発売中の「Fly Wheels Magazine vol.97 2025年 10月号」では日本に生息するウエスターガードスタイルの紹介も特集されとる😍
12月の YOKOHAMA ホットロッド カスタムショーでは、その
日本に生息するウエスターガードスタイル達が集結するらしい♪
楽しみでしょうがない♪
是非ともお手に取って見てみて欲しい😁
画像は日本のイベントで撮影したウエスターガードスタイル達♪
WESTERGARS STYLE
「Fly Wheels Magazine vol.97 2025年 10月号」最高♪
嬉しくて「上下(うえした)ガードルスタイル!?」
ウエスターガードスタイル
ボキャブラ天国っぽくおちゃらけてみたりして、、、😜
webでカスタムカークロニクルを立ち上げたRik氏の協力の元、素敵な特集でした!
レベルの50'sスタイルのリリースが展開された頃、当時のカスタム、フェイドアウェイフェンダーのカスタムパーツもキット化された♪
Facebookに投稿されていたクーガーのファストバック。
ルーフ移植?ボディパネル移植?
違和感ない仕上がりかつ、ここまでヤレているのに繋ぎ目が経年劣化で露出していないのが凄い・・・
写実的か否かに重きを置く価値観が台頭していくのは一体どういった流れなんだろうね。上手くデフォルメする事はそれはそれで技術が必要だし、大元の形状を理解できていなければ破綻するのだけど、それよりも写実的で精密な物が良いとされる。デフォルメは写実的な精密さの更に先にある物ではないか?と考えているのだけど、そうであればデフォルメの方が凄いじゃん?位言いたくなる。別にどちらも等価値だとは思ってるけど(´・ω・`)
やってますよー
私にとっては理想のエポパテです
硬化前のパテのコシもちょうどいいですし、
黄色は硬化後カリカリ過ぎる、白は硬化後もそこそこ柔らかい、この二つが綺麗に混ざって切削性がすごく良くなります
あと黄色の少し透明感ある感じが完全に不透明になって形が見やすいですね
しかし作品につけられるタイトルが企画書に書いたハッシュタグのようなものだと台無しだ。講評の場で出来なかったことを延々と釈明する羽目になる。それとは逆に、制作の結果として事後的に発見されたコンセプトを端的に伝えるものがタイトルとしてつけられていれば、作者が何も発言しなくても自発的な語りが作品を見た鑑賞者の間で発生する。
>Rp「下手すれば残滓」
これはまさしくその通りで、制度的に保障された場所、たとえば教育の現場では美術を学ぶ学生が提出するものが自動的に「作品」とみなされてしまう状況があるのだが、実のところ授業課題の提出物は演習作業の「残滓」でしかない。だから課題を出す側からいつも言うのは”作品の中に必ずタイトルとクレジットを入れろ”と。たかが3-5分の映像課題であろうと。記名とタイトル(語り)があって初めて作品が見せるものから”見られるもの”に変わる。
>Rp 「目的表現」と「結果表現」
得てして目的を語りがちなのは仕方がない。企画書で語られるコンセプト、というものに飼い慣らされすぎている。しかし個人的にはコンセプトというのは、手を動かしてみた結果、思わぬところにドライブした到達地点のことであり、極めて事後的なものだと思っている。作品につけるタイトルはその”事後的なコンセプト”を語りうるものであってほしい。企画書の段階で語ったコンセプトなんてSNSでいえば単なるハッシュタグ程度のものでしかない。
これって労働とさほど変わらないんですよね。制度化された報酬による制作を、給与と労働に言い換えてもそこまで違和感ないでしょう。
飽くことなく制度的報酬のために労働し続ける者は、やはり働き者だと言わざるを得ない。
制度化された報酬は、本来のモチベーションを外部基準へと置換する。「作りたいから作る」は「報酬に見合うように作る」へ、「語りたいから語る」な「承認される語り方に整形する」へ。
これによって、行為は「関係」から切断され、報酬の基準へ従属する方向へ矯正される。
だから「報酬を明示せよ」という要請がこの趣味には生じやすい。
展示を前にわざわざ語らねばならないというのは、疲労が再燃することのように感じられる。だから語らずとも得られる報酬を制度が用意せよ、語りの不在を補塡するかたちで報酬を明示せよ、となる。
この報酬の要請には二重性があって、慰藉の願望と規律化の圧力が同居する。
でも、誤解されたらやっぱり癪に触るでしょう。肯定的な誤解はむしろ歓迎だったりもするでしょう。
終わって、くたびれていれば、多くの人はやはりそうなる。そこにある痕跡をめぐる時間感覚が、第二以降の鑑賞者とは非対称なんだよね。
「下手すれば残滓」と挑発ぎみに呼んだのは、提出・展示に到るまでに、制作過程につきっきりの第一鑑賞者としてかたわらにあった者の「終了の宣言」はやっぱりあるだろう、というのがある。これもう終わってるんで、ベースとかわざわざ用意しないんで、当然語ったりすることもないです、というのは根強くあるでしょう。
だから「記名と語りを」みたいにしつこく訴えられ食い下がられるのを「うるさいな」と感じる人が少なくないのは、ある程度構造として仕方がない。怠慢だといわれているように感じるわけだから。
行為の痕跡でしかないものを「作品」として切断・固定するプロセスが社会にはある。そこでアートのラベリングがたいへん便利に使用される。
これはプラモデル趣味にとっても他人ごとではなくて、現代的な趣味の行為、その痕跡(下手すれば残滓)を「作品として提出されたものと見做す」制度がある。それがSNSであったり、ともすれば展示会のかたちを取るわけです。
やはりこのプロセスには切断と固定があるから、記名と語りによってふたたび関係に引き戻す必要を「一部の者たちには」強く意識させる。
記名と語りによって、行為の文脈や制作の過程をふたたび可視化し、「作品」と呼ばれて固定化された痕跡を動的な関係に再接続する。
ある時からおれはプラモに関しては「製作」ではなく「制作」を使うようにしてるんだけど、これについて理由を訊かれた時があって、
「『製作』は大量生産品の製造や実用的な品を作ること、『制作』は芸術作品や趣味の品を作ること」
って答えたのだが、この相手は人の話をよく聞いてないのか「プラモが芸術って、そんな大したもんかな~?」などと頓珍漢な返しをし、挙げ句に「プラモって大量生産品じゃないの?」と意識が混濁したようなことを言い出したので、「ああ、この人は本当に頭が悪いんだな」と思ったことがあります。これ、プラモすごくよく作る人が、ですよ。
パディワゴン 完成しました。
柏崎展示会の忘れ物で、美徳さんのお陰で新しいジャンルにも目が行くようになった。
兎に角楽しい、実車は有るのか定かじゃないが時代考証を勝手にし、好きに塗る。
本当に エンジョイ アメリカンカープラモ
ホットロッド、ジャンル問わず最高!
リル・コッフィン
確かに言ってましたね! 、、、今でも言ってます。
でも前に同じ投稿があった時には「リル・コフィン」て書いてますね😱😅
、、、ただ単にローマ字読みをしていただけかと😅
大好きなバージョンのAI画像とオリジナル画像
モノグラムのキット化されたバージョンの前の形態♪
そして、その前のバージョン+チョップトップがモチーフだとしか思えないオーロラのプラモ♪
おはようBlue sky
センスよ。俺は好きだな(拾い)
日の出の頃から野良仕事でストレス発散しながらの、、、
おはようございます BlueSky !
流石のエドロスさん。素晴らしい。
自分の手を動かし、時間と労力(金も)つぎ込んだ人にだけ見えてくる世界観が大好きです。
ナッシュさん、いいインタビューされてますね。
ということで、バーンアウトじゃなくて(笑)、フェードアウト。
ナッシュさんによるエド・ロスおじさんへのインタビュー記事より
「分かる?夢がないから何していいかわからない暇だからスリリングだと思ってガンをぶっ飛ばしたりしている。
僕なんか一日十何時間プラスターとグラスファイバーと戦っているからそんなことしようと思わない。だからヤングチルドレンはもっと自分たちのいい面を伸ばすことが必要なんだ。
【Keep going make better.】
みんなと何か作ってみるやってみる時間や労力をかけてみる。
今みたいなインスタントですぐに
手に入るような時代はダメ。
お金じゃないんだと思うよ大事なのは!」
「本当のホットロッドって
ジャンクヤードから引き上げたクルマを使って手を汚しながらいろいろなアイデアを張り巡らしてカッコよく作るものだからね今はお金をだせばいろんなことスグできちゃうでしょ昔は時間がかかったのね時間と労力ばかり使ってお金にはならないんだよそうしてデディケートしたことは今の世代にはぜんぜん分かってもらえないんだなぁこれはとても悪い傾向ですよ。寝たらみんな夢を見るでしょその夢の中にもたくさんのアイデアが浮かんだりする時があるだけどクレイジーなTVばかり見て夜ふかししてたらそんな発想出てこないんだよ何かひとつでいいから形にしてみようと思わない?
ラクしてたって時間は過ぎていくからね」
バンジョーとは何か、バンジョーとは「どこ」かが非常によくわかる映像をみつけた。
www.youtube.com/watch?v=ddS-...
途中まで見てましたが、少し冷静になりました(笑)
どちらも競らないで良かったデス。でも57は欲しかった♬
>立体のほうが簡単に実現できる。3次元の配置を2次元に置き換えるという作業を挟まないので。
こうださんの言葉は何気ないようで重い。古来、絵画は三次元空間を平面に写し取った代用品であり続けた。よりリアルに見せるため透視図法が発明されこの技術に長けたものが優れた画家とされた。果たして二次元の絵画は三次元の代用品なのか?世界を紙の上に写し取った模型に過ぎないのか?これが20世紀絵画にかけられた呪いでもあったと思う。
認識のメッシュよりも細かいか粗いかでリアルさの度合いは大きく変わる。たとえば1/700の艦船プラモは買ってきたまま組み立ててもリアルだ。艦船というぼんやりとしたイメージのメッシュよりも解像度が高ければプラモデルに実在感を感じるからだ。ところが蜘蛛の糸のようにテグスを張り巡らせ、エッチングパーツを螺鈿細工と見紛う細密さで貼り付けたプラモデルの横に、パチ組みの軍艦模型を並べると、同じスケールなのにパチ組みの軍艦はとんでもなく粗い造形のおもちゃに見えてしまうかもしれない。ここまでは通常のスケールモデの論理。