4曲めに選ばれたのが、ブンブンサテライツ〝LAY YOUR HANDS ON ME〟だったことで、この曲が主題歌だった忘れがたい『キズナイーバー』のことを思い出したりしている。トリガーの、強固なスタジオカラーと並列する、びっくりするくらい多様な方向性のひとつの例。
youtu.be/2JN0VorugBM
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アニメーション関連のデータ整理に携わっています。 ●Twitter/@brikix ●threads.net/@brikix ●mixi2/@brikix https://note.com/brikix 「コーヒーを一杯 タバコを一服 会話を楽しむ 人生を楽しむ」(『コーヒー&シガレッツ』)
4曲めに選ばれたのが、ブンブンサテライツ〝LAY YOUR HANDS ON ME〟だったことで、この曲が主題歌だった忘れがたい『キズナイーバー』のことを思い出したりしている。トリガーの、強固なスタジオカラーと並列する、びっくりするくらい多様な方向性のひとつの例。
youtu.be/2JN0VorugBM
3曲目に選ばれたのは、フラワーカンパニーズ〝深夜高速〟だった。
「涙なんかじゃ終わらない 忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけ どこまでも持ってけよ」
その次は、バルトークのピアノ・コンチェルトが選ばれた。一種の雅楽だと思えば、正月に似合っているといえなくもない。指揮はフリッチャイ。
31.12.2025 15:12 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
プレイヤーのお気に入りからランダム再生で、本年一曲目に聴くことになったのはこれでした。
ホレス・パーラン 〝コンガレグレ〟
music.apple.com/jp/song/%E3%...
個人的にやりとりの出来る交友関係のなかで、自分がその人のものの見方を最大限に信頼(同じということではない)してる人が何人かいるんだけど、『果てしなきスカーレット』についてその全員が「すごく良かった」もしくは「弱みはあるが充分に見応えがある」という答えで、そうだよなあ、と思うなど。
28.12.2025 09:20 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0Adoの2025年は、鬼太郎を歌い、CAT’S・EYEを歌い、まる子を歌うという、そういう、カバーに積極的に取り組むモードの年だったということか。
個人的に、今年いちばん素敵だと思ったAdoのカバーナンバーはこれ。
https://youtu.be/trIiMhTDKxo?si=rg5nv3hNTrAZZ3il
シベリウス "フィンランディア"/カラヤン指揮:ベルリン・フィル
https://youtu.be/J4nYDBEjRmM?si=qlJcYd3LwXw5_eop
フィクションにおいて、「リアル」も、「感情移入できる」も、「等身大」も、べつに唯一絶対の正しさじゃない。作品を受け止めるときに用いる、数ある物差しのひとつに過ぎない。
13.12.2025 10:14 — 👍 4 🔁 1 💬 0 📌 0ほんとうに、今のTwitter(X)って、「戦犯探し」が大好きな人のためのSNSって感じが強いと改めて思うなど。逆にいうなら、つとめて「戦犯探し」≒「あいつを叩くお墨付き」に加担しないような言葉づかいは、流通しないかあるいは「逃げるな」みたいな非難さえ受けかねないらしい。くっだらねえなー。
13.12.2025 10:06 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0一週間の間、聴き逃し配信をしているそうです。/【聴き逃し】今日は一日“渋谷陽一”三昧 今日は一日“渋谷陽一”三昧 https://www.nhk.or.jp/radioondemand/share/1052_7174.html?p=99ZZZNYW4Y_01_4288920 #radiru
13.12.2025 07:37 — 👍 2 🔁 1 💬 0 📌 0この話題を聞いていて『美味しんぼ』の、外国人編集者による丼特集と海苔巻き特集の前後編エピソードを思い出したりしている。何経由で学んだかによって、それぞれに妙なクセがついた日本語を話す外国人たちが出てくる話なのです。
https://youtu.be/I5TjKZFy7W0?si=ZnDfaidH-8NDETHz
やべえものを聴きながら作業している。
より良いものを受け取った、だからより良いものを作る……という「より良い」のバトン、そのために出会いはある。そう考えるだけの余白は、人生に残しておきたい。
アルヴォ・ペルト“Cantus in memoriam Benjamin Britten”
youtu.be/TVZZgfXNFW8
スッキリした「答え」に安易に飛びつかない意見が、とりわけSNSで歓迎されないのは、なんでもかんでも「党派性」に還元したがる力の働き方へと結びつきがちなものだとも思います。
09.12.2025 05:36 — 👍 4 🔁 0 💬 0 📌 0藤津亮太さんによる細田守監督『果てしなきスカーレット』を考える動画。安易な社会反映論っぽい意見とかイデオロギー的「正しさ」ありきの罵声からは距離をおいた、もっぱら「読解」の手がかりを藤津さんの中で模索している過程を語っているところが、評論家の矜持を強く感じさせる。スッキリした「答え」に安易に飛びつかない(←今これを守ることの難しさ)ことも含めて。/『果てしなきスカーレット』をアニメ評論家が考える
www.youtube.com/watch?v=d7QQ...
NHK-FMで12月13日放送される『今日は一日“渋谷陽一”三昧』。ゲスト出演者発表。伊藤政則、大貫憲章、佐野元春、仲井戸麗市、山口隆、山崎洋一郎、吉井和哉 (五十音順) /
『今日は一日“渋谷陽一”三昧』 https://amass.jp/186625/?fbclid=Iwb21leAOiVOxjbGNrA6JU3GV4dG4DYWVtAjExAHNydGMGYXBwX2lkDDM1MDY4NTUzMTcyOAABHkweGqF3p3CwJWwibdZAThQv9dn2ffZ0PCGBPQe-wNYoqxwEhgHply71Qq1P_aem_wiWI5kiEFak9V4fnaadARg
『僕のヒーローアカデミア』という作品の同時代に生きていた幸福というのがある。そしてそれのアニメ化がこれだけ作り手の愛情と理解と表現を得られたものを観られる幸福というのがある。『ヒロアカ』を偉大だと思う大きな理由のひとつが次週の最終回に起こることだ。絶対に観るべきものだ。
07.12.2025 12:31 — 👍 0 🔁 1 💬 0 📌 0久しぶりに、自分の記憶力の曖昧さを痛感している。アニメ版の『ヒロアカ』で爆豪が一飛びでオール・フォー・ワンに追いつき「俺がラスボスだ」と啖呵を切る直前に、原作では見開きで追いつく瞬間を描いてたと思い込んでいたんだけど、そんなページはなかったらしい。
'25年アニメの私的ベストシーン。
米川正夫訳でドストエフスキーとか読んでると、すごく「19世紀に軸足の一方がある」感じがします。
06.12.2025 02:54 — 👍 0 🔁 0 💬 1 📌 0「こんなに炎上しているんだから、「それはきっとこういうことでしょうね」と説明するのが評論家の義務で、それをしないのは逃げだ」
……みたいなことを本気で思っている人がいるのか、と、いささか唖然としながら配信を拝聴しておりました。
いろいろ腑に落ちる解説だったと感じます。話の整合性より前にある動機が何かを探っておられるように感じたこととか、
初動の入らなさがとても考えどころなこととか。
流れてくる『果てしなきスカーレット』の感想投稿をちらちら読んでいて思ったのは、「ストーリーの整合性よりも優先して観るべき要素なんて、映画にはない」という考え方のほうが、やっぱり世の中には優勢なんだなあ……ってことだろうか。そうなれば、確かにあの映画は、大バツになるんだろう。
06.12.2025 02:43 — 👍 2 🔁 2 💬 0 📌 0そういう意味では、この『果てしなきスカーレット』で培ったものは、次かその次くらいの細田作品で存分に活用されるのかもしれない……とは思いつつ、(内容以前に)人が入らなかった理由、というのは、けっこう大事な考えどころになるのかもしれないとも思いました。
内容的なことで言うと、クライマックスで役所広司が演じる芝居を聞いていて、大地丙太郎監督の『今、そこにいる僕 NOW AND THEN,HERE AND THERE』のラストのことを思い出したりしました。……これくらいならネタバレにはならないと思うのですが。
そうやって観てると、途中に2度ほど入るダンスパートも、オペラで合間に挿入されるバレエのパートみたいだな、とか思ったり。あともちろん、主人公のスカーレットたちが中世ヨーロッパの人だっていう時代背景も、「オペラっぽい」という自分の感想を強めたかもしれない。
オペラっぽいなあ、と思ってるくらいなので、もちろん岩崎太整のスコアは、自分的には間違いなく、この映画の見(聴き)どころです。で、細田作品としては、3D映画『鬼太郎の幽霊電車』に始まる、CGとアニメの相性を探りながら掴んでいく、その路線にあるんだろうか、みたいなことをと思いました。
オペラって物語はあるけど、舞台演劇というよりはやっぱり音楽劇ということに比重があるんで、いわゆる筋立ての整合性とか、キャラクターに感情移入できるかどうか、みたいなことを追うことにあんまり重きをおかずに(少なくとも自分は)観てる、あの感じがすごくしました。
オペラの途中によく出てくる壮大なスペクタクルの見せ場が、舞台美術とかなるだけ大人数を出すとかして、音楽との相乗効果で、舞台の上で出来る可能な限りの壮大さを演出してる、ちょうどあれみたいな感じの「力の入れ方」感というか。台詞のやりとりが妙に儀式的な固さがあるところも、音楽劇っぽい。
「ものすごく高空から捉えた、膨大な群衆がうごめいている映像」とか、「空を覆うくらいに巨大なものが動いている感じ」とか、小道具や布地の「質感」とか、そういうところの表現の仕方はひたすら素晴らしかったんだけど、このスケール感や手触りは、画面が小さくなると、やっぱ減衰するよなと。
そういうこと込みで自分の第一印象は、なんかオペラみたいな映画だなー、という感じだった。全然詳しいわけでもないし、オペラ観劇に行ったこともない、映像とか録音で聴く/観る程度の人間の大掴みな印象だけど、スペクタクルと音楽のほうが、ストーリーの整合性とかより前に来てる感じが。
細田守監督の新作『果てしなきスカーレット』観てきました。なんか不入りみたいなので、やってるうちに行かなきゃと思ってたんだけど、これは映画館で観ておいてよかったと思ったです。
自分的に思ったこの映画の「うまくいってるところ」が、スペクタクル表現の突き詰めっぷりと、あと岩崎太整作曲による劇伴の素晴らしさだった。つまり可能な限り大きな画面と大きな音で初めて体感できるようなものだったんで、こんなに「映画館で観るべき作品」はない……というとこがなんとも。
中澤一登監督の新作!/ロンドンを舞台に贈る、大貴族と留学生の恋物語!Netflixシリーズ「プリズム輪舞曲」26年1月15日(木)より世界独占配信決定! https://about.netflix.com/ja/news/love-through-a-prism
27.11.2025 23:27 — 👍 1 🔁 1 💬 0 📌 0作品の「正解」を作者が握ってる――この考え方はものすごく根強いけど、言うまでもなく、親は子を完全に知ってるわけではない。「親として」子をよく知る、というにすぎない。
作品解釈の「正解」を求めたがる雰囲気が、「作者の意図の詮索」という方向に行きがちなことには、当然ながら根拠があるわけだけど、「私の息子/娘はこういう人間です」という主観は、必ずしも子供についての「正解」とは限らない。
人間を評価することと同様、そこに「正解」がある、と【過度に】思い込むことは、ひとつの作品を痩せさせることに繋がる気がします。
作者と作品を「親と子」になぞらえる考え方に対比されるのは、たぶん作者を「神」とする考え方だと思う。この場合、作品の解読には「正解」があり、それを握っているのは「神」である作者本人、ということになる。対して「親と子」という比喩は、「子」の行動を全ては把握できないことを含意している。
そして、もちろん、その「子」が生まれたときのことをいちばん切実に知っているのは、「親」であることはいうまでもなくて、その意味において「親」にインタビューすることの根拠はつねに大きいんだと思う。
「もはや貴族がオペラの担い手であった時代は去った。ナポレオン時代の人々は、ややこしい古典的教養などなくても楽しめる、血腥くも豪華絢爛たるスペクタクルを求めていた。オペラの観客は、古代の神話や歴史に通じた教養ある貴族ではなく、無教養な成り上がりたちだったのである。」
(岡田暁生『オペラの運命』)