学校から変えていかなきゃ何も変わらない!😡
私も同じく非常に残念な結果だと感じます。
湯浅さんが提示した請願は、子どもの声を尊重し、生徒自身が主体的に校則作りに関わる環境を目指すものであり、教育の場における民主主義の実践に繋がる重要な提案です。
そのような前向きな提案が不採択となることで、子どもたちが意見を述べる意義を感じにくくなり、結果的に社会的な無力感を与えることを懸念します。
このような挑戦を共産党議員だけでなく大人社会全体が支援し、前進させる仕組みが必要だと改めて思います。
@junanne.bsky.social
変化を恐れず、まずは知ること、自分の頭で考えること、多様性への理解や内省を怠らず、対話し、常に学び続けたい。 日本語教師の国家資格有。
学校から変えていかなきゃ何も変わらない!😡
私も同じく非常に残念な結果だと感じます。
湯浅さんが提示した請願は、子どもの声を尊重し、生徒自身が主体的に校則作りに関わる環境を目指すものであり、教育の場における民主主義の実践に繋がる重要な提案です。
そのような前向きな提案が不採択となることで、子どもたちが意見を述べる意義を感じにくくなり、結果的に社会的な無力感を与えることを懸念します。
このような挑戦を共産党議員だけでなく大人社会全体が支援し、前進させる仕組みが必要だと改めて思います。
アメリカとかジャパンとか、分母の大きな話を持ち出して政治的共感を得ようとする人々を僕はもう信用しない。分母の大きな話は《あいまい》であって、あとで《いかようにも解釈できる》ので、それを信じた人々はそれを言った側の解釈の変更によって簡単に裏切られる。まして「私もトランプのように」と言ってるんだからそれは「私の言う『ジャパン』はあんたの考えるジャパンとちがうかもだけどね」と言ってると考えた方がいい。ぼくはこの人を信用しない。
www.asahi.com/articles/AST...
【知りたい気持ちと伝わる距離感】
私は「常に学び続けたい」と強く願い、新しい価値観や知識に触れることに喜びを感じています。
そのため、友人との会話でも新しい情報や考えを共有したくなりますが、それが相手にとって心地よいとは限らないと最近気づきました。
多くの人にとって、日常会話は安心感や共感を得る場であり、私の「もっと知りたい」という姿勢が相手に負担をかけたり距離を感じさせたりすることがあるのかもしれません。
これからは、相手のペースや興味を尊重しながら、互いに心地よく話せる関係を築いていきたい。
でもオープンSNSではそんなことは気にせず、どんどん言語化していきたいと考えています。