世話人をしている集まりで、「非行・犯罪カンファレンス」という催しを行います。第一回のテーマは、「性犯罪とアタッチメント」です。広く性加害に関心のある臨床家や専門家の方に、お越しいただきたいと思います。講師は、工藤晋平先生(Xでのアカウントは@shimpei_kudo)です。どうぞ、ご参加ください。
11.01.2025 13:42 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0@autos2el.bsky.social
20241120、Xからやってきた鹿。しばらくトライアル期間。
世話人をしている集まりで、「非行・犯罪カンファレンス」という催しを行います。第一回のテーマは、「性犯罪とアタッチメント」です。広く性加害に関心のある臨床家や専門家の方に、お越しいただきたいと思います。講師は、工藤晋平先生(Xでのアカウントは@shimpei_kudo)です。どうぞ、ご参加ください。
11.01.2025 13:42 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0この映画では、ちゃんと他人からの性的暴力を児童虐待の文脈に位置付け、裸の写真を送れという脅迫や、性器を見せつけることを虐待と呼んでいる。これは好感の持てる正しい視点である。それは未成年の言葉上の合意の有無にかかわらない。おそらく作品はチェコを舞台にしているのかなと思うが、法的には実年齢15歳以下の子どもに強要することは犯罪である。
26.11.2024 07:55 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0『SNS〜少女の10日間』をAmazonプライムで観る。えげつないドキュメンタリで、まず外見が幼く見える成人女性俳優を12歳と偽ってSNSにアカウントを作る。そしてそこにどんな男性が群がり、どのように虐待や脅迫が起きるかの実態を浮き彫りにする。ヌードモデルの首から下の写真と、俳優の顔を合成した写真を男性に送ると、あっという間に脅迫に発展する。最後には一部の男性も実際に会ってやり取りするところまで撮影する徹底ぶり。臨床ではこのどちらの側とも出会い得る。法整備、教育では間に合わない部分もあり、現代の課題のひとつだろう。
26.11.2024 06:59 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 1無意識のコミュニケーションの経験こそが精神分析だという。それはたしかにそうだろう。一方で、心は、「私」は、意識にも無意識にも、自我にも超自我にもイドにも散らばっている。Freudはそのように「私」という体験を捉えている。「私」は総合的なものであり、統合的なものではない。「私」は意識のみに座しているわけでも、自我そのものでもなければ、無意識の下請けであるだけでも、イドの奴隷であるばかりでもないし、しかしある面ではそのようでもある。ことほどさように、「私」とは一貫した経験という性質であって、そこに「私」という存在が巣食い、性感覚や情緒や思考が同居し、動機として振る舞い、出力として行為が表現される。
25.11.2024 11:59 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0試しに写真を投稿してみる。ああ、加工できるのは、アスペクト比の変更だけなんだね。最初の3枚はiPhone、最後のみミラーレス。
24.11.2024 02:50 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0フィードを変えられるのは便利だなぁ。
24.11.2024 02:35 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0相談室の中で、私たちが二人なのだと、いったい誰が決めるのだろうか。一人と一人がいることは、すなわち二人であるということは、本当に確かなことなのだろうか。それは本当に二人なのだろうか。三人、四人では、ありえないのだろうか。二人がいるとき、そこには二人以上がいるのではないだろうか。なぜ第三性として、二の次である三だけが強調されるのだらうか。自らを子どもとしたときの家族の単位だからか、三位一体だからか。二人は二人であり、しかし一人でもあるし、二人以上でもあるし、一つになることだってあるのではないか。
21.11.2024 07:01 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0とりあえずアカウントを作ってみた。フォローしている方たちはいるのだろうか。Twitterにリンクを貼ればいいのか。
20.11.2024 06:50 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0