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長めの感想

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今週のパンクガンではじめてこの表現見たけどこれって元ネタあるのか?かなりいい
tonarinoyj.jp/episode/2551...

15.09.2025 19:05 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0

「ロックスターはカッコ悪い」って俺が思うのは「貞子は怖くない」とか「ドラキュラ怖くないだろ」みたいな感じで説明できる。ホラーアイコンは登場する前には明確に形が無かったなんらかの恐怖の象徴として登場するので最初は怖いが、「怖い」が多少なりとも未知であることが必要なので、妖怪とかもそうだけど形が与えられると必然的にキャラ化する。「ロック」もなんらかの抑圧への反抗や音楽としての異形から「異形という典型」という逆の形なのがカッコ悪いのであって、本来その原初には未知への恐怖と同様にカッコよさがあったはず。その矛盾の滑稽さと原初にあった奇妙さに自覚的であれば今の漫画とかでもロックはカッコよく描けると思う

26.08.2025 16:16 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0

高校の時に同級生が「slipknotってめっちゃ狂ってるよな!」って言った時「どう考えてもめちゃめちゃ練習してるしキャラ設定守ってるどっちかというと実直なバンドだろ」と内心思ったことを覚えてて、さっきデミアンチャゼルの映画の感想で「すごい!狂気!」みたいのがよく出てくるの見てその時と感想が似てるな。創作者の狂気すげーみたいな雑な感想の中で言われてる「狂気」って、マンガに出てくるマッドサイエンティストが「ヒヒヒ…完成じゃ…!」って笑ってるくらいのイメージっぽい

21.08.2025 11:25 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0

「言葉にしたら無くなってしまう雰囲気や感情があるから言葉にするのは野暮」と言いたくなるのは分かるけど「言葉にすると無くなってしまう雰囲気」が生み出されるのは、言葉にするとか作品にした時に「あれが足りてない」と認識することによってしか生まれない、という転倒があり、その二つは因果関係ではなくて癒着というか相補関係にある、という話を人にすると伝わらない人には一ミリも伝わってないという手ごたえがある。これ多分、哲学系でなんらかの概念になってたはずなんだけど思い出せない…認識と想像がイコールみたいな、観測問題的な?

29.07.2025 09:19 — 👍 5    🔁 0    💬 0    📌 0

Audibleで赤毛のアン聴いててwikipedia見たら、アニメ制作時にスタッフだった宮崎駿は『「アンは嫌いだ。後はよろしく」と述べて、映画『ルパン三世 カリオストロの城』の制作のため本作品より去っていった」』って書いててめちゃくちゃ苦笑いが出た。奔放で想像力旺盛なアンが嫌で去った先でクラリスを作ったって考えるとホント正直な男の子っていうか、駿クンってああいう娘が好きなんやねっていう…それはそうと、赤毛のアンはプロテスタント的価値観の元で描かれているので想像力は悪徳であり、成長していく毎にアンの想像力は抑えられていくのが切ないというか、作家のモンゴメリ自身の葛藤が見えてすごく面白い

22.07.2025 09:21 — 👍 6    🔁 0    💬 0    📌 0

「エースをねらえ」4分の1くらい読んだ、テニスというスポーツがどういうスポーツなのか一切の説明がなく、ただひたすら愛憎などの人間関係の剥き出しの描写だけが繰り返される骨組み丸出しみたいな漫画。岡ひろみ、藤堂先輩、宗像コーチ、お蝶夫人、お蘭、どれもキャラが強烈。あまりにもベタすぎるっていうかそれはまあ時代的に当然なんだが、靴に画鋲が!のシーンはさすがに笑ってしまった。試合の描写はフォームの流れを大ゴマで描くのが基本で、この漫画の中で最終的に大事なのは「型」であること、生まれの出来不出来にかかわらず「型」は習得し得ること、それが「短所は長所にできる、その努力が必要」という劇中のメッセージと符合する

14.07.2025 09:19 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

「ヒート」たとえばローリングサンダーみたいに最初から死の世界にいる男の映画だがそれが二人いて、二人は唯一の理解者だが一人は飛びたがっており一人は降りたがっている写し鏡のような関係。強盗チームと警察チームはほぼ同じように撮られていて、どちらも同じ組織暴力で煉獄にいる。手と抱擁、それとテレビも含むモニターやファインダーに関連した視線、それぞれがコミュニケーションの希求と断絶に相当し交互に繰り返されるのが気持ちが良い。演技合戦な映画で特にアシュレイジャッドが夫を裏切るもそっと"通し"で夫を逃し、今生の別れをお互いが感情を隠す浪花節全開のシーンの二人の微妙な顔、あまりにも一世一代の演技で感動

14.07.2025 09:06 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

ジークアクスは「なんか…真面目に見てた俺が悪かった」という感じでした。不真面目っていうか方向性の違いっていうか、思ってたより見てる方向が違ったのねわたしたち、みたいな…

03.07.2025 11:13 — 👍 4    🔁 0    💬 0    📌 0

「ラザロ」午後のロードショーでやってそうなの洋画アクション映画もどきで別に悪くないんだが12話見たいかと言われると…カウボーイビパップのネトフリ版のレビューで「紛い物の妙、みたいなものがオリジナルの魅力なので企画にそもそも無理がある」というのを読んだが、ビバップの菅野よう子の音楽は本人も言っていたように「ジャズ風のなんか」とか「ブルース風のポップス」とかそういう作り方をしていたのが重要なのではないか。本作のfloating points他ビバップ以降の渡辺信一郎は音楽に時流ごとの音響的にも「ホンモノ」っぽい人を連れてくるけど、それがそれ自体は良くも悪くもない「作品のヌルさ」と合ってない気がする

03.07.2025 11:10 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0

「バロン吉元 / 親鸞」悪人正機の話なんだから敵役の牙狼丸とか雷王が極楽にいくんじゃねえのかよ!悪人が裁かれて終わる親鸞の話ってどうなんだよ、画だけで持っていけるパワーあんのにもったいねえよ…とか1990年の作品に今更文句を言う不毛さを噛みしめてる

11.06.2025 07:48 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

「昼顔」完全にロマンポルノ、"人妻欲求不満・白昼の淫行!"みたいなタイトルで違和感無し。娼館で行為の直前、モンゴロイド系アジア人のおっさんの腕で鈴がチリンチリン鳴ると夢に移行して暴れ牛と馬の鈴が同じ音で鳴る、という獣姦を想起させるモンタージュの極めて高い植民地センス、面白すぎる。教終盤、全てがあいまいに重なってくると森と街が上下パラレルにスライドするカットを透かしで同時に写すのがおもしろかった。この人っていうか、文学とかでもフランスのこの手の「性の抑圧こわい」と「他人がこわい」作品、笑っていいのかわからんから毎回苦笑いしてる。旦那が聖体拝領してるし修道女ポルノみたいなもんかも

11.06.2025 07:36 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0

それと「自分たちの世代はコピーしかできないし政治思想に対してどうやってもマジになれない」という世代の自覚がセカイ系的な傾向を生んでたと思うんだけど、今になっていよいよそうも言ってられないというか、難民もいるし戦争は普通に起きてるし、なんなら今後世界大戦近いかも…みたいな雰囲気によってこそ難民っていう社会問題を描けるようになってきてるのかも。その部分に対して単なる属性だけで終わらず、社会問題、自由と抑圧、幻想と現実、などのテーマにどういう答えを出すのか、答えの出し方次第ではかなり良くなる気がするが、うまくいかなかったときは逆にかなりひどい事になるな

08.06.2025 11:35 — 👍 3    🔁 1    💬 0    📌 1

ジークアクスのシャアは登場人物目線から見た謎の人物であるシャアになっている(シャアのみっともない部分を知っているのは視聴者とララァとアムロだけ)という話はなるほどな~と思って、そう考えると主要人物は人や何かに対して勝手な幻想を抱いてる。マチュはシュウジや地球に象徴される「自由」に対して、ニャアンは友達や安定した生活に、シャリアはシャアに、ララァは宇宙に等々。飛躍するけどこれってカラーの人から見たガンダムという作品に対しての幻想も含んでるのでは?庵野は常々「ガンダムの一話は完璧すぎて超えられない」と公言していたが、だからこそ今回一話を改変したことでそういう神格化をやめようとしてるのでは

08.06.2025 11:27 — 👍 3    🔁 1    💬 1    📌 0

一作目の「エルム街」でもウェスクレイヴンは虚実の曖昧さを劇的に表現するような上手さがあって、ジョンサクソンがいつの間にか第一作の作中人物であるドナルドへと変貌するシーンにはかなり痺れたし、ヘザーがディランが落としたパンくずがわりのピルを拾って追っていくと、シーツの中から巨大な異世界へと入っていくシーンもかなりマジカル。ここで培われたホラージャンルにおけるメタフィクションの感覚は、この二年後にウェスクレイヴンが「スクリーム」を撮る際の強固な発射台となっているのではないか

04.06.2025 12:45 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

ウェスクレイヴン「エルム街の悪夢/ザ・リアルナイトメア」エルム街10周年記念番外編であるメタフィクション映画。劇中で起こり続ける地震は舞台であるロサンゼルスで1994年初頭に起こった大地震(この映画の公開は同年10月)を取り込んでいて、文字通り映画の外の現実を揺るがす4D的な装置としてもハッタリとしても大変に優秀である。当時の観客にとってはよりリアリティがあっただろう。シリーズのファンへの目くばせはしつつ抑えた表現で原点回帰しつつ、映画自体が夢であること、そして恐怖の物語が太古の恐怖を封じ込める儀式であることを監督自身が自分の役で直接語るやり方は安手のホラーでしかあり得ないシーンで素晴らしい

04.06.2025 12:45 — 👍 2    🔁 0    💬 1    📌 0

造られた登場人物のを生を肯定してあげたい、という信念と長らく良くも悪くも少年誌的な「男の子のロマン」を様々な形で検討、追求してきた藤田が、近年の「ゴーストアンドレディ」から「怪物よ、三日月と踊れ」で描きたかったのは女性の自己実現だったんだと思う。後者のメインの登場人物を作家のメアリーシェリー本人に持ってきたのは驚いたが、史実としてシェリーの母親が女性運動家だった事実を漫画の中に取り込んだことで、前者よりも圧倒的に成功していると思う。安易なシスターフッド話にしないためか最後は「父」に支配されたシスター同士の殺し合いとさせるところも若干どうなんだ感もあるけど、正直面白いからまあいいか…

23.05.2025 12:34 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

小野俊太郎「フランケンシュタインの精神史」ぼんやり読んでて藤田和日郎が最近まで「怪物よ~」でフランケンシュタインの漫画を描いてた連想から、からくりサーカスの「操り人形」というモチーフについてあんま考えたこと無かったけどこれもフランケンシュタイン的な「造られた生命」のテーマだ。マサルはまさに黒幕インの目的のために作られた一種の人造人間で、かつ本質的に「母親でもある恋人が欲しい」というインと同じ欲望を持ってしまっている。その宿命を超えるために操り糸を「切り裂く」必要があり、そういう意味でもマサルの傀儡が鎌を武器にしているのは視覚的にも良く出来た設定だと思う

23.05.2025 12:25 — 👍 2    🔁 0    💬 1    📌 0

トランプと福音派についてもうちょっとちゃんと知りたいと思って色々読んどるが「核戦争を待望する人びと: 聖書根本主義派潜入記」は半分くらいがイスラエルと福音派、政治的シオニストの話で読んでて本当に気が滅入った。89年出版だがこの時点でのイスラエル国家ををめぐる動きがある意味順当に進んだ結果が今だという事がよく分かったが、こんな事分かりたくなかったような…世界が物語では無いという信念を持ってる俺は彼らから見れば悪魔か地獄行きだろうと思う

23.05.2025 12:10 — 👍 3    🔁 0    💬 0    📌 0

線が引かれる、っていう事の意味はやっぱり重要で中国の神話で混沌の中に区別ができる所から世界が生成されるようにすべては「わける」ことから始まる。仏教はもちろん、プラトンも洞窟の例えからこれを幻想と批判するがやっぱり分割しないと人生はつまんないよね。西洋絵画より東洋の絵、浮世絵とか漫画が好きなのは筆で線をはっきり強調するからで、現実の光景には無い「線」をはっきり書き込むことが絵が嘘である事を意識させ逆説的に信じられる。ティムインゴルド「ライン 線の文化史」はすぐ読みたい。ついでに言うとSCPとかも怪異をひたすら書類によって事務的に分類しかしないのが面白いと思ってる

05.05.2025 06:08 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

茂呂雄二「なぜ人は書くのか」読んどるがオングとかマクルーハンの「人間は文字によって不可逆に変化した」っといういわゆる大分水領論に対して「書く事と話す事を厳密に切り離すことはできないだろ」っていうもっともな批判(たしかティムインゴルドとかも言ってた)を諸研究から加えてる。これ音楽は「聴く事」と「作ったり歌ったり踊ったり振動したりする事」とを厳密に切り離せない、っていう俺の考えと同じなんじゃないか。千のプラトーでもユダヤ聖堂が捕囚によって持ち運ばれるようになった時っていうのをひとつの記号の体系の起点とする話があったけど、改めて切り離して管理することの重要性はとみに考える

05.05.2025 06:02 — 👍 5    🔁 0    💬 1    📌 0

中沢新一のカイエ・ソバージュ順番に読んでるけど「神話、古代の知恵のなんと豊かなことでしょう、それに比べて現代文明の傲慢は…」みたいなんウザすぎる、引用されてる宮沢賢治も感性はめちゃくちゃすごいけど法華経ゆずりの説教部分は嫌い。というかそもそも、俺には自然を代弁しようっていう傲慢さが信じられない。そういう意味では宮崎駿もまたこの系譜だな…新海誠だって天気の子は「アースダイバー」がベースだしオタク業界にはなんか人気ある。寄生獣とかも当時の公害問題から発展した人類を断罪する発想から始まってるが、最終の着地が他と全然ちがっててイイし、もしかしてエコテーマで一番バランス好きな作品って寄生獣か?

02.05.2025 13:50 — 👍 5    🔁 0    💬 0    📌 0

公園で本を読んでて顔上げたら、少し遠くにつたない足取りで社交ダンスの練習をしている女性がいて、そこにスポットライトのように丸い木漏れ日が当たって照らされているのをしばらく見てた。昔、確か威力が保育士の友達に頼んで保育園の音楽の時間の、園児たちのつたない演奏や楽器や歌の練習しているところをエア録音してもらってよく聴いている、というような事を言ってたがその気持ちがよく分かる。例えば漫画とかもネームとか線画を見るのが昔から好きでった。人が音楽を練習している時間はそれが曲とか音楽になる前の未分化で今からどうにかなるか分からない状態で、それが好きなんだと思う。クラブも基本そういうところがあるとうれしい

16.04.2025 09:27 — 👍 17    🔁 1    💬 0    📌 0

どんどん体を過去に戻すことで生命の始まりにある絶対を見つけようとする主人公、その途上で原始人に戻った主人公は「羊」も「山羊」も両方を食べてしまう事から、キリスト教的な意味では善と悪のどちらでも無く、ただ存在の始原に向かっている事が分かる。 トリップ表現は満載で悪くないがそんな小さな事よりも映画自体の走り方の方がはるかに面白い。メッセージは社会派で洞察に富むが表面上は安くて派手、という意味では「ゼイリブ」とかそういう方向の面白さだと思う。クライマックス原型人間になった主人公と赤いマグマ人間になってしまった嫁さんの人間性奪還のための爆裂壁パンチ、「なんなんだこれは」と思いながら爆笑した

13.04.2025 12:51 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

「アルタードステイツ」敬虔な父の苦痛の死から存在の絶対性を求めつつキリスト教から離脱した主人公は、科学によって絶対性を証明しようとし、変性意識によって身体をも変調させる技術で原子の生命のはじまりを体験、その存在の無、イリヤを経験した事で絶対性への執着から抜け、万物流転を受け入れ人を愛し生きる事を選ぶ…というヒッピームーブメントや進歩思想に対してアメリカが辿った思想の変遷をよく表したストーリーにも関わらず、表現の仕方がB級かつブチ上げすぎて全然そういう風に見えない。長年ドラッグ映画だと思ってたし前半はそうなんだけど途中でいきなり「北京原人 in USA」が始まってそこから最後までは爆笑の連続。

13.04.2025 12:47 — 👍 2    🔁 0    💬 1    📌 0

「過去を逃れて」全ての展開と描写が早すぎかつ的確で100分無いのにすごい密度、手に汗握る騙しあいに感動。扉の開閉の数がすごくて、単純に扉の開閉って演出の情報込めやすいんだなと改めて思う。欺かれる言葉を聞けない聾唖の少年だけがただ主人の本心を知るのは、秘された物としての扉の開閉ともつながる。今日たまたま吉田秋生「吉祥天女」を読んだので、嘘と寝返りを繰り返す「悪女」としてのキャシーから見れば、(主人公含む)ひたすら傲慢な男たちに利用されるしかない彼女なりの抵抗のやり方、という捉え方で見てた

06.04.2025 16:49 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

かといって「江戸しぐさ」みたいなものを許すのか、というのもあるし…とにかくなにか思想や倫理の正当性を持ち出すときに使われる「歴史」は歪められがちだよね、というのはよく分かる。特に意識してなかったけど、今ちょうどオカルト人種論とナチズムの関係に関する「聖別された肉体」と、民族と人種という制度の正当性を問う「民族という虚構」を読んでたので、図らずも「歴史や集団の正当性ってなんなの」みたいなテーマが浮かんできた。集合が集団になるときそこには物語がある、というのはよく分かる話で、クラブという場所に対して物語を持ち込まれるのをついウザがってしまう理由もこの辺にありそう

06.04.2025 08:11 — 👍 1    🔁 0    💬 0    📌 0

「ブッダという男」すべての差別とオカルトを否定し西洋哲学を超克する「聖人ブッダ」という解釈は、現代人が原典の都合の悪い部分を無視し都合良く解釈でしかない、という事をサンスクリット原典(主に三蔵経典)の検証によって明らかにする本。「出版に際して学会から圧力をかけられる」という外野の揉め事で有名になってしまったがかなり面白い。たとえ「原典を都合よく解釈している」としても、それは原典の忠実さとは別の「現代仏教思想」として意味があり、実際現代インドの賤民ダリッドの救済としての新仏教運動はその思想によって起こった。原典の権威に頼らずとも常に解釈によって問い直される事によって作品は輝く

06.04.2025 08:04 — 👍 4    🔁 0    💬 1    📌 0

「さらば冬のかもめ」原題通り終わるまでの細部すべてが良い、BGMは基本的にはたまに入るマーチだけ、人の位置関係や顔の表情だけですべて語る。久しぶりに役者自身への信頼、つまり人間と起きる事そのものへのを感じて感動。最後の最後、完璧なタイミングで空を横切る飛行機には脱帽。自らの生まれ持った病で社会とうまく付き合えない者に荒くれ水兵が世界に対して怒りを表明し生きる術を教えるが、そのきっかけである「兵隊である」ということによって別れが来る…ホールドオーバーズが話も語りも画づくりも本当に同じで、あれって「ハロルドとモード」だと思ってたけど断然これのオマージュだった

06.04.2025 07:51 — 👍 0    🔁 0    💬 0    📌 0

感想をたくさん読んだら「考えさせられた」っていう感想を久しぶりにこんなに見た、つまりこの筆者の試みは成功している。読者が揺さぶられないように、安心して「世界の見方が変わった!」と興奮できるレジャーに押し留めてる。小児性愛を兼ねている登場人物だけが存在を仄めかされているだけで出てこないのもそういう理由で「正しい」し「よく読むとそのこともちゃんと書いてありますよ」と言えるように言い訳が書いてあることも、商売人として圧倒的に正しいが、扱う題材から最も遠い態度だと思う。この小説で登場するが語られない「道を踏み外した」二人は、まさに小児性愛をテーマにした「ラブセメタリー」に登場するのでそっちがおすすめ

28.03.2025 12:51 — 👍 2    🔁 0    💬 0    📌 0

朝井リョウ「正欲」1ページ目に「こういう感じの小説かな」と思ったところから一ミリもズレない安心感、「世間の傲慢な正しさ」という概念を「正しい」やり方で告発するという倒錯した小説。この感じなんか思い出すな、って思ったけど「推しの子」読んでる時の徒労感に近かった。諦めた人が「顔の肉が重力に負ける」という表情をするという表現がしつこいくらい何度も出てくるが、「重さ」をあきらめの修辞表現とするその「正しさ」に辟易した。表現のレベルでそれを読み替えるまでやらないと全然告発できてないと思う。終盤の激論、ほぼ真剣十代しゃべり場。そもそも小児性愛者がテーマで別にいいだろ、というかそれくらいやれよ…疲れた

28.03.2025 11:01 — 👍 6    🔁 0    💬 1    📌 0