ですよねえ。これでホントに冬なんか来るんだろうかと不安になってしまいます
暑いですよねえ。やっと涼しくなった! と思ったのに……
フィクションに対する感想は人それぞれで、世間的に大傑作とされていても「なんだこんなの面白くねえ」となることは当然あるし(逆も然り)それは尊重されるべきですが、それはそうとして「そりゃあお前見当違いだよ」という話はあるわけです
ゲゲゲの謎をやたらともてはやす言説にも同じくらいげんなりしている(ゲ謎はそれなりに楽しんだけれども瑕疵がなかったとは到底いえないし、個人的にはそれがとてもひっかかったので)
マイゴジが完璧な傑作だとは思わないけど、それでもわたしは十分以上に楽しんだし、だからこそ「なんぼなんでもその見立てはねえだろ」という話をされてはげんなりするしかない
マイゴジについて、てんで的外れと思える言説をあれこれ見てげんなりしている
あえてスコープを載せて簡易狙撃銃として使うか、さもなければモンスター相手の切り札にするかってところじゃないかと思います
マグナムだからマグナム!
そこで何食わぬ顔で登場する22WMR(マグナムだからマグナムだいという顔をする)
実質マグナム論法を使えば、10ミリオートや45スーパー、460ローランド仕様のオートマチックもマグナムオートと言い張ることができます。そんなばかな! といわれたら、銃を突きつけて脅かせば済むことです。
マグナムオートといえばデザートイーグルがほとんど独占状態というのがねえ。そうだ、実質マグナムってことでFKブルノ7.5とかどうでしょう……
これなら、うーん、いっそオートマグとかの方が……
“批評の死”の原因はいくつもあるでしょうが、その中には「仕合に負けたならばいさぎよく腹を切る」という批評家が減ったというのもたぶん(ほんの少しは)あるんでしょう。
批評は極論、作品との真剣勝負であり、しくじったら批評家が腹を切るくらいの覚悟が必要だとも思っています。そういう胆力のない人が批評をやっても何も面白くないし、得るところがない。
わたしは、批評にはポジティブな力があると信じてますが、“批評”によってズタボロに攻撃されてきた(と信じている)人たちに、わたしの信念は易々と通じはしないでしょう。長い時間をかけて説得せねばならず、それがうまくいくかどうかもわかりません。ただ、少なくとも、わたしはあなたがたの愛するものをないがしろにしたりはしない、真っ当に向き合って評価する、ということだけは前もって発信せねばならない。それが批評のための前段階ということになるでしょう。
“批評の死”はわたしもよく考えることですが、これまでアニメや漫画が文化的・社会的に周縁に置かれ、低い扱いを受けてきたということを考えると、あまり責め立ててもなあという感じもあります。映画や小説でもホラーやSFは同様の扱いを受けてきましたし、こうしたジャンルでは批評があまり重視されないとも感じるのですよね。それは結果的にはよくないと思うのですけど、こうした部分を真っ当に批評するには、まず“正統な文化”として遇する必要がある……というのが最近考えていることです。
こういう話をすると『虐殺器官』の一節が思い出されるんです。助けてください、助けてくださいと声をあげても、誰にも聞いてもらえずに死んでいく人がこの世界には大勢いる、というくだりですね。それは兵士たちだって同じことで……ジョン・ランボーの叫びにトラウトマン大佐(と観客)は耳を傾けてくれましたが、ゴミのように捨て置かれ、じくじくと血を流しながら朽ち果てていった兵士は数えきれないほどいたでしょう
今のイスラエルのガザ侵攻でもそうですが、自由な報道によって現地の状況がわかるだけまだマシで(そういう報道を許しているだけ、イスラエル軍と政府はまだギリギリ“最悪”ではない)、本当に恐ろしいことはたぶん広く知られないんですよね。たとえばアフリカ諸国でワグネルなどのロシアの傭兵がやっている蛮行の凄まじさときたら、本当に身の毛がよだちますが、大きく報道されませんから広く知られることはない
ソ連のアフガン侵攻が“ソ連版ベトナム戦争”と呼ばれつつも、ソ連国内では速やかに“忘れられ”、多くの兵士や下士官が傷ついたまま放置された……という事実を知ると、そのあたりますますうなずける話だという気分になってきますね
あと、ベトナム戦争についてはフランスの植民地政策の失敗の後始末という側面もあるので、そのあたりでも「本来我々の戦争ではない」という認識が米国側にあったとしても不思議ではないと思います
ベトナム戦争は“忘れたくても忘れることを許されない”戦争だったと思うのですよね。それは、世界ではじめてリアルタイムで中継された戦争であるということと切っても切り離せぬ関係にあると思います
韓国軍の勇戦・奮闘にも関わらず米国では半ば“忘れられた”朝鮮戦争という事例を考えると、この手の話はいろいろ考慮すべき要素が多いと思います
SF/ファンタジー実写作品が一般向けとして地位を確保しているのはうらやましい感じがありますね。日本だとそのあたりはやはりアニメに食われてしまったんでしょう。また、単純にお金も手間もかかるので、今やすっかり貧乏性になった日本の映画会社やテレビ局はその手の作品の制作にしり込みするでしょうしね
アメリカにも偏見は根強くあるし、ある点では日本よりひどいと思います。アメリカは日本よりよほど保守的でマッチョな思想が強い部分があるので、大人向け/子供向けをより苛烈に峻別するし、アカデミー賞の選考基準だってかなり保守的です。結局、賞レースは文芸作品有利ですからね。サー・リドリーは黒澤と同系統の監督だからこそ批評家筋の受けがいい。また、ブロムカンプの路線は結局長続きしなかったということも考えなきゃなりません。ああいうシリアスなSFは人を選ぶってことです。
単にプロットを書いてるだけだと頭がこんがらがるので、進行表を作っていつ謎を開示するか……みたいに管理しています
いま書いている話は結局ミステリーっぽくなりそうで、そこにバイオレンスアクションと百合をまぶした感じになるんですが、このミステリーってやつが曲者で。情報をどうやって出していくか、何を隠すかが大事なんですよね。読む側に対してアンフェアにならないように謎を提示していくのが難しい。
面白いお話を考えるのは楽しいが大変だ
「本当はたぶんこうはならない」とわかっていて、それでもどうやって面白くウソをつくか、というのが本当に難しい
リアリズムとエンタメ的面白さとの兼ね合いに頭を悩ませている
ありがとうございます