独裁国家はスプリンター、民主主義はマラソンランナーだ。
中国の急成長に世界が畏敬を抱いていた2015年、ある政治学者が冷静に予言していた——「急速な成長の時代の幕は下りつつある」と。
独裁者はイエスマンに囲まれて無謀な判断を下し、自らの権力を脅かす改革を潰す。
議論の紛糾も決断の遅さも、バグではなく破滅を防ぐ機能。
民主主義の戦争勝率77%という数字が、その「しぶとさ」を物語る。
synodos.jp/opinion/international/30571/
独裁国家はスプリンター、民主主義はマラソンランナーだ。
中国の急成長に世界が畏敬を抱いていた2015年、ある政治学者が冷静に予言していた——「急速な成長の時代の幕は下りつつある」と。
独裁者はイエスマンに囲まれて無謀な判断を下し、自らの権力を脅かす改革を潰す。
議論の紛糾も決断の遅さも、バグではなく破滅を防ぐ機能。
民主主義の戦争勝率77%という数字が、その「しぶとさ」を物語る。
synodos.jp/opinion/international/30571/
「やさしい社会」は、やさしい人が増えれば実現するのか?
アダム・スミスの答えは明快だった。
やさしさがなくても社会は持続するが、正義が崩れれば社会は壊れる——。
「いい人」がいなければ成立しない社会では、誰もが無理をし、やさしさはすぐに摩耗する。
やさしさを守るものは、やさしさではない。
感情ではなく「構造」を問い直すところから始めよう。
future.synodos.jp/38/
「リベラル」と「レフト」は同じものだと思われている。
だが本来、両者は水と油だ。
リベラルは「あなたの意見に反対でも、言う権利は守る」。
レフトは「その意見は抑圧に加担しているから、発言権を認めない」。
正義の名のもとに自由を踏みにじるのか、不正義と戦いつつ自由を守るのか。
この混同こそが、リベラルが「サヨク」とひとくくりに憎まれる元凶だ。
いま必要なのは「絶縁状」かもしれない。
synodos.jp/opinion/politics/30566/
タイパを重視し、効率よく正しい判断を重ねる。
それが「賢さ」だと私たちは信じている。
しかし経済学者アマルティア・センは、そんな合理的な人間を「合理的な愚か者」と呼んだ。
目標を効率よく達成しても、その目標自体が正しいかは問わないからだ。
私たちは「知らないことすら知らない」状態で生きている。
では本当の賢さとは何か——それは自分一人の頭の中にはない。
future.synodos.jp/36/
ノーベル経済学賞受賞者アンガス・ディートンの「懺悔」が痛烈だ。
経済学者たちの提言は、効率性の名のもとに富を上へ上へと吸い上げる「略奪の許可証」に過ぎなかった——。
労働組合を「市場の邪魔者」と切り捨て、格差に抗議する声を「経済のわかっていない人たち」と軽視した。
その傲慢さこそが、リベラルが「裏切り者」と呼ばれるようになった最大の理由ではないか。
synodos.jp/opinion/economy/30549/
一票を投じても何も変わらない。
声を上げれば「わがまま」扱い。
そうやって「小さな暴力」を我慢しているうちに、暴力を暴力と感じる感覚すら奪われていく——。
しかしハーバードの政治学者チェノウェスは、20世紀の運動を分析し驚くべき数字を示した。
人口のたった3.5%が動けば、社会は必ず変わる。
100人の会社ならわずか3人。
最初の一歩は、違和感を誰かひとりに話してみること。
future.synodos.jp/34/
リベラルが「国家」をゴミ箱に捨てているあいだに、排外主義者がそれを拾い上げ、強力な武器に変えてしまった——。
「愛国心=右翼」という思い込みこそが、リベラルの致命的なミスだった。
じつはアメリカでは白人よりも黒人の方が「アメリカ人であること」を重視しているというデータも。
「この国が好きだ。だからこそ差別を許さない」——そう言える「熱いリベラリズム」の可能性を探ります。
synodos.jp/opinion/politics/30513/
「もっと効率的に」「もっと生産的に」「もっと健康的に」
——その内なる声は、ほんとうに「自分の意志」だろうか?
フーコーが描き出したのは、命令も禁止もしないのに人を従わせる権力だった。
見張りがいなくても自ら従順になる。
自由だと思い込んだまま服従している。
では、そこからどう自由になるのか。
見えない「まなざし」に気づくことから始まる。
future.synodos.jp/24/
なぜ「リベラル」はこれほど憎まれるのか?
——敬虔なキリスト教徒だったロールズは、戦争体験で信仰を失い、代わりにリベラリズムに「救い」を見出した。
だが晩年、彼は自らの理論が「独善」に陥る危険を誰よりも深く恐れた。
「私の価値観は正しい。だからお前もこう生きろ」
——それはリベラルが最も嫌うはずの狂信ではないか。
「公的な謙虚さ」と「私的な情熱」を両立させる道を探ります。
synodos.jp/opinion/society/30368/