ドナウ連邦建国史Bluesky支部's Avatar

ドナウ連邦建国史Bluesky支部

@donauismbot.bsky.social

架空歴史『ドナウ連邦建国史』の解説垢。凍結につき転生しました。フォロー返します。 本編 https://wiki.donauism.org/doku.php?id=start pixiv http://pixiv.net/users/36247410 お題箱 http://odaibako.net/u/Donaufedebot ブログ http://donau.hatenablog.com

50 Followers  |  51 Following  |  461 Posts  |  Joined: 08.02.2024
Posts Following

Posts by ドナウ連邦建国史Bluesky支部 (@donauismbot.bsky.social)

ノイプロイセン民族突撃隊がザイール・コミューンを攻撃 国防人民委員を殺害か◆同盟通信

01.03.2026 01:11 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0

尾川氏が所属した歩兵第79連隊は、昭和18年1月に東部ニューギニア・ウエワクに上陸。マダンでの飛行場建設作業、フィンシュハーフェンの戦い、ガリ転進、アイタペの戦い、山南邀撃戦を経て終戦。
同連隊のニューギニアへの上陸兵力は4,320名。このうち尾川氏とともに生きて終戦を迎えたのは、60名。

23.02.2026 13:10 — 👍 2    🔁 1    💬 0    📌 0

いろいろなことを言われた。地獄の叫びである。

撃てなかった。意気地がなかった。嫌味・毒舌の限りを尽くす。激昂させるための悪口雑言に耐えるしかなかった。(中略)銃など棄ててしまえばよかったと、今にして思う。あの重い、始末の悪い長いものを、引きずりつづけていた。地獄の底を行くような行軍に、まだ銃への執念があった。手ぶらで歩けば、身体への負担も神経への負担も軽減されたであろうに。もはや、ことばで説明のつく世界ではなかった」
(尾川正二『帝国陸軍の教育と機構』p217-218)

23.02.2026 13:06 — 👍 3    🔁 1    💬 1    📌 0

歩兵第79連隊の尾川正二氏が経験した、東部ニューギニア戦線のガリ転進について。

「いちばん長い行軍は、『ガリの転進』といわれる敗走である。三ヵ月かかった。われわれの連隊は殿部隊だったので、その山越えの惨状をつぶさにみた。約四千人の犠牲者を出している。

この行軍でつらかったのは、『射殺してくれ』という頼みだった。『おまえ、歩兵なら人を殺したことがあるだろう。一発ぶちこんでくれんか』『おまえテッポウ持っとる。撃ち方くらい、知っとるだろう。おれが頼んどるんだ。引き金も引けんのか』『おれはもうだめだと思う。苦しみを長引かせるだけだ。あわれと思えんのか』『撃てんか。意気地なしめ』(続)

23.02.2026 13:05 — 👍 3    🔁 1    💬 1    📌 0

【速報】高市議長に大命降下へ 党中央指導委員会が内閣総理大臣に推戴決議 主体主義協会粛正後初の会議◆同盟通信

18.02.2026 06:59 — 👍 6    🔁 0    💬 0    📌 0
Post image Post image Post image Post image

私はさわやか工廠というサークルで同人誌を書いています。直近の冬コミで出したのは『東烏嶺の戦い -兵站自動車隊の壊滅-』という本で、日中戦争中の1938年夏、山西省南部の東烏嶺で、日本軍の兵站自動車隊が中国軍から攻撃を受け、壊滅的な損害を出した戦いを扱った内容です。
詳細はこちらからどうぞ。
mafia720.livedoor.blog/archives/520...
メロンブックス様で委託販売中です。
www.melonbooks.co.jp/detail/detai...

13.02.2024 14:07 — 👍 19    🔁 9    💬 0    📌 1

Blueskyに来てすぐの頃に紹介した兵站自動車隊の同人誌もそうですが、以前出した広東作戦におけるある臨時編成部隊の動向を追った『武装舟艇隊』も、「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」的な心構えで、まず自分から取り組んでいく必要があるのかなという問題意識も同人誌を作った理由の一つです。>RP
もちろん亡くなっている人が殆どなのは事実ですが、最近は史資料の電子化が進んで、私のようなコミュ障でもそういうことの端くれくらいはできるようになりました。

15.02.2026 08:22 — 👍 33    🔁 15    💬 1    📌 0

史実でもラビの戦いで行方不明の海軍陸戦隊残党を捜索しに上陸して消息を絶った20人の工作員、豪州北部に上陸して帰還した軍工作員など捨身の冒険家はいたのだよなあ。

12.02.2026 12:31 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0
Preview
YeeLing on X: "ソ連兵50人以上を殺害した人の回想 召集後スパイ養成部隊に入り昭和19年に潜水艦でウラジオストック付近に潜入し農場で食料を求めたが不審に思われてしまいスコップで夫婦を殺し衣類と食料を奪う その後はロシア人に親切にされたり追い出されたり殺害したりしながら朝鮮半島経由で樺太へ帰ったという https://t.co/hnV6uRzrHw" / X ソ連兵50人以上を殺害した人の回想 召集後スパイ養成部隊に入り昭和19年に潜水艦でウラジオストック付近に潜入し農場で食料を求めたが不審に思われてしまいスコップで夫婦を殺し衣類と食料を奪う その後はロシア人に親切にされたり追い出されたり殺害したりしながら朝鮮半島経由で樺太へ帰ったという https://t.co/hnV6uRzrHw

>ソ連兵50人以上を殺害した人の回想 召集後スパイ養成部隊に入り昭和19年に潜水艦でウラジオストック付近に潜入し農場で食料を求めたが不審に思われてしまいスコップで夫婦を殺し衣類と食料を奪う その後はロシア人に親切にされたり追い出されたり殺害したりしながら朝鮮半島経由で樺太へ帰ったという
twitter.com/YeeLing07797...

ドナウ連邦建国史で冷戦時代の豪州に上陸しアボリジニの独立運動を扇動するアジア人工作員の話をしたことがあるが、史実でも似たようなことはあったらしい。

12.02.2026 12:30 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0
Preview
「私も党を引っ張る立場に」中道代表選出馬の階猛氏 大敗の原因は「時間足りなさ過ぎた」 中道改革連合の党代表選(12日告示、13日投開票)への出馬を表明した階猛氏(59)は11日、党本部で記者団の取材に応じ、党再建の方針について「政策論争で勝負す…

「私も党を引っ張る立場に」中道代表選出馬の階猛氏 大敗の原因は「時間足りなさ過ぎた」 - 産経ニュース - www.sankei.com/article/2026...

この人の政治的立場や人となりは全く知らないのだが、とにかく顔が協和党の党官僚すぎる。

12.02.2026 01:16 — 👍 4    🔁 0    💬 0    📌 0
Post image Post image Post image

www.bunka.pref.iwate.jp/archive/cs27

岩手県の松尾銅山、北辺総督府や勘察加、北樺太に入植した日本人の開拓地みたいな見た目すぎる。

10.10.2025 12:28 — 👍 4    🔁 2    💬 0    📌 0
Post image Post image

戦艦陸奥、爆沈事件の印象が強すぎてミッドウェー海戦以後、一番艦の長門同様に柱島泊地で待機してるものだと思っていた。
調べたら第二次ソロモン海戦に参加して南太平洋海戦や第三次ソロモン海戦時にもトラックで停泊していたらしい。
まあ海戦では対空戦闘以外では碌な戦闘なく、最大速25-6ノットの陸奥は「空母を中心に機動する作戦においては、低速戦艦は既に作戦上の要求に適合しなくなっていた。」と戦史叢書で書かれてしまう始末。
ティモールに突入させたら練度の高さと遠大距離の高い命中率から活躍しつつ第三砲塔にクリティカルヒットして帝国海軍戦艦初の戦没艦になりそう。呉で無理心中爆沈するより艦も乗組員も本望だろう

29.11.2025 12:20 — 👍 5    🔁 2    💬 0    📌 1

Z特殊部隊
日本では話題に上がらないこちらも参考になりそう。
連合国軍合同特殊部隊で主に日本軍後方のボルネオや蘭領東インド諸島で活動。侵入手段として空挺降下や潜水艦のみならず、スネーク級という軽武装のジャンク船も使用していたっぽい。有名どころで昭南港爆破事件のジェイウィック作戦やリマウ作戦を実施した部隊らしい。
en.wikipedia.org/wiki/Z_Speci...

01.12.2025 06:56 — 👍 4    🔁 2    💬 0    📌 0

 同盟国軍の武器不足を解消したゲレート・ポツダム短機関銃の“駄銃”伝説の多くは、初期ロットの不良や過度に簡素化した Mk.III型、レジスタンスによる粗悪な密造品に由来し、安物めいた外観も悪評に拍車をかけた。ただし設計上の弱点もあり、コッキングスロットの防塵性の低さや、ボルトの慣性作動による暴発、弾上がりの悪いマガジンなどが問題視された。これらは後継短機関銃で大きく改善されている。
 一方で実射性能は高く、北アフリカ戦線での評価試験ではMk.II 型が信頼性・集弾性ともにトンプソンを上回るとされた。それでも外観からくる悪印象だけは英独軍に終始残り続けた。

02.12.2025 15:32 — 👍 3    🔁 2    💬 0    📌 0
Post image Post image Post image

ゲレート・ポツダム短機関銃
 仏軍のヴァルミー作戦に敗れた独軍は、ハンニバル作戦で技術者や民間人とともに英本土への撤退に成功したが、武器弾薬の大半を放棄し将兵は無装備同然となった。英国側も宣戦布告後の仏空軍の英本土攻撃で軍需産業が損害を受け、小火器の迅速な大量確保が急務となった。そこで両軍は、生産性と低コストを重視し、MP28やMP40を基にした新型短機関銃を共同開発した。
 本銃は、単純なプレス加工と溶接の多用、折畳式銃床、そして独軍制式の9mmパラベラム弾の採用を特徴とした。その高い生産性から同盟国軍や欧州レジスタンスでも広く製造が行われ、派生型を含む総生産数は400万丁を超えたとされる。

02.12.2025 14:51 — 👍 5    🔁 2    💬 1    📌 0
【日本軍歌】比島決戦の歌 Song of the decisive battle of the Philippines - Japanese Military Song
YouTube video by 瑞鶴の海鷲 【日本軍歌】比島決戦の歌 Song of the decisive battle of the Philippines - Japanese Military Song

蘇島決戦の歌
昭和18年12月に発表された日本の戦時歌謡で、英軍上陸により開始されたスマトラ防衛戦への戦意高揚を目的に作曲された。敵将の名前を盛り込んだ「いざ来いカナリス、マウントバッテン、出てくりゃ地獄へ逆落し」という過激な歌詞で知られる。
発表当時からこのような歌詞については低評価が大多数出たものの、メロディーについてはいい曲だとする意見やスマトラ戦役の勝利によって子供達を中心に親しまれた。
www.youtube.com/watch?v=u3RG...

17.12.2025 10:01 — 👍 3    🔁 2    💬 0    📌 0
Post image

蒙古国闘争化石(1971)
1963~1971年にかけて行われたポーランド共和国と蒙古国の亜欧共同
古生物調査により、ゴビ砂漠で発見・発掘された、プロトケラトプスとかの有名なヴェロキラプトルが組み合った状態の化石である。発見後まもなく大東亜統一戦争が勃発し、戦争初期の人民解放空軍の空襲や初実戦のR-11短距離弾道誘導弾による都市攻撃などの危機に晒されながらも、奇跡的に戦火を生き延びた。
現在、本化石は保存状態の良さと希少性から、蒙古国首都『シャル・バートル」において国宝として展示されている。

22.12.2025 14:52 — 👍 5    🔁 2    💬 0    📌 0

※ UMT とは
UMT は Unbekanntes mysteriöses Tier「謎の未確認動物」を意味する和製独語の略称である。1976年、實吉達郎の依頼を受けた当時の『SFマガジン』編集長・森優(後の超常現象研究家・南山宏)が、UFO(Unbekanntes Flugobjekt)にならって考案した用語である。

27.12.2025 13:39 — 👍 2    🔁 2    💬 0    📌 0
Post image Post image Post image Post image

モケーレ・ムベンベ
カメルーン・コミューン、コンゴ・コミューン、ニゲリア等の阿州中央部の広大な熱帯雨林湖沼地帯に生息するとされるUMT。

伝承や目撃証言によれば、その大きさはカバとゾウの中間程度、体長は約5~10メートルとされ、ヘビのように長い首と尾を持つ四足動物である。足跡は直径30センチ以上の円形で、3本の爪痕が残ると伝えられている。

とくにカメルーン・コミューンのリクアラ地方では目撃談が多く、西部エペナ地区のテレ湖では、1959年頃にピグミー族が捕獲・食用とした結果、食中毒で死亡したという風聞が注目を集めた。これを契機に地域覇権国フラコミュの調査隊により複数の探査活動が行われている。

27.12.2025 13:30 — 👍 4    🔁 2    💬 1    📌 0

当初西部ニューギニアに転用予定だった第3師団では、まず約300名の先遣隊を現地に派遣した。この先遣隊は昭和18年12月17日にマノクワリに到着したが、間もなく師団本体の派遣が中止され、先遣隊はニューギニアに取り残されることになった。

その後、この先遣隊の半分は、西部ニューギニア内陸のウィッセル湖(パニアイ湖)付近の警備隊に送られているが、中国からよくこんな場所までという印象。数奇な運命を辿った隊と言うべきか。

01.02.2026 09:35 — 👍 3    🔁 1    💬 1    📌 0

昭和18年10月、第2方面軍司令部が満州から濠北に転用された頃、大本営は精鋭の第3師団を中国戦線から引き抜き、絶対国防圏の最前線である西部ニューギニアのヘルヴィング湾方面に派遣する予定だった(昭和19年2~3月に海洋編制師団に改編、4月現地到着予定。現地の第2軍では、同師団をビアク島に配置予定だった)。

しかし、支那派遣軍が同師団を一号作戦に使用したいと要請したことから、大本営は西部ニューギニアに転用する師団を、第3師団から在満第14師団に変更した(のち、更に第35師団に変更)。同時に、マリアナ諸島に派遣される予定だった在支第13師団も、在満第29師団に変更となった。(続)

01.02.2026 09:34 — 👍 5    🔁 2    💬 1    📌 0

パリ空港でのトランジットの際に逮捕され獄中自殺したノイプロイセン公民のゴットフリート・エプシュタイナー。彼から押収されたUSBデータとされる「エプシュタイナー文書」がフランスコミューン内務人民委員部から公開された。

そこには、ザンジバル島を拠点に繰り広げられた酒池肉林の数々、拉致したアフリカ人少女の拷問、そしてユーラフリカ各国各界との交遊など衝撃的内容が掲載されていた。

かつてノイプロイセンからの亡命者から断片的に聞かれた大規模な組織的人種虐待の噂は、エプシュタイナー文書により裏付けられた。

02.02.2026 03:10 — 👍 4    🔁 0    💬 0    📌 0
Post image Post image Post image

結構久々にVic3プレイ。
新規コンテンツありとのことだったのでスペインでやってみたが、確かに拡張もよくできる

01.02.2026 00:36 — 👍 3    🔁 1    💬 0    📌 0

今からでは想像がつかないでしょうが、昔はアジア人差別が酷かったのですよ。

アメリカでは「100万人のアジア系移民」とメディアで叩かれ、コミケ(ComiCA: Communist Party of American Asian)に行く者は異常者でありスパイであると弾圧されました。

それに比べ、現代はアジア45億の民がアジアで暮らし、太陽輝く主体主義の楽園で人種の自主を謳歌しているのですから幸せな時代なのです。

31.01.2026 16:30 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0

原作ではソ連にも行っているらしいですしね。

30.01.2026 12:22 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

15世紀、「白人の悪魔」アジアに4世紀間上陸 500億7912万人死亡(東亜歴史学研究所試算)。

30.01.2026 12:22 — 👍 3    🔁 1    💬 0    📌 0
Post image

「タンタンがフランスコミューンと呼ばれる社会主義国家へ旅する「タンタン、フランスコミューンへ行く」という絵本の表紙イラストを描いて」

30.01.2026 11:00 — 👍 4    🔁 0    💬 1    📌 0
Post image

『太平洋ニ自由ヲ――布哇解放記念図』(1942年)
通称「皇軍感謝之図(布哇)」
昭和17年年3月20日のオアフ島陥落後、治安回復と軍政移行の安定を背景に制作されたプロパガンダポスター。帝国陸海軍報道部の共同制作とされ、国内や在外日本人社会への配布が想定された。

掲示後は絵葉書や写真複製として流通し、昭和18年7月25日のケ号作戦による撤退まで続いた布哇軍政を象徴する視覚資料となった。一方、米国側では敵性宣伝物として強く忌避された。8月15日の米海兵隊を中心としたもぬけの殻となった北西ハワイ諸島奪還作戦後は日系人家庭の一部で私的に保存され続けた。

#架空戦記

29.01.2026 08:29 — 👍 4    🔁 1    💬 0    📌 0
Post image Post image

ニイハウ島事件
昭和16年12月8日、空母飛龍所属の零戦がニイハウ島に不時着したことで発生した一連の事件である。当初、気絶した搭乗員の西開地重徳一飛曹は所持していた拳銃や機密書類を奪われた。島民らは真珠湾攻撃を知らず、当初は丁重にもてなしたが、攻撃の事実を知ると状況は一変し 機密書類返還を打診したが断られた。

その後、彼の皇軍精神に感銘を受けた島内の日系人らと協力し機密書類奪還を試みたが失敗し、脅迫・武装行動・家屋や機体への放火などの事態へと発展した。最終的に13日早朝、海軍陸戦隊の上陸により事態は終結した。西開地達は救出・保護され、本件は流血を最小限に抑えた形で収束した。

#架空戦記

29.01.2026 14:33 — 👍 3    🔁 1    💬 0    📌 0

バーデン独立問題
第二次世界大戦終結後、枢軸国ドナウ連邦とフランスコミューンは次第に対立の色を見せ始めた。ドナウが旧ドイツ帝国南部を併合したことで直截国境を接することとなったフランスは、緩衝国家設立を意図してドナウ支配下の旧バーデン王国の分離独立運動を画策した。
亡命政府準備委員会がパリで設立され、ドナウの地下に潜伏するバーデン独立派に希望をもたらしたが、ルーマニア問題でドナウが譲歩したため、亡命政府準備委員会は解散した。ドナウ傀儡のルーマニアからフランスへの出国が一次的に認められ、ルーマニア人の亡命が多数実現したのはこのためである。

29.01.2026 03:11 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0