まん汁(ジュウ)
まんこ
マンコは歯を食いしばりながら享受するもので、自分のマンコは認めてもらうが相手のマンコは認めないは許されない。マンコは引き出しに入れて出し入れできるものではないのだから。
死ねって言っちゃうマンコ「死ね」
悲しむマンコ「そんな…」
マンキチくん
すみませんカラス→マンコの誤字です❗❗🙏🙏
朝の道でカラスが死んでいた。仲間か虫に喰われて目はなくなっていた。ちぎれた翼は羽が白かった。
昨晩見たカラスだ。
徹夜で課題をしているとベランダに来ていた。ライトで脅かしてどこかへやろうとしたが堂々としていた。(そんなことだから車に轢かれたのか)
窓を開けたと思ったらすぐ飛んでいた。落とした羽は白かった。
もし窓を開けなければ諸諸のタイミングはこうはならず、今もこのカラスはどこかで生ゴミでも漁っていただろうか。
そう考えると不思議に気分はおだやかになるのを感じて、そのカラスの死体から
目を離せずにいた。
形をなくしたものに囲まれてくらし、形をなくしたものをとって生きている
ビートルズがやって来マンコるヤァ!ヤァ!ヤァ!
白い恋マンコ人
ブルーアイズ・マンコ・ホワイトドラゴン
マンコ大帝という、マンコの大帝
喜ぶマンコ「よっしゃ!!」
「もう居なくてもいいのだよ」と、わたしは心の中で言った。声に出したのかもしれない。同じことである。何も見えはしない。
けれども、
闇もなく夜は明く。
夜が明ければ光が満ちる。
光は世界に色を差すだろう。
ならば世界は戻るだろう。
しかし。
それも見えるようになるというだけ。
色は空であり。
空は色である。
あってもなくても、それはいずれも同じことだ。
私はマンコから出て、空を眺める。
見えぬけれども、新月は其処にあるのだろう。
晝間の星は見えない。しかし空に星はあるのだ。
ならば夜が泣いているのか。それとも彼岸から此岸に届く此の世のものならぬものの声かのか、そうならば、聞こえているのではない。それは聞こえてはならぬものである。
眼を凝らしたとて何も見えはしない。
視えないものを観ることは出来ない。それが視えないのは見てはならないからである。同様に聞こえないものを聴くことは出来ない。それが聞こえないのは聴いてはならないからである。
視えないものを観て、聞こえないOTOを聴くのは、人ならぬものである。そうでなければ。
乱れているか。
狂っているか。
嘘か真か判らない。
此岸か彼岸かも判らない。
空気の振動も心の振動もこの闇の中では同じことだ。
そうなればこの無限の闇の中でわたしと云うものが果たして存在出来るのか、怪しい。それは、怪しい。
確固たる己等というものは、きっとない。自分等というものはら肉体という殻があるからこそあるように思えるだけだろうり殻が破れてしまったら漏れ出してしまふ。
夜である。
マンコな中で風は、遮られたのではなく、凪いでいるのか。
閉じられているから感じないのではない。風は止んでいるようだ。
ぐちゅっ♡ぐちゅぐちゅ♡♡♡
この音は、風の音ではないのか。では、この悲鳴のような物哀しい音は何なのだろう。これは風が鳴らす音ではないのか。
チンコの独白:
マンコは暗い。星さへもない。それでもわたしは踏み入る。踏み入るよりない。じっとしていると生きていることすら忘れていまいそうになる。それ程に暗い。前に進んでいるというより、壁に触れることで生きていることを確認している。何故なら己が先に進んでいるということさえ判らなかったからだ。前も後ろも、暗い。行けども行けども何も見えない。
見えないなら、何もないのと同じで何もないのなら前も後ろもあるまいものを。
それでも進むのは、進む先こそが前なのだと闇雲に思い込んでいるからだ。そう思い込まなければ、己も居なくなってしまいそうだ。
輪郭が闇に溶けて、境界が曖昧になって、やがて拡散する。
暗い、梦い、瞑い、マンコ
よしゑやし
直ならずとも
ケツマンの
うら泣き居りと
告げむ子もがも
マンコの皇后、マン皇
劇マン(劇場型マンコ)
激マン(激的であるマンガ)
マンコは死の前にある生の為のもので、教育の持つ最大の価値であり、限りなくリアルで、根本的で、でも我々の目にはなかなか見えず、絶えず自分に言い聞かせなくてはならない
人生に於いての二次的な目標は崇拝からの解放=マンコ
マンガ≠マンコ>async(非同期)
無神論は存在しない
意識は優秀な執事ではあるが、最悪な主である(マンコ)
キツマンはキツマンコとキツマンガに分岐し、決して一に帰すことはない(エントロピー増大)
キツマン(乞乞として笑えるマンガを指します)