で流行っているリバイバルブームは、昭和や平成中期のそれとは質が違うし、ネットの口コミ人気や売り上げもどんどん実態から離れていく
23.10.2025 15:52 — 👍 45 🔁 23 💬 0 📌 0
フィクトセクシュアルやフィクトロマンティックは、アセクシュアルやアロマンティックですか? - AセクAロマ部
acearobu.com/ficto-is-ace...
ニューヨークのふたりの「優しさ」はもちろん感じるのやけど、繰り返すけど、「ホームシック」(東京の住んでる地域に由来するもの含め)だけでは表し切れない孤立感を勝手に想像してしまって、「短期でも一回実家の須磨に帰る」とかそういうことじゃ解決しない何かがあるんやないろうか、とか思ってしまうと泣けて仕方がない。
繰り返すけど、こういう話を誰かと共有できたらいいのに、という自分の仮託からくる妄想の可能性大やけども。
けど重なるところがある人たちの、今ある(「正しい」)言葉では表し切れない感じが見受けられ、これは、よっぽどの職能がないと適応が難しいやろうなという人たちがけっこういて、会ってるときは「かわいいな」とか「話おもろ」とか思うけど、一般的な社会(もちろん「昼職」なんて)でどう生活しているか想像しにくい感じがあった。
わたしが妄想しているだけで、実際はけっこうちゃんと生活してるのかもやけど。
ザ・ノンフィクションでも取り上げられてたきららさんみたいな人とか。よぴぴは抜けておもしろいけど。
なんというか、日本のテレビのコードでは「おもしろい」はやっぱり「オネエ」枠的なものを通らないと難しいのかな。
遮られてしまう・自分も押し殺してしまう声というのがあるような気がしてしまう……
なんというか、言い訳させてほしい、自己弁護させてほしい、誰もしてくれないから、みたいなのはあるということを考えさせられる。
(自分を仮託しすぎかも)
Xには書かんかったけど、◯◯ガールとかプロパとかで2000年代後半に見てきた、女装娘とか男の娘と名乗る人たちの、他の仕事がうまくいかなくて水商売も試してみた、みたいな人たちとよぴぴを重ねて見てしまった。
前者の就労は、「オネエ」どころか「ニューハーフ」としていろんな笑いや接客のコードがあって、非常に高度やし、後者のコミュニティでは、いわゆるトランスに当てはまらない
おもしろさはそんな単純な枠にはおさまらないし(当時その名前を引き受けてバラエティに出てた人らもみんな「単純」ではなかったと思う)、それに、服装や振る舞いや喋り方・声とかだけにとどまらないこの「奇妙さ」を持って、メディア従事というリスクも伴う仕事という特異な就労の“共有できなさ”も絡んで「共有できなさ」は、言語化が難しいやろうし、試みても、ほとんどの、あえて言うと「マジョリティの人たち」には一般論で回収されてしまうのやろうなと雲を掴むような感じを想像する。
「芸事で生活を成せる人はひと握り」とか、「信じてやり続けるしかない」とか、そもそも難しい営みを前にするとき、ある種のマイノリティ性によって
おこがましいのだけど、本人に届いて何か感じてくれたらいいなと思ってしまい、Xにも投稿してしまったのだけど、ニューヨークのYouTubeチャンネルに白桃ピーチよぴぴが出てる回を見て、よぴぴが東京進出していたのを知ったのやけど、「うまくいかなくて落ち込んでる」という話から、わたしの勝手な妄想やけど、一般論ではまとめきれない「うまくいかなさ」とかその「共有できなさ」が東京でさえあるのではと想像すると、たまらないものがあった。
www.youtube.com/watch?v=prWW...
テレビではコンプライアンスとかで「オネエ」はもうできない状況なんやろうけど、仮にその枠が今あっても、よぴぴの
フェミニンなトランスの/した(/しようとする)人たちが自分たちを指す表現:dollと、社会的な可視性が高くトランス嫌悪による社会的な不遇に合わずに済みやすい、特権的なシスジェンダーのゲイの人たちとの比較が前提にあるわけで、そんなショーの空間に、しかも第二次トランプ政権になったばかりのタイミングで企画されたショーにいられるなんて貴重な経験はないわけで、友達のつながりで福祉・教育や文化・芸術にも従事するトランスのコミュニティの人たちと会える可能性もあるしな……と悩んでる。
さっきESTA見たら160ドルも申請にかかるから、プラス2.5万くらい涙。
どうしよう……
りにショーをやる、そのモデルへの支払いのためにこのプリントTを売るんだと言っていたそのショーに、招待状を送ってくれた……涙。
行きたいけど、往復15万くらいの航空券を払って、せっかくなら1週間はいたいけど、知人が部屋に泊めてくれると言うものの、それでもかなり金銭的に厳しい……(本当は1ヶ月くらい滞在したいけど金銭的にももちろん、予定的にも無理)。
でも、さっきの言葉、
「お金はゲイの人じゃなくて直接“ドール”にちょうだいよ(最終的にはNPOに寄付して、そこから“トリクルダウン・トランニーノミクス”方式で支援やサービスが分配される——それもありがたいことなんだけど!)」
と訳すとすると、これは
「Give money directly to doll instead of gay guy (who will eventually give it to a non profit that’ll disburse payment and services via a trickle down trannynomics model [which is great thank you! but give it to doll] )」
というダイレクトなメッセージをプリントしたTシャツを作ってプレゼントしてくれた、NYに住むファッションデザイナーで現代美術の作家でもある友達が、9月半ばに3年ぶ
このふたりのやりとり興味深いですよね。マジョリティ(あるいは東京)の話だなと共感できなさもあるものの……
21.08.2025 11:34 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0
低賃金で扱われてきた環境の改善を実践し、教育機会を供給し、既存のシスジェンダー中心の業界では機会を作れなかった、物語りの主体となるための経済面も含めた実践を行ってきた。
「解像度の低いまま、右向け右で、全員が右を向いて行う」「もっと議論を細分化しないといけないのでは」は先行実践を調べてからにしてほしい。
bsky.app/profile/szk3...