配属されて少し経った頃にぜひにと移された話を聞いたけど、2ヶ月経過していまだにこの場所にいる価値がわからない。毎日なんでこんなところに配属されたんだろうってずっと感じる。
平日だけでなく普通に休日も浸食されるし。やれることやっても帰れないし。効率化考えて機械化したら怒られるし。なんだろうなこの時代錯誤な場所。
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配属されて少し経った頃にぜひにと移された話を聞いたけど、2ヶ月経過していまだにこの場所にいる価値がわからない。毎日なんでこんなところに配属されたんだろうってずっと感じる。
平日だけでなく普通に休日も浸食されるし。やれることやっても帰れないし。効率化考えて機械化したら怒られるし。なんだろうなこの時代錯誤な場所。
六時間くらいやることないのに仕事してる風を装い続ける日。そして5分のタスクのために二時間待ちで拘束される。なんかこれを続けても本当に身にならない気がするぅ。
暇なのに将来の投資にスクリプトの勉強とかしたら目ざとくなんか言われるし、将来性考えると辞めた方がいいよなぁ。この会社入ってはじめて転職真剣に考える。
あまり身にならないのに拘束時間だけはべらぼうに増えてしまったし。自分の時間がめっちゃ削られてストレスが溜まる。なんか資格試験の勉強とかしたほうがいいかもなぁ…。
こうしてつらつらと本の内容を整理してみると、デスクワークを続けて生理的疲労だけが蓄積する状態だと疲労回復力が落ちて回復しきらないままになっている、ということになります。なるほどなぁ。
こう考えると軽い運動を意識して取り入れることに意味があると判断できます。ちゃんと運動しよ。
疲労したときに素早く生成される「GADD34」、ゆっくり生成される「CReP」の二つが脱リン酸化の働きをする。
疲労そのものを減少させるにはISRのバイパス経路が動いたことを示す「ATF3」の産生量に比べてGADD34とCRePの産生量の比率が大きいことが必要。すなわち疲労回復力を高めるには生理的な疲労を生む必要がある。
で、軽い運動は疲労感だけでなく疲労回復力を高めて生理的疲労そのものも減少させることができる。
リン酸化したeIF2αのリン酸を取ることでもとのeIF2αに戻す働きがあるのでこの酵素を増やせば生理的疲労が減少するらしい。
そしてこの脱リン酸化酵素を誘導するのは疲労。疲労を取るには疲労が必要。モンハンの弱点武器みたいな話になってきましたね?
「疲労とはなにか」近藤一博
最近週末ずーっと疲れた感覚が抜けなくてボーッと過ごしがちで無為に過ごしているのもあって疲れているのかな、と思ってた所に見つけた。
疲労感と疲労は区別されるべきで、疲労の原因はISR(統合的ストレス応答)。それを引き起こすのがeIF2αのリン酸化。疲労感はISRによって産生された炎症性サイトカインが脳に伝わって生じる感覚。
物語って誰かの視点を通して描かれるべきかな。
小説は一人称視点がほとんどで動画は三人称視点がほとんど。
ボイロ一人称視点は(あまり大っぴらにすると問題になりそうだけど)作中の誰かではなく、ギャルゲーみたいな作風に使われるので本読みとしてはなんか苦手意識が出ちゃうんですよね。巻末のインタビューにもあった1.5人称視点くらいと考えると良いのかもしれない。
なんかこう、意識の感覚ってどんどん薄まってる気がするのです。ネットの発達くらいからぞわぞわ怖がっていたことなのですけどね。
情報のやり取りが高速化してどんどんジャンク化して、表面的で分かりやすいものだけを受け入れて、蓄積していく知識が共有され、平均化されて違いが少なくなっていく。
「ハーモニー」伊藤計劃 読了。
というか多分一回読んだことあるかも。
この著者の本がまもう読めないというのはやっぱり悲しいよなぁ、だいぶ前のことなんですけど。
シナリオとしては医療分子の発達により病気がほぼ駆逐された優しいユートピア世界で急に起こる大量自殺事件の真相を追うお話。作中では意識がどこにあるか、意識は必要なのか、という点が中枢にありました。
「昔の人の想像力が、昔の文学や絵画が、わたしはとってもうらやましいんだ、トァン」
「どうして」
「誰かを傷つける可能性を、常に秘めていたから。誰かを悲しませて、誰かに嫌悪を催させることができたから」
〈ハーモニー[新版]p85-86〉伊藤計劃
徹底的に優しくなった世界で羨む少女の言葉はなんだかとっても響く。
なんかこう、離散的な思考というのは意識的にどっかで取り入れないとどんどん視野狭窄に陥るなと思っているのですよね。それでお風呂でぼーっと考えてたんですけどね。
20.05.2024 15:09 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0せっかく創作のこと考えてたのに明日10分あれば直せることをわざわざ22時にメッセージでくれて一気に現実に引き戻されたせいで引っ込んでしまった。本当にワークホリック体質な人に巻き込まれるとろくでもない。
20.05.2024 15:00 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0クライマキナというゲームのサントラがとても好きで、そこではプログラミング言語風の歌詞をAIが読み上げるという試みがなされている。関数とコメントに彩られた異色の歌詞を読んでこういうの作りたいなぁと思う。ゲーム自体は百合要素が強すぎてアクション面も荒削りでなかなかリトライできてないんですけど。
ストーリー展開はあまり気にしない私がストーリーが気になるのにゲーム性が残念で進められない唯一のゲーム。
次の劇場動画は利他性とか自己変容とかにしてみようかな。いろいろと今の世にあってるものが作れそう。
この情報化が行き届いて爆速にコミュニケーションが行き交う中、すれ違いに遭い、傷つく人がいる中で、誰しもが無意識に相手に変容を迫る存在になり得る、言語ゲームのルールを書き換え続ける。
まぁゆっくりシナリオ考えてみますか。
こう考えると心理的安全性の低いコミュニティとは相手に安心を求める関係性だともいえます。
ということに直面しているのが今なわけですが。どうしましょうね。
信頼と安心は違う。
信頼とは、不確実性から生まれる、友人関係のような私を傷つける可能性があるのにそれをしない、というような根拠のない信念によって支えられている概念。
では、安心の問題点とは何か。安心とは「証拠の提出」を求める点である。だから「コスト」と「時間」がかかる。
こういうふうなことが書かれていてたしかになぁと。
成り代わり・代替、憧憬、自他を引き受ける存在、内面性の露出と外部化、プラットフォームのあわいの存在、自己を語ること、語らせるように仕向けられること。心の内を語ることが享楽として享受されるようになったか。
このへんがキーになるようで混沌としてる。ううん。
露出とVTuberというとどこか対局な位置にいそうなのですが、心の露出という意味ではより加速しているようにも見えるのですよね。こと内面においてはより配信者の人間性を映し出している気がする。
正直VTuberのモデルに紐付くプロフィールはお飾り的で実際のリアルな話が出てきてしまってフィクション性が薄れてしまうのが苦手な所なのだよな。
結局人間ぽいんだ、ガワが違っても。
つまり人間が嫌いなのかと帰結するのですがそれは。
タイトルがアレなのですが、
内容としては心の闇というのは抑圧された欲望を溜めておく機能のことであり、現代ではそれがどんどん可視化されていっている。この抑圧が正常に機能しないと直接的な快楽や賞賛を求めずにいられなくなる、といった風なことが書かれている。この本の刊行から10年経ってましたが、流れは止まるどころか加速しているように思いますよね。
だいぶん昔、この本をかなり気に入っていたのだけれど、こういう心理学の本を読みたいと思って探すもののなかなかない。
もしくは、このソーシャルメディア全盛期にこそ再読するべきなのかも。(そして今Kindleで買ってきた)
この相互理解のあわいにいる存在、というのを事細やかに定義してくれてるのがこの本なのでしょうけど、そこ自体は通過点に過ぎなくて、なぜ自他を引き受ける存在を外部に持つのか、というのが引っかかっている所なのでしょうね。自分の中では。
顔出しは遠慮したいけど声だけよりアバターがあるほうが、という判断なのでしょうけど、なぜみんな女の子になることを望むのだろう…というとまぁ有利だからなのはあるんでしょうが。
そんなことを書きつつもVTuberの一人たりとも追えてないのですけど。
なんか違うかもなぁと首を傾げながら読んでいたけどやっぱりちょっと求める物じゃなかった。
私が不思議に思うのはフィクションかリアルかとか、二次元か三次元かみたいな所ではない気がする。
配信者がモデルや設定に引きずられるのはVRChatみたいなアバターでもよく見る光景だし、実在するかしないかはプラットフォームの上でのみ(配信者と視聴者の境界線)存在するようなものだと思うんですよね。すなわち、VTuberを形成するのはこの相互理解されるあわいの位置である、みたいに思ってます。
原書は2016年だそうなので作中でのスマホの扱いは電話かSMS、それに周りがゲームに没頭しているという記述程度。
でも現代でも結局スマホの用途ってそれくらいしか使われないんだよなぁ。周りが周り、誰かとのやり取りに没頭して誰かと繋がろうとする。一人から目をそらすためのゲームに没頭する。
一日一回1時間くらい通信障害でスマホが使えなくなるような日常でもいいのにな、とか思ってしまうくらいにはこの板みたいな端末を持ち歩くことはあんまり好かない。
途中主人公の周りのコミュニケーションの奔流ぷりに読むのがしんどくなってきて読書レビューとかちょっと確かめてました。おおむね肯定的な意見が多かったので頑張って残りを読み進めてました。
意見の中で聴覚過敏を持つ人が主人公に親近感を持っていましたが、その点は私もそうかもしれない。私も周りの声が意図していないのに流れ込んでくるタイプなのですよね。
作中では現代に必要なのはコミュニケーションの量は減らすことだ、と述べられていますがその感覚は私も分かる。
ずっと積んでいたコニー・ウィルスの「クロストーク」を読了。上下巻で1000ページ。朝9時から夜19時でずっと読んでました。
話が動くまで300ページ。ひたすらに長い。女性主人公視点なのもあって想像していたSFよりも恋愛観が強かった。ちょっと移入が難しかったですね。
筋書きはテレパシーで急に発言してしまった能力で周囲の暴力的な声が無作為に聞こえてくるようになって、その能力との向き合い方を教えてくれる男性と、能力を悪用しようとする一派とのやり取りが描かれてました。
ブルスカの周りから順調に人がいなくなっていく現象、セカイ系みたいな緩やかな終焉を迎えているみたいな感覚があって居心地がいい。
04.05.2024 15:18 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0本文中では顧名的なつながりのインターネットに移り変わり、つながりすぎ、一貫性が求められすぎることの息苦しさを〈セカイ系〉と呼ばれる作品を通して匿名性のある「どこでもなさ」を肯定していく。
一貫性、って言葉は作る側に立つとよく考えるもので周囲への「裏切り」と考えられることがあれば一斉に見限られる。見る側にとっては一貫性というより一面性、単純化なのだよね。
記述として面白いかったのは
『そもそも声というものは、ラカンの理論によると、抽象的で拠り所のない、人間に不安をもたらすものであり(中略)、「声そのもの」が聞こえてくる、つまり「現実界」に直面することに人間は不安で耐えられないから、キャラクターのイラストが仮の発声元として必要とされる』
直後にボカロが例に挙げられるけど、ボイロ系にイラストがつくのはそういう理由なのかもしれない。
読みました。
セカイ系をテーマにした本は創作面で近しいものがあってたまに手に取るのだけど、エヴァもボカロも素通りしてきた身としては実感が足りないとこがある。でもこのあたりの作品から泣けるとか切なさとかがまぁ求められることはあるなぁという。
こんなこと目につくところに書いてると追い込まれてるように見られそうなのですが、誰とも話したくないとか一人が一番楽みたい感覚は割と普通に抱いてる感覚なので心配される理由もよく分からないのですよね。それで言うと、癒やし、って感覚も理解できなかったりします。
周りと隔絶されることが一番落ち着くのだから、何かに接続しなければいけない環境はそれだけで気が持たないのです。
って感覚を持つのがたぶん少数なんだなっていうことに数年前に気が付きました。人間って難しいな。