@sparrow-s-a.bsky.social
プラ板工作のフルスクラッチビルドによる架空戦闘機やロボットの模型とそれらを用いた空撮風画像を作っています(下記のサイトに置いてあります) ※画像の流用・転載はお断りしております。 Webサイト : http://sparrow.o.oo7.jp/ 画像置き場 : https://www.deviantart.com/sparrow-s-a 画像置き場(その2): https://www.artstation.com/sparrow_s_a
移行期間中に全ページのhtmlを書き換えないとなのだけど、良い機会だからWebサイトの構成も更新した方がいいかしら(何しろ、2015年に変更して以降そのまんまなので)。
08.10.2025 12:48 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0HTTPS化された。暗号化され安全なWebサイトになった、とも言う。
メールフォームすら装備してないので、「この接続は安全ではありません」という文言が消えた、くらいしか利点が無いのだけど。
じっさい、プラキットがより組み易く/精巧・精密となって何が起こったか。手工作の要素が減って(同時に工作的な要素としてデジタル造形の比重が上がり)、そもそも仕上げ・塗装に主眼が移ったように思えるのも、それが原因と思うのだけど。
キットのプロポーションやディテールの完成度が高いので、それに手を加える難易度がはね上がってしまって、グールド先生の言うところの「右の壁」により近づいてしまった(とつぜんぜんぜん関係ない例えを用いるのはやめろ)。
それでも、ランナーから手で捥いでパーツ整形して組み立ては要するんですね。その要素、要る?などと言ってもいい。そもそも、工作とは。
プラモデルキットの、プロダクツとしての出来が無駄に良いのが悪い(やつあたり)
08.10.2025 08:51 — 👍 3 🔁 1 💬 1 📌 0特に、むかしのガンプラブーム/プラモデルブームを経ている世代であれば、少なくない人々が手工芸的な意味での模型趣味を通過してきているので、上記のようなスクラッチビルド、あるいは既存のキットを徹底的に工作し改修し作り上げる、といった模型工作の価値や概念を共有してもらい理解してもらうことは、さほど難しくはなかったのかも知れない。
しかし、現在では、もはや違う。
プラモデルという、考えてみれば極めて不完全かつ、そもそもどういう意義があるものか判りにくいプロダクツに根差す模型趣味というものは、たぶん以前よりも懇切丁寧に説明を要するのではないか(そのうえで、選択してもらえるのか否かは別問題だけども)。
では、僕がやっているこれ↓を丁寧に言語化すれば、
既存のパーツ等の流用はいっさいせずにプラ板(およびプラ材)のみを用いて切って貼って積層し削り出して整形し、それら手作業によって造形する。すなわちマテリアルに直接触れて視て工作する感覚、そしてそのフィードバックによって立体物を形作りつつデザインをする(僕の場合、オリジナルもそうだけど、二次創作物においても独自のアレンジをするので)。
これらは想像されるとおり、たいへんに面倒な工程であり相応の時間がかかる。であるが故に、完成すれば達成感が大きい。しかしながら、以上はすべて個人的な主観的な体験であって、基本的には余人に共有してもらうことができない。
で、在野の人間に何が出来るのかと言えば、過程を視覚化して出来るだけ言語化して伝える、それを繰り返す。というぐらいなのだけども。
08.10.2025 06:08 — 👍 5 🔁 2 💬 1 📌 0模型趣味ってのは、主観的な体験(ここではキットを組む・整形する・塗装する、などといった所業を指す)の価値を比較的重視するものだと思うのだが(もちろん、ただ単に完成品を眺めるだけ、といった価値観もあるのは理解しているが)、
体験として主観的である以上、余人にその面白さ楽しさを伝えるのは根本的に困難が伴い、なのでそれを積極的に伝達する努力でもしなければ、趣味としての模型製作というのは早晩衰退してしまうのではないか。などと最近よく考える。
ただ単に、「よくわからないプロセスにより成立した精巧な立体物を鑑賞する」趣味になってしまわないか?大丈夫か?
「機動戦士Gundam GQuuuuuuX」のジオン軍強襲揚陸艦ソドン。
1/2000スケール、フルスクラッチビルド。
12月頃まで、DCM倶知安店の模型コーナーに展示してあると思います。
近所の模型コーナー展示、入れ換えの時期なので強襲揚陸艦ソドンを準備。左右砲架のジオン国章はカービングをやめて埋めて塗ってデカールに変更。
01.10.2025 12:14 — 👍 11 🔁 0 💬 0 📌 0慣らし運転はほぼ終わり(なので、あんまり模型はしていません)。
30.09.2025 09:37 — 👍 4 🔁 0 💬 0 📌 0リセプタクルの工作途中で止まってるやつ。
これ進めて11月の「北海道SF模型展示会」に持って行くつもり。"日本ハードSFの名作を完全映像化"したOVAの登場マシンだから、間違いは無いはずだ。
ちょっと小さかったので。
28.08.2025 11:05 — 👍 8 🔁 0 💬 0 📌 0くりかえすけど、見かた捉え方は人それぞれだ。
しかしここで、身体性という視座で捉えた場合どうなのか?という問いかけが、他でもない「絵を描く人」から発せられたのであれば、その身体性という観点において僕らがやっていることがはたして何なのか?という自省くらいは、有って然るべきであろうし、「プロセスの如何によらず、出来上がったものは同じジャンルです」という言葉は、ちょっと短絡的に聞こえる。
いや、ちがうか。
せっかく興味を持ってくれているのだから、詳しく説明すればいいのに。
と言った方が適切か。
例えば、「身体性のベクトルがちがう」くらいの説明はあって然るべきだと思うが。何も「眼で見て、脳で考え、手を操って形を作る」のが身体性だ、などという単純な話ではなく(じっさい、僕もよく考えてみるまでは解像度ちょっと低かったが)、
人間特有の事物の見え方・捉え方を理解し、それを(ふつうは)平面の画面という間接的なインターフェース上で、ソフトウェアの機能を駆使して形に変換し、構築し、調整する。しかもそれらが実空間に存在した場合のイメージを保ちつつ行う作業である、という言い方をすれば、極端に視覚に依存はするものの、それもまた一つの身体性だと言うことが出来る(僕はデジタル造形やらないから知らないけど)。
特に、模型製作というのは、しつこいようだが主観的な体験の重要度が比較的高い趣味ではある(なんでバラバラのパーツがランナーに配されたプロダクトを購入し、組み立て、整形し、時に改造し、整え、塗るのか。考えてみるまでもないではないか)。完成品を愛でるのは当然としても、そこに至るまでの工程・過程をも楽しむのが模型趣味であると言って間違いではないと思う(ときどき面倒くさくてイヤになるが)。
そして、先述の問いに対し答えを返していた諸氏も、言ってみればそうした模型文化の延長にあるガレージキット、という文脈の中に居る方々のはずだけど(絵、あるいはCGの領域から来た人も、最近は増えてきたが)。
そこで、最初の文脈に戻る。
問うている方はイラストレーターなので、当然絵画のこと、現在では描画のためのデジタルツールが普及し、しかし古典的には各種の画材とか技法などによって比較的細分化されたジャンルを持つ、そういう世界での基準によって、ここでは同様の目線で模型/造形というものを捉えているであろうことは想像できるし、問いの中には「身体性を伴うかどうか」という前提も書かれていた以上、それは造る人の見かた・考え方を訊ねていたとみて、さほど的外れではないと思うのだが。
それに対する回答が前記したようなものというのは、ちょっと勿体ないと思う。