言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
(フランクル『夜と霧』)
@hys3go.bsky.social
ぼくのかんがえたさいきょうのbot ニーチェ(376),ウィトゲンシュタイン(321),三島由紀夫(239),シュペングラー(205),ゲーテ(179),ドストエフスキー(114),カフカ(101),聖書(99),カント(99),オスカー・ワイルド(61),太宰治(59),ショーペンハウアー(35),その他(356) 2時間毎に投稿します 4.5ヶ月くらいで1周します
言辞を弄することによってではなく、ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない。
(フランクル『夜と霧』)
ここで必要なのは、生きる意味についての問いを百八十度方向転換することだ。わたしたちが生きることからなにを期待するかではなく、むしろひたすら、生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題なのだ、ということを学び、絶望している人間に伝えねばならない。
哲学用語を使えば、コペルニクス的転回が必要なのであり、もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。 わたしたちはその問いに答えを迫られている。考えこんだり
いわゆる"認識衝動"は、"専有"・"征服の衝動"へと還元さるべきである。この衝動にしたがって、感官、記憶、本能などが発達したのだ。現象の能うかぎりすみやかな還元、認識で獲得された財貨(言いかえれば、専有され取りあつかいやすくなった世界)の経済的管理、蓄積…
(ニーチェ『権力への意志』423)
"理論と実践"。──宿業きわまりなき区別である。あたかも利害の問題をかえりみず盲目的に真理をめざす或る特別の"認識衝動"があり、そしてまた、それとは別に"実践的"関心の全世界があるかのごとくである…
これに対して私が示そうとするのは、いかなる本能がこれらすべての"純粋"理論家たちの背後で
はたらいていたか、いかに彼らはことごとく宿命的にその本能に呪縛され、"彼らにとって"真理である或るものを、彼らにとって、しかも彼らにとって"のみ"そうであるものをめざしたかということである。体系の間での闘争はまったく特定の本能(生命力、衰退、階級、種族などの形式)の間での闘争である。
または所有しようと思わないものは、かれにとっては「なんの価値もない」。純然たる都市人の経済像において初めて客観的な価値と各種の価値があり、それらが思考の要素としてかれの個人的必要から独立して存在し、そして理念的に一般妥当的となっている。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第5章3)
裁判官として、また技師として、これを頭脳のなかで試験し、そして貸借勘定表、訴訟、または倒壊の危険について評価するのに応じて、まったく異なったものが抽象される。しかし、貨幣をもってする思考に最も近いものは数学である。事業として考えるとは計算することである。
貨幣価値とは計算単位によって測られる数価値である。数自体と同様にこの正確な「価値自体」を生みだしたものこそ、都市人、根のない人間の思考である。農民にとっては交換に際して場合々々に生ずる一時的な、感ぜられた自己と関連ある価値があるだけである。かれが使用せず、
初期時代の農民にとっては、「かれの」牛はまず第一にこのひとつの存在であり、次に初めて交換財である。純然たる都市人の経済的觀点から見れば、偶然にも牛という形をした抽象的な貨幣価値があるだけであって、この牛はいつでも例えば銀行券という形に変えることのできるものである。
すべての近代貨幣理論の欠点は、経済思考の形態から出発しないで価値記号から、支払い手段の材料から出発するということである。しかし貨幣は、数や法と同様に、"思考の一範疇である"。外界の法学的、数学的思考があると同じように貨幣思考がある。一軒の家の感覚的経験からも、人が商人として、
神秘的経験の最も単純な階梯は、ある格言や文章の深い意味が、何かのはずみにいっそう深い意味を帯びて突然ひらめく、という場合であるのが普通である。「そのことを私は年がら年中、耳にしてきたのに、今の今までその十分な意味を実感したことがなかった」と。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)
競技者というものは、……あるとき突然に競技の妙味を理解して、その競技を本当に楽しめるようになることがある。ちょうど、回心者が宗教の真価を突然に感得するにいたるのと同じである。競技者がスポーツをつづけてやっていれば──なにか大きな勝負に夢中になっているとき──突然ゲームが彼を通して
ひとりでに行われるようになる日がいつかは来るであろう。それと同じように、音楽家も、音楽の技術を楽しむ心が全くなくなる瞬間に突然に達し、そして霊感のある瞬間に、自分が楽器になりきり、その彼を通して音楽が自然に流れ出るようになることがあろう。
(Wジェイムズ『宗教的経験の諸相』)
ドストエフスキーの小説のどれ一つとして単一の精神の弁証法的な生成などは含んでいないし、そもそも生成など存在しない。ちょうど悲劇が成長を含まないのと全く同じように、成長を含まない(その意味でドストエフスキーの小説を悲劇に喩えるのは当を得ている)。
(バフチン『ドストエフスキーの詩学』)
もしかりに個々の小説のイデエ群が、単一の弁証法的連鎖として配置されていたとしたなら、小説は弁証法的な方式によって構築された、一つの完結した哲学体系となってしまうだろう。その場合得られるのは、よくして哲学小説、あるいは思想小説(せいぜいが弁証法的思想小説)であり、
悪くすると小説の形を借りた哲学だということになる。そこでは弁証法的連鎖の最後の輪が必然的に作者によるジンテーゼを現すことになり、それに先行する連鎖はすべて、抽象的なもの、完全に克服されたものとして、払拭されてしまうであろう。
だが実際はそうではない。
自分の身がどこかでこの沼水とつながりをもっていることを忘れ去ることのできる人もなかった。同類同士の湿った親近感から、誰一人決定的に手の切れる人はなかった。何度も脱出は試みられた。しかしとどのつまりは、又してもこの湿った握手に、粘ついた目くばせに還って来るほかはないのである。
本質的に家庭をもつ能力のないこの男たちが、わずかに家庭の灯火らしいものを見出だすのは、「君も同類だ」と語っている仄暗い目のなかにだけであった。
(三島由紀夫『禁色』第8章)
そこは異様な粘着力のある植物が密生したいわば感性の密林だったのである。
その密林のなかで道を見失った男は、瘴癘の気に蝕まれ、はては一個の醜悪な感性のお化けになった。誰も嗤えない。程度の差こそあれ、男色の世界では、否応なしに人間を感性の泥沼に引きずりおろすふしぎな力に
抵抗し了せている男はいないのである。たとえば抵抗のよすがとして、多忙な実業や、知的探究や、芸術や、男の世界のさまざまな精神の上部構造にすがりつこうと試みながら、一人として、部屋の床にひたひたと浸水してくる感性の氾濫に抗しうる人はなく、
私には自力で自分の欲する道を行くことができません、それどころかそんな道を行こうと欲することさえできません、ただ静かにしていることができるだけで、他には何を欲することもできませんし、また事実何を欲してもいません。
(カフカ ミレナへの手紙)
ところがしかし、こうしたすべての義務を果すのに、力が全然ないといった始末で、世界を肩に担うことなどできはしません、冬の上着さえやっとの思いで肩につけているのですから。とはいってもこの無力はそうそう嘆いてばかりいるにもあたらないのです。
一体どんな力がこの課題を果し得るというのでしょう! 自分自身の力でここを切り抜けようとする試みは、すべて気ちがい沙汰であり、気が狂って終るしかありません。だからこそあなたの書いているように、『それをする』ことは不可能なのです。
私の知る限りでは、私は彼らの中で最も西ユダヤ的な人間です。というのは、少し誇張していえば、私には一刻たりとも安らかな時間が与えられていないということです。私には何一つとして与えられているものはなく、万事自分で獲得しなければならないのです、現在や未来だけではありません、
過去すらもそうなので、どんな人間でも生れながらに持っていると思われるもの、それすら自分で得なければならないのです、おそらくこれはこの上もない困難な仕事です、地球が右へ回ると──右へ回っているかどうか知りませんが──私は左へ回って、過去を取り戻さなければならないのです。
下からは、民衆の手で、学校や家庭教育を通じて、上からは、君主やその側近を通じて、ひとかどのことができるだろう。」
(エッカーマン『ゲーテとの対話』第3部 1828.3.12)
「第二の救世主が出現して」と私はいった、「現代の状況の苛酷さ、不快さ、ものすごい圧迫をなんとしても取り払ってほしいものです。」
「第二の救世主が現われたところで」とゲーテはこたえた、「またぞろ、十字架にかけられるだろうよ。しかし、私たちは、それほど大きなことは必要ではない。
ただ、イギリス人を範として、ドイツ人から哲学をもっと減らし、活動力をもっと多く養い、理論をもっと少なくして、実践をもっと重んずるようにできれば、それだけでも、われわれはかなり救済されて、第二のキリストのような聖人の出現を求めるまでもないだろうな。
人の真実はどこか奥深くかくされているのではない。かくそうにもかくし場所がないのである。その真実の断片は否応なく表面にむきだしにさらされている。そしてそれらを集めて取りまとめれば百面相の真実ができあがるのである。人の真実は水深ゼロメートルにある。
(大森荘蔵『流れとよどみ』)
哲学は、いかなる仕方でも言語の日常的な使用に傷をつけてはならない。哲学にできるのはそれゆえ、結局のところ、使用を記述することのみである。なぜなら、哲学は言語の使用を基礎付けることもできないからである。哲学は全てをあるがままにしておく。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』124)
哲学は、全てをまさにあるがままにしておく。そして何も説明せず、何も推論しない。──何も隠されてはいないのだから、何も説明する必要がないのである。なぜなら、例えば、隠されているものには、私たちは興味がないのだから。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』126)
ここの住人は皆こうだ。到底できもしないことを医者に求める。信心は捨てた。司祭一人教会にとり残されてミサの衣をけば立たせている。何事も医者がメス捌きよろしくやってのけなくてはならない。酷い話だ、聖務に等しいことまでやれという。なす術がない。どうしろというのだ。
(カフカ『田舎医者』)
"懐疑家を安心させるために"。──「私は、私の"なす"ことが全くわからない! 私は、私の"なすべき"ことが全くわからない!」──君は正しい。しかし次のことは疑うな。"君はなされる"! いかなる瞬間にも!
人類はいつでも能動態と受動態とをとりちがえてきた。それは人類の永遠の、文法に関する誤りである。
(ニーチェ『曙光』120)
一筋の光明のように静かに雲のなかを歩んできたはずのもの、したがってまた、諸国民の習俗や制度をも極く緩慢にのみ改造しなおしてきたはずのものである。ところが今では、無法な、そして激発的な本質と結びつけられて、啓蒙それ自体も無法で、激発的なものになってしまった。啓蒙の危険性はこのために
啓蒙が大革命の運動にもたらした解放と啓発の有用性よりもほとんど大きくなったのである。このことを理解する者は、"自分自身"で啓蒙の仕事を"継続"し、遅ればせにでも革命を起こらなかったものとしてしまわなければならないことを理解するだろう。
(ニーチェ『人間的、あまりに人間的2』第2部221)
"啓蒙の危険性"。──あらゆる半狂乱、芝居じみたもの、野獣的な残忍さ、情欲的なもの、とりわけ感傷的で自己陶酔的なもの、つまり一体となって真の"革命の実体"を形成するもの、そして革命に先立ってはルソーのなかに肉となり精神となっていたもの、──こういう本質の全体は、更に陰険な狂喜のうちに
"啓蒙"〔の光背〕をその狂信的な頭の上にかぶり、これによってまるでこの世ならぬ光輝につつまれたかのように自ら光り始めたのである。しかし啓蒙は、根本においてはああいう本質とはおよそ異質のものであり、独立に支配しながら、そしてただ個々のひとびとを改造することだけに長いこと満足しながら、
すなわちその悪人が質物を返し、奪った物をもどし、命の定めに歩み、悪を行わないならば、彼は必ず生きる。決して死なない。彼の犯したすべての罪は彼に対して覚えられない。彼は公道と正義とを行ったのであるから、必ず生きる。
(エゼキエル書 33:12-16)
人の子よ、あなたの民の人々に言え、義人の義は、彼が罪を犯す時には、彼を救わない。悪人の悪は、彼がその悪を離れる時、その悪のために倒れることはない。義人は彼が罪を犯す時、その義のために生きることはできない。
わたしが義人に、彼は必ず生きると言っても、もし彼が自分の義をたのんで、罪を犯すなら、彼のすべての義は覚えられない。彼はみずから犯した罪のために死ぬ。また、わたしが悪人に『あなたは必ず死ぬ』と言っても、もし彼がその罪を離れ、公道と正義とを行うならば、
文学に関係ないものはすべて、ぼくは嫌いだ。ぼくは人と話をするのが退屈だ (話が文学に関係する場合ですら)。ぼくは人を訪ねるのが退屈だ。ぼくの身内のものたちの苦楽は、心からぼくを退屈させる。人との話は、ぼくの考えるすべてのことから、重要性と真面目と真実を奪う。
(カフカ 日記 1913.7.21)
こうして一日がすぎた──午前は役所、午後は工場、いま夕方は家のなかの左右でわめき声。それから妹を『ハムレット』が終ったら迎えに行く。──そしてぼくは時間を一瞬たりとも利用することができなかった。
(カフカ 日記 1912.4.3)
平和的な犠牲を必要とした。この犠牲に比すれば、カンネーの戦いのそれは無と言っていいくらいである。バビロン、中国、インド、およびエジプトの世界は一征服者の手から他の征服者の手に移っていき、そしてその戦闘をあがなうのに自己の血をもってした。これがかれらの──平和である。
一四〇一年モンゴル人はメソポタミアを征服したときに、抵抗もしなかったバグダッド住民の十万の頭蓋骨で勝利の記念碑を築きあげた。もちろん国民の消滅とともに、フェラッハ世界は知的に歴史を超越し、最後的に文明化し、「永遠」となっている。
(シュペングラー『西洋の没落』第2巻第2章19)
国民とは、生きた形態にまとめられた人間態である。世界改良理論の実際的結果は、通例、"無形態の"、"それゆえに無歴史的な"大衆である。すべての世界改良家と世界市民とは、自覚していると否とを問わず、フェラッハ理想を代表する。かれらの成功とは、国民が永遠の平和のためでなく、他の国民のために
歴史の内部において解体することを意味する。世界平和とはいかなる場合にあっても一面的な決定である。Pax Romana は、のちの軍人皇帝とゲルマンの軍隊王にとっては、たんに実際的な意味があるにすぎない。すなわち数億の無形態の住民を小戦士群の権力意志の目的とすること、これである。この平和には
過去には何者かであった物書きたちが、古びるのはなぜか。彼らの書いたものは、当時の状況に補強されて、当時の人びとに強く語りかけたからである。だがその補強がなくなると、色をつけていた照明が取り外されたかのように、死に絶えるのである。
これと似たようなことは、数学の証明の美しさではないだろうか。その美しさはパスカルですら感じていたが。そういう世界の見方のなかにこそ数学の証明の美しさがあったのだ。──それは、浅薄な人たちが美と呼ぶものとはちがう。
(ヴィトゲンシュタイン 反哲学的断章 1949.1.18)