ポチっとお迎えしたコスメの記録。今年はバレンタインの頃に買ったRMKのおかげで身繕いの楽しさを思い出させてもらった。きっかけというか。経済活動と娯楽の関係性とかもねw。
06.11.2025 09:22 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0@yuzupon365.bsky.social
ポチっとお迎えしたコスメの記録。今年はバレンタインの頃に買ったRMKのおかげで身繕いの楽しさを思い出させてもらった。きっかけというか。経済活動と娯楽の関係性とかもねw。
06.11.2025 09:22 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0ばけばけ第28回。旅館を出て家暮らしをしたいというヘブンの女中に望まれて「月20円!」と給金(女性教師の給料は月4円という)に、そういうこともコミなわけで、と断わるおとき。今日の山場はやはり、雨清水の奥方の、これほどに落ちぶれても誇りを失わずに頭を高く上げる姿でしょうか。女の誇り編。
この頃の1円は今で言うとどれくらいの感覚だろう。小学校の新人女性教師が4円なら1円が3万円を切るくらいか。それとももっと安いのか。むー。あとでAIに訊いてみよう。でも、だとすると20円の月給は50~60万か。ときとママさんwの夜なべの内職の一ヶ月分の上がりが40銭だっけ。むー。
毎年、今頃になると(さすがに朝顔はめったに見ないし、見ても萎れてタネだけついているとか)まだ百日紅がとか瑠璃茉莉や色んな花が咲いてる!と驚いて、これも温暖化のせいだろうかねえ、と付け加えるのが恒例。今年はそれが芙蓉の花かな。忘れた頃に何輪か大きく咲いて、ふくらんだ萼はおそらく随分前に咲き終わった花のなごりだろう。植物の季節感って、ほんとよくわからない。
クマの出現が日本の事件となった今年、当然のように「どんぐりが少ないのでは」とか、いろいろ素人考えのコメントもよく聞くけどね。温暖化とセットではない事象だが、猟銃でクマを駆除するプロも少なくなり、または賃金もなしで働かせるのもどうかとか。辛い。
下請けという言い方が正しいかもわからないけれど、名刺を持たなくなってからはもう、互いにわりと気心の知れた発注元としかやりとりしなくてもよくなったので、本当に気持ちが楽。で、先細りな業種で先細りな営業しかしていない自分をふとしたハズミで責めたり反省したくなったりするんだよな。とはいえ、それでも比較的、複数案件をまわしてもらったりすると、ひたすら丁寧に誠実に、こういうときほど「間違ったプロらしさ」という、よくあるテキパキな概念に惑わされないで、もしかするとこれが最後のおしごとになるかも、くらいの覚悟をもって仕事したいなって。思います。いつでも、どこでも。誰が相手でもね。
01.11.2025 02:34 — 👍 3 🔁 0 💬 0 📌 0買い物の話から変な話題に着地してしまった。モノを買い、経済をまわす。それ自体が経済というパワー(エネルギー)で成立している社会への愛なんだよな。無駄遣いとか、常軌を逸して何かを欲しがることを、母は厳しく制限したが、身ぎれいにしろとか親が買い与えたものを大切にしないと地獄へ落ちる的な。好きにさせてそれを見守るということはまったくできない子育てだったような気がする。まあ、実際に「好きにさせる」という性格の親であれば、それはそれで別の窮屈さが生じたのかもしれない。と自分の性格はめんどくさい、ホントいやになる。それだってどこまでが「生まれついての才」なのか。生きることはそんなにめんどくさいものなのか。
29.10.2025 00:45 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0もともと買い物ベタなタチ……と言い切るのも違うかもしれない。物欲の波はたいてい予期しない形で襲ってくるが、それは「生きたい」とか「新しい体験をしたい」という自分の想念のエネルギーを、どの次元だかのおそらくハイヤーセルフのたぐいが欲という形にして立ちのぼらせているってことなんだよな。
そういう不器用な頭でっかちの子どもが、器用で人生の勝ち組になりたいと願う母親のパワーにもみくちゃにされて、いまの自分になったんだな。母のせいとは言えない。だって、子育てが無自覚な虐待にならないよう、母自身も細心の注意を払い、節目ごとに子離れ親離れを謳っていたが。晩年はひたすら「愛していたのよ」と赦しを請うていた。
うっかり桑原志織さんのファイナル最終演奏をライブストリーミングで聴いてしまい、うまく二度寝もできずに(コンクールという仕組みそのものは裏方スタッフに入れてもらうご縁があるもの以外ほぼ興味がないのですがそれでも、今回のワルシャワは素晴らしかった。予備予選と最終結果だけはホントにく…いやいや。そういう制御できない人間らしさまで含めての仕掛けなのだと)ほぼ完徹で、だが悔いなし。
と思えたのは、そのままお手伝いに行ったこちらのライブがとても楽しいものだったから。大萩さんのギターは素敵✨だったし、フェリシアンの野趣とパワフルな色彩感が炸裂のアコーディオンのオーラは格別でした。ありがとうございました。
学校の試験がクソだというのは(入試はそうでもない)、日本の教育機関が基本、外部の人や観客or聴講をいれずに採点して勝ち負けという形で評価を下す、その行き詰まりがただの澱みでしかないから。というのは無論、私が知るアレコレから勝手に文句を言って、私が一人で言い放っている「ただの悪態」でしかないけれどね。就職試験とかも、もろにそう。でも、そこで手間暇かけて、一緒に働く同僚としてよりベターな人をマッチさせないといけない。だからヘッドハントとか、低レベルの人材派遣のエージェントが跋扈するわけで←というのも、あくまで想像で言っていることです。うーん、結論がどんどん見えなくなってる。すいません。
21.10.2025 03:35 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0コンクール考(その2)
演奏会というライブの拡散も基本的には同じで、イベントに最終的な価値を与えるのは物語性なのかな、と考える。もちろん「それだけ」じゃないと思うが、多くの人に愛され、記憶に刻まれる特別なお祭り的ななにかは、たとえば劇場という特異な社会性の中で、それを体験した人がそこから魂(もしくは人間性)の琴線に触れた感動を再解釈し、自分の声で語るに足るストーリーに組み立て直す。その「読者体験」を通して、初めて物語として完成する……かもしれない。そんな感じ。だから、勝ち負けというわかりやすい結果を出すスポーツ競技的なものは、イベントを作る側にとって、既存の装置なんだよね。徒然。思いつくまま。
万年筆とインク。手帳は10月始まりのロルバーン2026年版に乗り換えたので、ほぼ日の残りページは読んでる本からの書写でなんとなく。インクは孔雀、水沙連、Bliss(パイロット、藍濃道具屋、ダイアミン)。色彩雫はリリースされてわりとすぐ、十年以上まえに購入したボトル。古くなり随分濃くなってしまったなあ。
本からの書写は、書き手の性格とか判る気がから面白い。
実はこれ書きながらワルシャワの本選(ルー)の動画を聴いているのだけれど、協奏曲の最終楽章、音だけ聴いてて「!」ということ数回。特に右手。うーん。そんなふうに勝手に思われても本人もまわりもイヤだろうが、なまじこれで優勝とかしてしまったら大丈夫か。そこまでコミの結果と割り切る
審査員にもよるし、彼らとて採点する相手の「その後の人生」までも左右するかもしれないという重責はもちろん意識している筈だけれど、それでもそこまで悩んでぐじぐじ言うのはウチの兄貴師匠くらいだと思うよ。実際、クライバーンの審査員に何度も呼んでもらいつつ、あのコンクールは呪われているんじゃないかとさらっとジョークを飛ばす人もいる。
その年だったかは曖昧だけど、すでに「コンクールは必要ですらない悪である」と断言していて、それでも若手が世に出るためのシステムとして機能しているならよいけれど、すでにファイナルに残ったことがある「勝者」が、一位ほしさという口実でふたたび出場してくるという時点で、仕組みとして失敗しているではないかと。まあ、そういう巨匠本人も、ロンティボーで優勝したのが自分にとっての「きっかけ」ではあったという指摘はさらりと流していた気がするけど。そもそもあの時代、あのコンクールは「お願い」して有望な若手に出てもらう手法をとっていたし。
19.10.2025 00:49 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0コンクール考。私の記憶の錨(アンカー)は、それ自体が独立して成立する世界観からの発信ということだと、チッコリーニが来日した際、それがいつのコンクールだったか念入りに調べないともはや正確なことはわからない(無責任……)のだが、海老さんが浜松のチェアパーソンとして稼働なさっていた頃。イチ音楽ファンとしては、室内楽が課題になったあたりで、阪田くんとあと一人、イタリア人の出場者が二次だったかで落とされたのをみて「ああ」と。ほぼその二人だけが、いますぐお金を出して聴きたいと思わせるレベル才だったのに、まさにその二人を落とすとはナニゴト? と日本で開催の国際コンにまったく興味を失った。チッコリーニはね……
19.10.2025 00:49 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0万年筆とインクの日記。
アウロラのサンムーンレイク(オプティマ日月潭)金トリムにレンノンツールバーの水沙連を再吸入。このペンを迎えた最初期からずっとこの組み合わせで使っている。名前が一緒だからという思いつきで組み合わせたのがきっかけだったけど、どっちも使えば使うほど愛着がね。
あー、話がズレまくっております。
様子がわかるといったのは、逆に私が直接に翻訳依頼をいただいたおかげで、たぶん意志のすれ違いとか、齟齬がなかったのはラッキーだったと思うべきだなってことです。印税の振込が年に2回と知っていたので、ついつい後回しにしてしまった覚え書きの返送も、ようやくさくっとさきほど。署名捺印日付をいれて、書類をお戻ししました。年内に重版まで行ければと願ったけれど、著者本人がプロモーションに参加していきなりググッと売れたりAmazonの順位があがったりするくらいですからね。こまめに訳者も広報活動を継続しこうと思います。
関係者各位、並びに読者の皆さま、よろしくお願いします。
ありがたいことに音友さんで本を訳すのは今回が二回目なので、売れ行きに応じてどういうふうに何がどうなるか、なんとなくのことは心得ている。印税はこういうご時世なので交渉というよりは「信じておまかせします」という形にして、あとはインボイス制度がどう絡むかとか(ムカつくよやっぱ)いろいろ。あと、イッサーリスの本を音友さんで訳していた板倉ねーさんのことをしみじみと思い出したり。ご本人が亡くなられて、だから一生秘密は墓まで持っていくべきか、という話になると私は逆にどんどん言うべきと思う。ま、彼女はあいだにさらに人が入っていたせいであの本の権利を引きあげたいけど他にどこか教えてと相談されたりしましてね。
14.10.2025 05:08 — 👍 1 🔁 0 💬 1 📌 0これを「どうして」とか考え出すと自分の歩いてきた道を悪路と思って思考の泥沼にはまるから、自分としては要注意。
コロナ禍の丸々3年とか4年とかの空白は、学生さんの辛い期間として語られることが多いけれど、オンラインの仕事はできれば避けたいと思ってきた私みたいな黒衣人にも、特に若者たちの学びの空気の透明感をあげることをライフワークみたいに意識してきた私にとってもホントに辛い時機だったんだなって。今さらながら実感している。そしてそのことをきちんと言語化して、何がどう辛かったか、次に似たことが起きたらどうするのがいいか、考えておくことの必要性を感じています。
いま青空はごく少ない知人しか見ていないとわかっているから、わりと本音のところを自分の日記代わりに徒然に綴ってみようと思うんだけどね。今回のワルシャワは日本人の出場者の皆さんは、わりとほとんど、昔から知ってたりして、それはレッスン通訳やピティナさんのコンクールに関わらせてもらった(ご縁に感謝しかない)ことで繁がってきた線で、だから悩んだり伸び悩んだり、逆に野心的な先生のスパルタで撓んでしまったりする場面を垣間見ては、関係者でもないのに胸が潰れる想いを味わったりもしてきた、という背景があったり、なかったり……いろいろ。会ったことがないのは海外育ちで講習会も不参加とかなぜか私が通訳に呼ばれなかったり
14.10.2025 03:20 — 👍 1 🔁 0 💬 1 📌 06年前に仙台のホテルで深夜から朝方までストリーミング配信を聴いたときは「コンクールは水物だし」と言ったけれど、ショパンの場合はまた少し違うというか。ショパンしか弾けないという縛りは水物というより、地雷原を渡っていくような、天国と地獄の境目をいく怖ろしさを思わせる。うっかり地雷に触れて聴き手の誰かしらが思い描くショパンとブレたらその誤差を埋めるためにさらなる火薬を投入しないとリアルの世界に帰ってこられなくなる。
でもそんな「地獄」という焼け野原でも天国を幻視する才能は、本来なら一回のコンクールで一人か二人いれば上出来だけれど、今回は全体がハイクオリティだから線引きが恐ろしく難しそうな。
6年前のモスクワのアレ以来かな。ライブ・ストリーミングを視聴して、心というより魂を洗われる心地を体験。これは私がというより、亡くなった母と伯母に聴かせたい演奏だったな。82年だったか、ダン・タイソンさん優勝の年にあの姉妹は海老彰子さんを応援するという口実で貯金をはたいてワルシャワへ飛び、確か二次から最後までを聴いて、彰子さんがいかに頑張ったか、そしてポゴレチッチ熱に感染して日本に帰ってきたのだ。今回の、例えば桑原さんや牛田くんのような日本からの参加者を知っていたら、そして…特に伯母は21世紀になってからもコンクールの追っかけは続けていたはずだもの。どれだけ楽しんだことだろう。
12.10.2025 16:23 — 👍 2 🔁 0 💬 1 📌 0イヌが膝に乗りたがる季節が到来しました。ぬくぬく…
11.10.2025 23:57 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0仕事で六本木に行ったら、ガラス張りのフロアに立派なグランドピアノが設置されているのを発見。ストピ週間の最終日であったらしい。
11.10.2025 11:31 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0涼しくなって近所のワンコの朝散歩も少しゆったりめになったか、真夏のあいだは「誰にも会えなかったぽん(ゆず語)」とスゴスゴと帰ってくる日しかなかったのがようやく、犬の社交生活も復活…
と思ったもののさすがに今日は台風22号が関東にも接近。おそらくは暗い空と時折ゴーッと聞こえてくる風の音のせいで、いつもどおりに軍手をボール状に丸めたものをキャッチする遊びをしたがるウチノコも、あくまでマイペース。誰にも会わなかった。紺色の朝顔は、白い部分がホントに「朝顔(太陽)」っぽく、デジカメで撮るとどうしても色が薄くなっちゃうのが残念だけど、まあそれもお約束。
近所の農家さん直販の摘まみ菜と生落花生をお迎え
月曜日、ケラス本(と本を創っている期間中ずっと私達は符丁のように呼んでいたので)の刊行記念イベント会場での即売会。青澤さんは「高校の文化祭みたい」と正しく笑ってくれたけど、専門書籍扱いのこういう本こそ同人誌やZINEと同じように熱量で作って、手から手へと大きく直接販売することで何かを動かし、風通しをよくしていく時代と思いました。
勿論、一般書籍であろうがなかろうが、日本中の本屋さんにある程度は配本されて、どこででも「欲しい」と思えば手に入れることができるのが理想というか、本来あるべき姿なんだけど。行動する前に心が挫ける。何もしないでウジウジというのはもう私の場合、あたらないと思うから尚更。
ありがとうございます。X→青空のご縁に感謝。
ひきつづき末永くよろしくお願いします。
書棚をつくるのは園芸仕事に似ている。十年以上、ココロが滅入って、いつの間にか紙の本はほとんど買わなくなり、処分したり棚ごと入れ替えることはあっても、バーチャル水やりをしたり枝を整え雑草や埃を払う、本来であればいちばん愉しい作業から遠ざかっていたことにようやく気づいた。
写真の上段右の本は、今シーズンに読みたい(再読も含め)ものを並べ直した。
CDやノートは改めて少しずつ整理していく予定。
#本好きな人と繋がりたい
月曜日に神楽坂でおこなわれた『バッハ《無伴奏チェロ組曲》との旅 その真髄を探る対話』刊行記念イベント(トーク/演奏あり&サイン会)の写真をケラス本人がSNSにアップしてくれていた。
まずは到着するなり、担当編集者な浜中さんが着ている(着せられた?)表紙写真でかでかのTシャツに大受け。そしてトーク立ち位置不明でステージにのっかった私は、頭がいっぱいになりすぎて途中で真っ白になったりもしましたが、会場の温かい雰囲気のおかげで、とても佳いイベントになりました。丁寧な手作りでイベントを主催してくださった音楽之友社さんスタッフに感謝!!
www.facebook.com/QueyrasJG/po...
万年筆は新しいものを買い足すことがなくなって久しい。
それでも、メルマガでの広告に目を吸い寄せられor心を鷲づかみにされることはたまに、というか、ちょくちょく。ま、物欲があるってことは悪いことじゃないさ。
ビスコンティのペンは、そういえば一本も持っていなかった。けど、憧れの中屋万年筆だって、たぶん私は手に入れることなく手書きでインク文字を楽しむ時代を終えそうな気がしている。欲しいものは、実物を手に入れると熱が冷めることのほうが多い。消費ってそういうことか。それだけじゃないけど。
にしても、ヒッチコック・オマージュか。惚れ惚れ…
www.ilduomo.jp/SHOP/PN-0103...
朝7時の空
一気に涼しくなり、大輪の向日葵はしおれて下を向いてしまった。そのぶん、庭先の小さな鉢に植わったミニ向日葵が元気。
涼しくなって、心身が「いま」に上手く追いつけているのかな。たいていの心配事は妄想あそびで、得体の知れない不安に「生きるのが辛い」という自縄自縛で鬱になるのは、まあいろんなケースがあるのだと思う。が、ヒマなんだよねキミ、と自分を慰める。やりたいこと、とりあえず手を動かし、生活の営みを自分なりに磨いてみる。それ以上のことはできない……というか、息して表情筋が活性化して、まわりの人と挨拶して、素敵な人には見惚れて、あとは自分で自分が心地よく思えれば、それで丸もうけってことだよ。
21.09.2025 01:45 — 👍 2 🔁 0 💬 1 📌 0フランスのメディシス賞外国文学部門ロングリストに『ハンチバック』フランス語版が選出されました。翻訳はPatrick Honnoréさんです。
メディシスってカトリーヌ・ド・メディシスなんだろうなあ…(超初心者の感想
www.livreshebdo.fr/article/la-p...