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井上新五郎正隆

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落語作家(擬古典派)。2022年7月22日に初めての著書「落語作家は食えるんですか 擬古典落語創作論」発売。2023年11月より「はつもの 井上新五郎正隆作品 初演の会」始動。

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一子相伝。これでどうだ。自分の命があとわずかと悟った男が我が子に何かを教えようとする。教え方が下手・くだらないことばかり教える・教わる方が不器用。教えたのはいいが命が尽きない。常識的なことを教えようとするのなら鰻の焼き方とか釣りの技術とか。もっと飛躍させるなら殿の毒見役とか公儀の隠密とか。わかりやすくするなら忍者の秘伝。そういや忍者の落語って無さそうだ。手裏剣・吹き矢・まきびし・ムササビの術。しのびの道。わかりやすい忍術から人の心を動かすような秘伝まで。まきもの咥えてガマガエルが出ない。現実的な忍法を教わる。色々教わって実践して失敗する。イリュージョンギャグも入れられるかも…こんなところかな。

25.03.2024 16:56 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

根多が思い付かない。こんなことは一年じゅう言っている気がする。思い付かないのは当たり前で普通は落語なんて思い付かないものなのだ。それなのに思い付くから原稿料を貰えたり落語家さんに口演して貰えたりするのだ。ゼロをイチに出来るから落語作家を名乗れるのだ。それでは根多を出すにはどうしたらいいのか。強引に出そう。ちなみにいま書きたいのは柳家一琴師匠宛のもの。まずは今まで師匠にお渡しした根多を振り返ってそれらとかぶらないものを考える。まんぷく番頭・うぶだし屋・なにやつ。この三席とは違う傾向。それから仕草の笑いが多い根多が良さそう。動きのあるもの。何かを教わろうと苦心するのはどうか…とりあえずはここまで。

25.03.2024 16:41 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

創作は孤独だ。落語創作の場合はそれを口演する落語家さんに相談することも出来るが「ゼロをイチにすること」は基本的に孤独な作業である。独りだからこそ「これはつまらないのでは」という不安に襲われがちで創作の途中に他人の意見が欲しくなる。だがそれは百害あって一利なし。書きかけの原稿で助言を得てもハナシの軸がぶれるだけである。何かにすがりたくなる気持ちはわかるが意見や感想を求めるのはせめておしまいまで書き切ってからである。それにだ。あなたもわたしも自作の感想が欲しいのではない。改善点を知りたいわけではない。ただ単に褒められたいだけなのだ。そうだろ。創作の孤独に打ち勝たなければ作品は完成しない。耐えろ俺。

21.03.2024 16:46 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

自分に落語作りの才能がないことくらい自分自身が嫌というほど把握している。これは謙遜ではない。おのれをかえりみると短所ばかりが目立つのだ。今まで何べん絶望したかわからない。だが自分の才能のなさを理解しているからこそ落語をどうにか作れている。才能がないのならそれを補うためにどうすればいいのか考える必要がある。自分の手持ちの札にどんなものがあるのか。これでどのように勝負すればいいのか。それが重要なのだ。ちなみにこの私に才能があるとしたら「あきらめの悪さ」これのみだ。あきらめが悪いからこそ筆を途中で投げ出さない。投げ出してもまた拾う。創作で一番大切なのは「作品をおしまいまで書き上げる」ことなのだから。

20.03.2024 14:49 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

本日は桂米朝師匠の祥月命日だ。神道では「霊祭」と言うらしい。以前より思い続けているのだがNHKの朝の連続テレビ小説で取り上げて欲しい人物がいる。それは米朝師匠のおカミさんの故・中川絹子さん。大阪天満の乾物問屋の一人娘に生まれるもOSSK(大阪松竹少女歌劇団・後のOSK)に入り舞台に。戦中戦後の苦難の時代を生き抜いて米朝師匠と結婚。夫の内弟子(後の枝雀師匠やざこば師匠たち)の面倒を見るなどして夫を助けた。原作本は既にある。廓正子先生による「なにわ華がたり〜中川絹子桂米朝と一門をささえた半生記」だ。半年間の放送でも尺が足りないのではないか。米朝師匠が上方落語初の人間国宝に認定されたところで大団円。

19.03.2024 05:46 — 👍 1    🔁 1    💬 0    📌 0

擬古典落語を書いている理由は幾つもある。江戸・東京を舞台にした古典落語が好きなので古典と同じような世界観の根多を自分でも作りたいと考えたから。私が落語をこしらえ始めた頃は新作落語といえば現代ものという認識がまだ強くて大勢と同じことをしても意味がない・落語作家として生き残れないと判断したから(今では擬古典ものの新作落語は定着した)。時代の最先端を切り取るのが不得手なために時代が変わっても変わらない題材(普遍性のあるもの)を取り扱うほうへと舵を切ったから。落語家さんの数の多さに対して古典落語の根多はあまりにも足りなさ過ぎるのでいつかは古典ものになり得るようなはなしを作ろうと挑戦することにしたから。

17.03.2024 19:04 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

私の落語の作り方の続き。初稿が完成したらそれを少しだけ寝かせる。それから原稿をプリントアウトすること。この二つをすると根多を客観視しやすくなる。そして次が今回の眼目。初稿のクスグリ部分にマーカーで色を塗る。これをすることでクスグリを増やすか減らすか考えやすくなる。この辺りはクスグリが少ないので増やそうとか多いので減らそうとかの判断がしやすくなるのだ。この「クスグリにマーカー」はかなり有効的なので一度試してみると良い。ちなみに推敲は自分が読んでクスクスと笑えるような根多になるまでやり続けることだ。推敲を重ねても根多が定まらない場合は初めにどんな根多を作りたかったのかを思い出してぶれた軸を直そう。

16.03.2024 16:07 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

数年前のこと。三遊亭円丈師匠が円丈全集を謝楽祭で売ると聞いて会場到着後すぐに購入。師匠はお疲れなのか売り場の奥にいて椅子で休まれていた。売り子をしていた知人が気を利かせて円丈師匠に「この人も落語を書いてるんですよ」と声をかけた。するとそれまでおじいさん然として休まれていた師匠の何かのスイッチが入った。「どれくらい書いてるの?」「いやそんなには」「でも五年くらいは書いてるんでしょ」「あわわ」この時の私は「円丈師匠は擬古典が嫌いだろう。擬古典を書いていると知られたら怒られる」と思い込んで逃げるように話を打ち切った。怒られてもいいから話せば良かった。だが怖かったのだ。スイッチの入った新作の神さまが。

15.03.2024 16:09 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

録画したR1グランプリを観ながらたわむれに考えた。擬古典落語グランプリがあるとしたら。擬1(ぎーわん)グランプリと名付けよう。持ち時間は十五分の寄席サイズでどうだ。ふと思う。こういう賞レース用の擬古典とはどういうものだろう。優勝するにはどのような根多を書けば良いのだろう。台本公募とはまた違う。テレビで中継されるので落語好き以外の視聴者からも支持される根多が良いのか。クスグリをふんだんに入れた笑いの手数が多いものが好まれるのか。斬新でも江戸の風が吹いていないものは低評価なのか。それなら江戸1グランプリという名前のほうが良いのか。そんなことを考えているとあっという間に一日なんて終わる。人生は短い。

14.03.2024 15:42 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

落語家さんがわたしの書いた台本に手を入れて口演したとしても一向に構わない。むしろ何にも変えられないほうが嫌だ。根多をより面白くしようと思ってくれているからこそ内容に手を入れる。根多を変えるのはその根多を大切にしてくれている証なのだ。落語作家というのはゼロをイチにするのが仕事であってそのイチをニやサンやゴやジュウにするのは落語家さんの仕事である。ゼロをイチに。これだけで充分尊敬に値する仕事だと胸を張るべきなのだ。自分が生んだイチにこだわり過ぎるとその根多は洗練されないし成長しない。一言一句変えるなとは愚の骨頂。落語に完成はない。その代わり磨かれ続けることで時代を越えられる。だからこそ面白いのに。

14.03.2024 04:41 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

落語作家が食えない理由の一つに「書き上げた落語の原稿を買い取るのが落語家さんという個人事業主だから」というものがある。落語家さんから頂戴できる原稿料にはどうしても限界がある。だからこそ企業や公的機関が落語作家の根多で商売をしようとする時にはきっちり上演料を取らなければならない。作家の根多を利用して稼ごうとするならちゃんと連絡を取り金銭の話をして貰わねば。この時に上演料を負担するのは落語家さんにあらず。手弁当で小さな会をしている席亭さんでもない。企業や公的機関という大きな組織に守られている主催者だ。取れる所からは取らないと駄目である。そうでないと落語作家は今日もまた霞を食べなければならなくなる。

13.03.2024 02:37 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

前回の続き。金貸しの男が雨宿りをしていたら幼なじみの女と再会。雨に関連する言葉を並べて噺をふくらませてみる。はねた泥・夕立・にわか雨・土砂降り・遠回りして帰る・通り雨・やらずの雨・雨上がり・虹。雨のたびに出会う二人。相合傘でうちまで送る・送られる。女が打算で近付いてきたことに気付いてしまう。哀しい終わり。思い付いたフレーズも噺に組み込んでみる。案がある程度出たら改めて根多の流れを書き出してみる。サゲが未定でも後で考えればいい。あらすじが出来たらそれを会話形式に書き起こす。書く順番は頭からである必要はない。書きたいところから書いていく。この辺りが一番苦しいがどうにか最後までこぎつける。初稿完成。

11.03.2024 15:56 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

私の落語の作り方。まずはどの落語家さんにかけて貰うか決める。実際にかけて貰えるかどうかはさておき根多を託す相手を決めてしまう。そしてその人にはどんな根多が似合うかまたはどんな根多をやって欲しいか考える。ほにゃらら師匠ならしっとりとした擬古典。人情噺でどうだ。それではどんなはなしが良いのか。失恋する主人公。振られる主人公がいい。商人か侍あたりか。振られる&降られるのような地口のサゲではどうか。降られる→雨の日→雨宿り→相合傘→もやい傘。雨降りの日にしか会わない女とのにがい失恋。女に裏切られるみたいな。主人公の心が傷付いてしまうような。好きな女が自分の金が目当てで寄ってくる。主人公は金貸しの男だ。

10.03.2024 16:07 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

イリュージョンを擬古典落語に持ち込むとしたらどうすればいいのか。イリュージョンの笑いを立川談志師匠は「かみ合わない会話なのに何故か面白い」と説明していた。談志・円鏡歌謡合戦だ。先月の「はつもの2」で柳家一琴師匠口演の「なにやつ」に正体不明の獣を登場させたのは私なりのイリュージョン。落語はお客さまの想像力の産物だがその想像力をパンクさせる笑いを試したのだ。イリュージョンギャグの具体的な例だと藤子F先生の「アルファがベータをカッパらったらイプシロンした。なぜだろう」や「専門用語でケムに巻くギャグ」などがあるがこれも取り入れたい。そうだ。八五郎が壁にめり込んでいく根多はどうかってナンダカワカラナイ。

10.03.2024 01:33 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

柳家小せん師匠に寄席でもかけて頂いて師匠のウィキペディアにも記載された「百目の火」は長屋の連中が暑さしのぎに怪談を披露し合うという根多だ。暗闇の中で百目ろうそくのあかりを頼りにするのだが小せん師匠はそのろうそくを燭台に乗せた。これにより車座になった長屋の連中の位置関係がわかりやすくなった。Aが怪談ばなしをしてその次はBと切り替える時のカミシモの複雑さが解消されたのである。工夫一つで噺の解像度は鮮明になる。小せん師匠はこういう手直しがうまい人で「御落胤」という根多の時も糊屋の婆さんを活躍させることで根多の流れをスムーズにして笑いどころも増やした。一席一席を大切にされる小せん師匠。大好きな師匠だ。

09.03.2024 01:11 — 👍 2    🔁 1    💬 0    📌 0

某師匠宛の「辻なんとか」初稿終了。以前ならもう少し早いうちに終わっていたように思える。老いだ。とはいえまだおしまいではない。老いに逆らいストイックに振る舞おうとするとその先には絶望しかない。手札で勝負だ。やりくりして工夫して粘り強く創作を続けよう。速球が落ちたら制球でかわすことを意識しないと駄目になる。減点式より加点式。自分に優しくしてやらなければ創作意欲などすぐに消えてだらだらと一日を終えることが増える。自分の操縦法を心得て付き合わないと。落語を書き上げられるだけでも偉いよとおだててやろう。他人の厳しい意見なんて知るものか。自分の機嫌を取りながら次の根多をひねり出そうと奮闘するそんな毎日だ。

07.03.2024 16:18 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

昨年演芸評論家の保田武宏先生を囲んで貴重なお話を聞かせて頂いた。御年八十八。桂文治を四代聴いたお方だ。だが先生の凄さは演芸歴の長さでは無い。先生のお話や文章にはどれも客観性と冷静さがある。これが凄い。演芸を論じるとどうしても自分が肩入れしている芸人ばかりを取り上げて提灯を持ちがちだ。または嫌いな芸人を芸を味わう前からけなすつもりで聴いたり不自然なほど触れなかったりしがち。先生にはそれがない。何しろ先生を囲むこの集まりで「今まで聴いてきた中で一番好きな落語家は誰ですか」との問いに「好きな人を作らないようにしていた」と答えていたほどだ。では落語作家と落語家さんの距離はどのくらいが適切なのだろうか。

06.03.2024 17:51 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

立川談慶師匠による小説「花は咲けども噺せども」を擬古典落語化する取り組みを昨年より始めている。第一話である「ゆれるともしび」に続いて今は第二話の「おしまいのとき」を書き進めているのだが今日は結構はかどった。あと少しで初稿が出来上がるというところまで来たが今日はあえて筆を置いた。少々書き急いでいる感があったためである。書き急ぎで雑になるのは避けたい。さて原稿を書きかけで一旦休止する際はキリの良い箇所でやめないほうが良い。むしろ文の途中で〆たほうが次回の執筆時に再開しやすいのだ。小説もそうらしい。例えば第一章を書き終えたところでとめるのではなく第二章の出だしか第一章終了の直前で止める。お試しあれ。

05.03.2024 15:04 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

擬古典ものの落語の作りかたの一つに「古典落語にない分野&舞台のものを探す」という方法がある。例えば古典には「かわら版屋」を取り上げたものがないことに気付いたので「かわら版屋が仇討ちの手伝いをする」という根多をこしらえた。これは二ツ目時代の立川小春志師匠に「天晴かわら版」として手掛けて頂いた。糊屋のばあさんが活躍するものがないのでその素性を掘り下げた根多を春風亭一花さんに「願いましては」と名付けてお渡しをした。粗忽な女性の噺がないからと鈴々舎美馬さんに「ぐるぐる」という根多にして託した。このように古典落語の隙間を埋めることが擬古典派の役目なのかもしれない。空白地はまだある。先を越されないように。

04.03.2024 16:08 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

江戸を舞台にした落語を作るには当然ながら江戸時代の知識がそれなりに必要になるが恥を忍んで申し上げる。私は江戸の時分のことにそんなには詳しくない。今までにこしらえた根多が「史実と違う」と指摘されたことが幾つかある。鈴々舎美馬さんに手掛けて頂いた「ぐるぐる」という江戸が舞台の擬古典に犬小屋を登場させようとしたら「江戸時代にはまだ犬小屋は無かった」と言われた。生類憐みの令の頃に犬たちを収容する大規模な犬小屋はあったが各家庭に一頭ずつ犬を住まわせるような形式のものは無かったらしい。五月十八日開催の「はつもの3」で口演する根多にも一箇所史実と違うところがあるのに気付いて慌てて修正した。もっと勉強せねば。

03.03.2024 17:03 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

二十代の頃。友人たちが同人誌即売会で楽しそうにしているのを見て「僕も同人誌を出そう」と思い立った。落語を書こうとしたがいきなり擬古典は無理だった。そこで同人誌を買いに来る人がどんな内容なら楽しんでくれるのかを考えて「即売会にまつわることを落語にしよう」と書いてみたのが「ドージン落語」である。同人誌を出すまでのドタバタや同人イベント会場でのバタバタやレイヤーとカメコのゴタゴタ。擬古典が無理でもこれなら書けた。落語を書きたいと思う人はまず自分の好きな分野のことを落語にしてみるといい。五席ほどサゲまでちゃんと完成させられたら擬古典も書けるようになっているはず。

02.03.2024 16:28 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

新作落語にはサビがいる。ただクスグリが連ねてあるだけの平坦な根多ではお客さまが納得しない。ぐぐっと盛り上げてからすうっとサゲる。これがお客さまが一番満足できる形だ。ウルトラマンが怪獣をチョップやキックだけで倒すよりスペシウム光線を喰らわせたほうがいいのと同じこと。八つ裂き光輪でも可。落語を型にはめるなと言う人もいるだろう。だが山場のある新作のほうがウケるのは事実だし一番盛り上がるくだりの直後にサゲたほうがお客さまに満足感を与えられるのもまた事実。大切なのはお客さまにワンパターンな構成だと思われないように作ること。ベムラーをギャンゴに改造するみたいに。

01.03.2024 16:05 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

片付けをしたら昔の手帳が何冊も出てきた。その中の一冊に当時二ツ目の入船亭扇辰師匠と柳家喬太郎師匠の旅の仕事に手伝いで着いて行かせて頂いた時のことが記されていた。作家になりたいという夢の話を喬太郎師匠に話したことも「喬太郎さんに創作の事話す。真剣に聞いて下さる。この時も物腰やわらかく敬語は崩されずむしろ聞き役に回って下さる。そういうふうに夢があるのはいいですねとおっしゃっていた。先が長いんだからという言葉の間にポツリと我々だってこの先どうなるかわからないともらしているのが印象に残る」と書かれていた。二〇〇〇年一月十六日。まだドージン落語も書き出していない頃の話である。

29.02.2024 17:19 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

ドージン落語。それは「コミケに参加する人たちに関するいろんな状況を落語にしたもの」である。九十八席こしらえたところで活動休止したがあと一席足したい。それは百物語の作法「百まで語ると怪異を呼ぶので九十九でやめる」ことになぞらえたいから。〆の一席は「有明八景萌者戯」にしたい。もちろん地獄八景からの引用だがパロディにはしない。あくまでオリジナルでなければ。筋はこうだ。長年コミケで同人活動をしてきた作家が余命宣告をされる。人生の幕切れをどうするのかあれこれ考えた結果やはり新刊を引っさげてコミケ参加したい。執筆・修羅場・当日。これを柳家一琴師匠にお願いして「はつもの」で口演して頂けたら。どうですか師匠。

28.02.2024 16:26 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

最近は「辻なんとか」という根多を書いている。辻斬りがよく出るところを通らざるを得ない主人公にいろんな目的の「辻なんとか」が襲いかかるというもの。舞台は明治だが何故江戸にしないのか。それは道ゆく人に自作の浪曲を聴かせる辻斬りならぬ「辻うなり」が登場するためで浪曲は明治に生まれたものだからだ。江戸に浪曲を出して「はなしの嘘」と押し通しても良いのだがここは明治で。今回は史実を重視したが史実通りでつまらない根多よりも史実無視でも面白い根多のほうが私は好きだ。江戸情緒にこだわり過ぎない擬古典。先日初演の「なにやつ」はその線を狙った。いろんな擬古典があって良いと思う。

28.02.2024 01:01 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

二〇〇二年からドージン落語を書き始めた。これは「コミケに参加する人たちに関するいろんな状況や物語を一席の落語にしたもの」である。その頃は擬古典をどう書いたらいいのかわからなかったがドージン落語ならすんなり書けたので台本を同人誌即売会で頒布することにした。需要はないと思っていたが意外と好意的に迎えられたので調子に乗ってどんどん書いた。その数九十八席。我ながら褒められると伸びる子だと思う。面白いものでドージン落語を山ほど書いたらいつしか擬古典ものまで書けるようになっていた。上達するためには数をこなすことがやはり大切なのだ。完成までこぎつけた経験が多いほど腕は上がる。

26.02.2024 16:50 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0
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落語作家の看板を今のように堂々と掲げていなかった八年前のこと。擬古典ものの人情噺「松勘づつみ」をこしらえて立川談四楼師匠に読んで頂いた。その時に師匠から頂戴した助言をふまえ書き直して再度お持ちしたら北澤八幡での独演会でかけて頂けることに。その初演の際に師匠からこう言われた。キミはこれから世に出るわけだけど嫉妬されて叩かれるから気をつけなさい。談四楼師匠も小説を書いて文藝春秋からハードカバーで単行本を出したら某人物から無視されるようになったそうだ。しかし景山民夫先生からは「この雑誌の中でキミの小説は僕の次にうまい」と褒められたとのこと。さすがは景山先生。ウイットの塊のような人である。

25.02.2024 16:24 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

擬古典落語とはどんなものかと聞かれたら「古典落語の世界観・了見で作られた新作落語」と答えている。だが先代の三笑亭夢丸師匠が「夢丸新江戸噺」で提唱していた「日本人が着物を着ていた時代を背景とする噺」という定義のほうが粋で好きだ。この「夢丸新江戸噺」とは新しい古典落語を生み出すために先代夢丸師匠が人情噺の台本を広く一般公募した企画。入選作品に与えられる賞金は師匠の私費という力の入れようで十一年にわたり開催された。その根多を所収した本やCDが先代の手で残されていて当代の夢丸師匠たちも時折口演している。もっと評価されるべき取り組みだと今でも思う。

25.02.2024 01:52 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

日本のいろんなところで落語会を開催している世話人の皆さまには頭が下がる。落語はこういう人たちが支えているのだ。私は新潟出身だが落語にのめり込んだ二〇〇〇年前後の新潟では各地で落語会が開かれていた。それも意欲的な会が。雲助師匠による緑林門松竹の口演。さん喬師匠と権太楼師匠の文七元結のリレー。新潟出身である二ツ目時代の扇辰さんや新潟さんの会ももちろん追いかけた。これらの会を催してくれた世話人さんのおかげで落語がよりいっそう好きになれたのだ。私の落語作家としての原点はここにある。感謝しかない。

24.02.2024 02:08 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

五月十八日開催の「はつもの3」で三笑亭夢丸師匠に擬古典「雪あつめ」を初演して頂ける。また一つ夢が叶う。ありがたい。うまくて面白くて珍しい根多を幾つもお持ちの師匠に自作を託せる喜びたるや。しかし根多の脱稿までには相当時間がかかった。私と同じ新潟県出身である師匠には「雪にまつわる根多」を何とかお渡ししたいと考えていたが雪がただ登場するだけの根多ではないものにしたかった。雪への想いをいっぱい詰め込もう。そう決めた。ここまで気負うとどうしても筆が進まなくなる。悪い癖だ。とは言うもののかけた時間は無駄ではない。かけた分だけ満足のいく根多が出来た。これを幸せと言う。

22.02.2024 15:13 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0