「愛するが故に、愛されることを欲すのではない──「故に」からではなく愛されることを欲する。」
「愛情──かの性情は彼の身近くに、いわば、この瞬間においてはこの者のほかに世界には何者もいないかのごとく、足を留めるのである。」
ゲオルグ・ジンメル|吹田順助訳|愛の断想[附・原文]|1921年
Image: Unknown “Underpass-New York”, 1933-1934.
www.project-archive.org/0/152.html
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ARCHIVEは、思索と制作をめぐる言葉を再発見し、公共に共有する学術プロジェクトです。 展示:TOKAS OPEN SITE 9「水の博物館」(KANTO 〈佐藤浩一 + ARCHIVE〉)|TOKAS本郷 + 東京都水道歴史館|2025年1月11日 - 2月9日 Web Site: https://www.project-archive.org/ LINKTREE: https://linktr.ee/project.archive
「愛するが故に、愛されることを欲すのではない──「故に」からではなく愛されることを欲する。」
「愛情──かの性情は彼の身近くに、いわば、この瞬間においてはこの者のほかに世界には何者もいないかのごとく、足を留めるのである。」
ゲオルグ・ジンメル|吹田順助訳|愛の断想[附・原文]|1921年
Image: Unknown “Underpass-New York”, 1933-1934.
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「俳優は機械ではありません。世間の人がどんなに機械だと言いたくても、やはり機械ではないのです。創造性は人間性から出発しなければなりません──ゲーテは『才能は衆目にさらされないところで作られる』と言ったそうですね。実際その通りです。」
マリリン・モンロー|『リーダーズ・ダイジェスト』編集部訳|ラスト・インタビュー|1962年
Image: “Marilyn Monroe in How to Marry a Millionaire”, 1953.
www.project-archive.org/0/151.html
「感動と行為とを伝達する視覚の言語──マンガ映画は、全世界の大衆に向かって話しかける。」
「映画は大衆の感受性に働きかける……興奮した大衆は、あるいは笑い、あるいは涙する。──観客は無意識のうちに影響される。」
ウォルト・ディズニー|『セルパン』編集部|『スタア』編集部|映画と大衆|1937年
Image: Walt Disney, “Steamboat Willie”, 1928.
www.project-archive.org/0/150.html
「天才とは不思議な植物である。冷たい風のなかでは育つが温室では萎んでしまう。」
「彼の映画が笑いと同時に涙をももたらしていることを忘れてはいけない──彼は笑いによって名声を得てはいるが、彼が観客に与えようとしているものは実は涙なのである。」
ウィンストン・チャーチル|『スタア』編集部訳|チャップリン|1938年
Image: Charlie Chaplin, “The Kid”, 1921.
www.project-archive.org/0/149.html
「ヒトラーは全個人のシンボルであり、人間の劣性の驚くべき権化であった……ドイツ国民がもし賢明であったなら、ヒトラーのなかに自分自身の影を、自分自身の最悪の危険性を認めたであろう──最悪の敵は諸君の心のなかにある」
C・G・ユング|『ワールド・リスナー』編集部訳|影との戦い──敗戦ドイツの心理的研究|1946年
Image: Francisco José de Goya y Lucientes “Fight to the Death with Clubs”, 1820-1823.
www.project-archive.org/0/148.html
ナチス・ドイツの映画と宣伝、文化統制に関する4資料をまとめました。
①『ドイツ映画』誌に寄せて(1942年。ヒトラー、ゲッベルス)
②ナチス宣伝省の概略(1934年。ゲッベルス)
③ナチスの芸術批評禁止案(1936年。同上)
④映画院総統による映画論(1942年。フレーリッヒ)
「演劇、映画、文学、ラジオ、これらはすべて、我が国民性の本質中に生存する永遠なる価値の保存に役立たねばならぬ。」(アドルフ・ヒトラー)
「党の高き理想のために各人は自己を犠牲に捧げよ──」(ヨーゼフ・ゲッベルス)
アドルフ・ヒトラー|ヨーゼフ・ゲッベルス|カール・フレーリッヒ|ARCHIVE編集部編|ナチス・ドイツの映画と宣伝[4資料]|1934-1942年
Image: “Adolf Hitler's speech in the Reichstag”, January 30th 1939.
www.project-archive.org/0/147.html
「観念の製造者たちはすべて男性である。これは我々の責任感を鈍らせる──「私は精神的な闘争を止めないだろう」とブレイクは書いた。精神的な闘争とは時流に順応して考えることではなく、時流に逆らって考えることである」
ヴァージニア・ウルフ|空襲下で平和について考える|1940年10月
www.project-archive.org/0/146.html
「爆弾が落ち、窓がガタガタと震えた──恐怖以外の一切の感情は停止した。……友達の声が甦ってくるし、詩の断片が帰ってくる。これらの思想は、たとえ記憶の世界であろうと、恐怖や憎悪の感情よりははるかに積極的で創造的である。」
ヴァージニア・ウルフ|『セルパン』編集部訳|空襲下で平和について考える|1940年10月
Image: “Virginia Woolf at Monk's House”.
www.project-archive.org/0/146.html
「われらの姉妹、すなわち肉体の死のゆえに、わが主を讃美せよ
何人もこれより逃がれて生くるものなし」(「被造物の賛歌」)
(神を)「志した人々は、彼らの所有し得るほどのものを、みなことごとく貧民に分配した。彼らは一枚の内からも外からも綴られた下衣をもって満足し、縄を帯として股引きを履き、……その他のなにものをも願望しなかった。」(「遺言」)
アッシジのフランチェスコ|中山昌樹訳|被造物の賛歌・遺言|1224年ごろ・1226年
www.project-archive.org/0/145.html
「どこの海岸に行っても過去と未来がこだましている。──海が新しい海岸線をつくり出すごとに、いろいろな生物の群がそこに向かって波のように押し寄せてきて、新しい足場をつくる。」
レイチェル・カーソン|『リーダーズ・ダイジェスト』編集部訳|海辺の生の神秘|1956年
Image: Jaana Siitonen, “Larus canus Pair”, 2023, licensed under CC BY 4.0.
www.project-archive.org/0/144.html
「課題を解決するために、思想を高めること。
未来のために、過去の経験を動員すること。
疲れを知らずに創造の仕事を続けること。……
映画芸術は、この偉大な思想を大衆のなかに持ち込むためにある──」
エイゼンシュテイン|だが、なおも前進せよ[未完の遺稿]|1952年
Image: Sergei Eisenstein, “Battleship Potemkin”, 1925.
www.project-archive.org/0/143.html
エイゼンシュテインは、いまでいう「クィア」の映画監督でした。数々のホモセクシュアルな落書きを残していますし、映画のなかでも稀に男性美が描かれます。
スターリンが主導する社会主義リアリズムのなかでは抑圧されがちな事実でしたが、現在では大切な視点なため、この際リマインドをしておきます。
「ほとんど誰一人として、映画を現代の芸術の最も重要なものの一つとして、巨大な精神的進歩のファクターとして、大衆の社会的発展の武器として理解してはいなかった──」
セルゲイ・エイゼンシュテイン|『ソヴェト映画』編集部訳|ソヴィエト映画の三十年とロシア文化の伝統|1950年
Image: “Sergei Eisenstein”, 1927.
www.project-archive.org/0/142.html
「芸術家がその思想を生きた形象として映画に吹き込むならば、数千万の人々の意識のなかへ深く入っていくことができる。──映画の作用こそは演説の言葉よりも、新聞の記事よりも、書物や演劇あるいはラジオよりも、はるかに強力なのである。」
フセヴォロド・プドフキン|『ソヴィト映画』編集部訳|ソヴィエト映画の創作方法|1951年
Image: Vsevolod Illarianovich Pudovkin, “Мать”, 1926.
www.project-archive.org/0/141.html
「すべて天才の映画は好かれるべきでなく、理解さるべきものである。」
「映画の本質──それは決して確実な創作でなく、影像の過ぎるミリューによって変容されたものである。」
エミール・ゾラ|坂崎登訳|映画的芸術論|1864年
Image: Auguste Edouart, “The Magic Lantern”, 1835.
www.project-archive.org/0/140.html
PFAS問題の取材過程で入手した、大阪府の内部文書を公開しました。
汚染源とされる企業と、汚染に対処するはずの行政が協議を重ね、情報公開を調整する様子がうかがえます。
「摂津市:市としては3者会議のことをどこにも伝えていない。」
「ダイキン:府の公表資料の範囲なら全く問題ないが、敷地内の濃度は公表してほしくない。」
「摂津市:汚染の原因はどこかと聞かれたら今は「わからない」と答えている。」
大阪府・大阪府摂津市・ダイキン工業株式会社|神崎川水域PFOA対策連絡会議議事録[第1回〜第19回]|2009年10月26日〜2020年6月30日
www.project-archive.org/0/138.html
「日本の化学産業は、昭和時代から「モノマネ」主体のビジネスモデルで事業を構築しており、欧米のメーカーがどう製造しているのか、本質のところがわからないんです。トライアルアンドエラーを繰り返して「根性」でやってきた。それで日本中が公害だらけになってしまった時期もありました。環境を犠牲に安価な製品をつくることで、欧米に迫ろうとしていたわけです。」
竹田学|聞き手:KANTO(佐藤浩一+ARCHIVE)|日本の化学の諸問題
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/137.html
「誰も何も考えてない。空虚なのです。みながそれぞれ別々の解釈をもって、別々の見通しをもって、お互いを忖度してなにやら言っているうちにカオスになり、誰も責任をとらないという状況が生まれてくる。戦前からつづいているような問題です。」
京都大学名誉教授・病体生理研究所環境発がん研究センター所長・小泉昭夫|聞き手:KANTO(佐藤浩一+ARCHIVE)|日本の公害と「アジア性」資本主義|2024年10月21日
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/136.html
「水道水にPFASが多く含まれている地域では、住民の血液中にもPFASが多く含まれている——」
「市民による調査、市民による科学は、市民の目線から地域の課題を解決していく上で重要です。こうした運動は、海外ではよく見られるのですが、日本でも広がっていく必要があるでしょう。」
京都大学准教授(環境衛生学)・原田浩二(聞き手:KANTO〈佐藤浩一+ARCHIVE〉)|PFAS — 永遠の化学物質|2024年9月30日
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/135.html
「自然環境の保全活動は、とにかく長く継続すること——」
藤木千草|都市型自然の保護運動—国分寺の湧水と地下水保全活動について|2025年
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/134.html
「神田上水は、江戸最初の水道(上水)として、井の頭池を水源とする現在の神田川から目白台下の大洗堰で取水し、名園後楽園を有する水戸藩邸を通って神田川を掛樋(木製の水管橋)で越え、神田や日本橋方面の飲み水として、江戸時代の初めから明治時代まで、長く江戸の人々の生活を支えた。」
東京都水道歴史館|神田上水石樋|2024年
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/133.html
【武蔵野文化協会と『武蔵野事典』について】
武蔵野文化協会(前身「武蔵野会」)は大正5年7月に創立。旧武蔵国を中心に、 武蔵野の歴史と文化を調査・研究してその成果を『武蔵野』に発表。『武蔵野事典』は、『武蔵野』創刊100周年を記念(大正7年7月創刊)して、令和2年5月に第359・360号として刊行。『武蔵野』は現在通巻362号。
武蔵野文化協会WEBサイト:https://musashinobunka.jp/
「人々が武蔵野に住まいを求める動きが出始めるのは、関東大震災以後である。震災で住宅を失った人々の目が一斉に武蔵野へ向けられたからである。」
武蔵野文化協会|武蔵野の環境と人間|2020年9月
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/132.html
【武蔵野文化協会と『武蔵野事典』について】
武蔵野文化協会(前身「武蔵野会」)は大正5年7月に創立。旧武蔵国を中心に、 武蔵野の歴史と文化を調査・研究してその成果を『武蔵野』に発表。『武蔵野事典』は、『武蔵野』創刊100周年を記念(大正7年7月創刊)して、令和2年5月に第359・360号として刊行。『武蔵野』は現在通巻362号。
武蔵野文化協会WEBサイト:https://musashinobunka.jp/
「武蔵野台地は主として砂や礫で作られた層と、関東ローム層から構成されている。砂や礫は水が溜まりにくく、地表面を流れる大河川もない。そのため江戸時代までは草原や林が広がる平地として放置されていた。砂礫層の下の古い地層が不透水層となって地下水を貯留していたのだが、台地の西部では非常に深い位置となるため、深井戸を掘る技術が未熟の時代には利用できなかった。」
武蔵野文化協会|武蔵野の自然|2020年9月
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/131.html
「地下水はローム層中にも湛えられている。東京新市域の大部分の井はかようなローム井で、したがって浅い。……水質はよく味もなく、癖のない水であるが、浅いため下水の近くなどでは汚されるおそれがあり、沢庵工場の近くの井などは塩気を帯びてみて茶を沸かしてもまずいというような場合もある。」
吉村信吉|武蔵野の水|1941年
Image: Sato Koichi, “The Musashino of Today”, 2024.
www.project-archive.org/0/130.html
「志賀重昴の風景論の説く日本らしい風景のすばらしさ、美しさに応じて不同舎の画家達は描いている。ただしなるべく素顔の日本の風景、つまり奇観、奇岩はないが、平遠な武蔵野を描くことに徹していた。」
志賀秀孝|鹿子木孟郎——明治の武蔵野と不同舎|2014年9月
www.project-archive.org/0/129.html
掲載を許諾いただいた志賀秀孝氏、鹿子木孟郎「田無町近郊 野狼半夜来求食」(1893年)のデータを提供いただいた府中市美術館に厚く感謝申し上げる。