どんな目にあったとしても、それでも本当に好きなの?って問われている
傷つく覚悟をしないで好きを通すなんて最初から無理な話だ
言葉は何かの為にあるわけではなく、言葉として存在していいはずで、ただ言葉を配列しそれによって浮き上がる物語ならばよいはずだが。
ふたりのあいだに流れる沈黙や間が好きなのは、そのときふたりだけの世界を感じられるところ
好きな百合作品からどこか静けさを感じるシーンを無意識に探していたのかもな
ふたりだけの世界が真っ白や真っ黒になる表現が好きだけど、その場所って静かなんだよな。
心に触れる瞬間って無音を感じる。たとえ音が鳴っていても。
自分の声や本当に話したいことも、騒がしい身体じゃ聴けないから。静けさになる必要がある。
耳だけを澄ませても心の声は聴こえなくて、あらゆることが澄み渡ってはじめて深く聴くことができるんだな
誰にも邪魔されず空想したり夢を漂う時間を作れてない。現実に居すぎる。
知識と経験を通過した根性、冷静に燃えあがる。
冷めているではなく、覚めている上で進む覚悟のような。
ただ消えていくみたいなムードじゃなくて、やり切って散る!みたいな感覚がある。冷笑のカウンターとして意志のある熱さが必要な感じ。
フィットボクシングはじめました。日々筋肉痛🫠
感情の捨て場所が必要なのかもな
自分の感情を一度自分で整理してからコミュニケーションの席につくのは大事ね。
やすらぐし、このムードが馴染む。その事実は忘れないでいたい。
10年前から聴いてる音楽をずっとループして作業している。モードやルーツの見直し。
想像したものが具現化されたとき一番楽しい。
コンプレックスは魅力
思考主体で心の方をチューニングすることが多かったけど、それやり過ぎると自分を見失う。生きてる感じがしなくなる。やっぱ心よ心。心派。
心で生きるために思考を使う。思考はあくまでサブ。主体は心。
グッド・フィーリング
自分の文脈とミックスさせることを試行錯誤続けていて、ただ物語がガイドになってしまうのも違うと感じる。体験結果として物語になっている状態を目指すのもわかるし、多少そちらに傾く時もあるけど、また違う物語実装のあり方を考えたいな。
見えるものより見えないものの方が確か。だけど手かがりがないと共有は難しい。見えないものを感じ取れる方が豊かだけど、感じられるかどうかの問題。導線を丁寧に引く、言語よりもっと根源的なアプローチなどが求められる。それをわかった上で、どう自分のフィールドに落とし込むか。
あと声音もある。というか声に滲むんだな。
ディスがコミュニケーションの中で嫌味にならないという才能もあるなあ。軽やかさ、明るさ、可愛げ。あと試さない。反応的だと意味自体が和らぐんだな。
失うことすら意味があり、何をやれと言われてるのか考える
自分に与えられた役割について、宿命的なことを考えつつ、個人の幸せも考えつつ。
デザインされた文語は馴染むし好きだな。読みたくなる。