フレーベル館のキンダーメルヘン12月号として、初めての文章も絵も私が描いたオリジナルの絵本「りゅうのちょうせんじょう」が発売されます!いえ〜い🐲🤴👸🏰
kinderbook.froebel-kan.co.jp/km?y=2025&m=12
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『いきものニュース図解』&『図解 ふしぎで奇妙ないきものたち』3/19同時発売! 科博の特別展「鳥」(2025年3月15日〜名古屋)にてイラスト図解を担当しています。 Twitter https://twitter.com/numagasa ブログ https://numagasablog.com/ インスタ https://www.instagram.com/numagasa/
フレーベル館のキンダーメルヘン12月号として、初めての文章も絵も私が描いたオリジナルの絵本「りゅうのちょうせんじょう」が発売されます!いえ〜い🐲🤴👸🏰
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A ventral view of a female belted kingfisher with her wings spread showing the bright white undersides and rusty wingpits and belt. Her tail is a dazzling array of black and white patterning and she has a fish grasped in her bill.
A belted kingfisher flying away with her wings held down showing the gorgeous slate blue of her back and shoulders. She has a freshly caught fish in her bill. The background is fairly dark but speckled with sunlit drops of water flying off the kingfisher.
Female Belted Kingfisher🪶
23.11.2025 22:03 — 👍 259 🔁 48 💬 1 📌 0「30代以上は友達作りにくい」理論の裏返しとして、「子ども/学生の頃に築いた友情こそ本物」信仰もある気がするが、子どもとか学生の頃の友達ってぶっちゃけ偶然の要素が強すぎる(家が近い、クラス・部活・ゼミが同じ云々)と思うし、友情における重要ファクターの「気が合うか」「趣味が合うか」は弱めだと思うんだよね。偶然近くにいたから、が大多数では。
「気が合う」「趣味が合う」友達は(ネットの普及を加味しても)むしろ大人になってからの方が全然見つけやすいでしょ。
若い頃に築いた友情の価値は、むしろ「気も趣味も合わないが、でも友達」という関係を築きうる、ということでは。それは大人になってからは難しそうだから。
「私は友達作りが得意ではありませんが、独学で習得しました。その方法をご紹介します。」
これは男性が書いた記事。
「孤独は不変だと感じる人は多く、特に男性は孤独を抱えやすい。しかし、恥を捨て、メッセージを送り、何度か失敗しても乗り越えれば、すべては変わる可能性がある。」
相対的に、やはり中高年以上だと男性の方が友達を作りづらい傾向にあるのかなと思うが、社会が今後向き合うことになる孤独問題へのひとつな重要な対策として真面目に「友達を作りやすい社会」を目指すべきなんでしょうな。
女性にケア役を押し付けたり期待するのではなくね
www.theguardian.com/commentisfre...
人間関係、言うまでもなく大事だと思うけど、その「大事さ」に対する過大評価が、かえって人間関係の問題を悪化させてしまう、みたいな面はあるんじゃないかと思っていて。
孤独な人が「孤独はダメ」と思いすぎることで、逆に孤独をこじらせてしまったり。インセル(という言葉は不適切かもだが)問題とかも実はそれが大きい気もする。
友情でも家族でも恋愛でも、ちょっと人間関係がうまくいかなくても「まぁいいか、この関係がダメだったところで、人間なんて大勢いるんだし」と思えるとか、いま孤独だとしても「まぁいいか別に、ぼっちだって死ぬわけじゃなし」と思えるのも大事よなって
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「孤独の解決策:30代で新しい友達を見つけたいと思ったのですが、想像以上に簡単でした」
30代以上になると友達を作りにくくなる、さげぽよ、みたいなデータがあるらしいのだが、「いや人によるし、私は全然友達できたよ」と語る記事。
ネットの発達もあり、どう考えても人類史上最も友達を作りやすい時代なのは否定しようもない(恋愛ばっか注目されるけど友達マッチングアプリもあるらしい笑)
孤独の問題とか確かに深刻だけど、人類が億単位でいる以上、人間関係とか実際どうとでもなる側面はあるので、「○歳からは厳しい」とかそういうもんではないよね
www.theguardian.com/lifeandstyle...
アボカド担当はイシズマイ(イワパレス)を育てるという手もあり、悪くない個体がけっこう来たが、ちょっと決め手に欠ける感もある(イシズマぼうとイシズマやかの食材だけ逆にできれば…)
イシズマイ「無課金勢が贅沢いってんじゃない」
私「はい」
ポケスリ、特に食材タイプはどうかしてる厳選難易度(きのみは10回捕獲できのみSつきやすくなるし、スキルもまぁ最重要なのはスキルUPくらいだが、食材は運要素が複合的で大変)なので、マジで妥協は大切な言葉である、妥協ゲーと言っても良い
bsky.app/profile/numa...
完璧なサブスキル構成であとLV30食材だけアボカドだったら即採用なのになぁ〜という惜しすぎたナックラー、人呼んでナッくおし
24.11.2025 06:56 — 👍 2 🔁 1 💬 1 📌 0ポケスリ日記
ピックアップ終わるまでは厳選続けようと思ってたナックラー、ベストな個体は来なかったが、「もう妥協して育てなさい」とポケスリ神(って誰?ダークライ?)が言っているかのようなベストな妥協個体みたいな子(アボカドアボカド+食材アップM)は来てくれたから、育てようかな(EXP上昇も優しさに思えてきた)
これに近い条件さえいまだに来てないアゴジムシよりは優しい
そういえば『星つなぎのエリオ』のグロードンは、言動こそ相当に人間の子どもに寄せてたんだけど、なんといっても見た目がこれなので(目すらない!)、「人間とは全く違うが、同じ」という造詣を剛腕で作り出していたな。(その意味ではあのSF小説もひとつの答えではあるのか、映画になるとさらにイイのかも)
声も本来は人間と全然ちがう、というのがあの素晴らしいラストにも繋がっていたし、グロードンは最近のピクサーでもトップクラスのキャラ造形だと思う
アードマンの話題でたし(別作品だが)興味深い記事。
『チキンラン』を観てベジタリアンになった、という人。Netflixで観られる続編も工業型畜産を問う内容だったし、このシリーズは相当な動物倫理的/社会派作品なんだよね
"子供の頃に観た名作を再び見ようと腰を据えた時、自分の肉食習慣に対する些細な疑問が、もはや無視できないものになったのだ。"
こんなに正しくアニメに向き合える人は少数派だろうが、ふざけたギャグをまぶしながらも社会の問題にきっちり対峙しようとする作品が、実際に人々や世の中を変えているのは凄いことだ
www.theguardian.com/culture/2025...
→同じことを、私も大好きな某SF小説(映画も公開予定)にも感じなくもなくて、個人的な好みとしては、人間とかけ離れた姿をした存在に「人間と同じ」を背負わせるよりも、むしろ人間との断絶を感じてワクワクしたいタイプなのだが、じゃあ見た目が人間と異なるキャラを完全に「違う」ものとして描いてしまった場合、普通に「私たちと違うな」って観客は思っちゃうだろうし、その非人間キャラクターにしっかり共感/感情移入させられるのか(特に映画のような短時間のエンタメ作品で…)、っていう問題が生じるし、なかなか難しい。
「同じ」を尊重すべきか、「違い」を尊重すべきか、たぶんその間にちょうどいいポイントがあるんだろうけどね
『映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!』見返して、傑作なのは前提にしつつ、最近わりと思う「エイリアンにも家族や両親がいるんだ、私たちと同じなんだ」的な描写として、人間社会の規範的な像を押し付けてしまうこともまた問題があるよな…とも感じなくはないのだが、でも子どもが観る作品として、「見た目や言葉が異なる人でも、私たちと同じなんだ」と実感させることってやっぱ凄く大事で、その「同じ」描写が保守的/規範的であることのデメリットを上回ることもある、とも言えるよなと。
『ブルーボーイ事件』観て思ったこととも通じることなんだけど。ひとつの答えは出ないね
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どんな作品でもやたら叩かれてたら(作る側としても)気の毒には感じるんだけど、とはいえ質の低い作品でも国内の有名クリエイターが作ったものであれば、少なくとも「めっちゃかまってもらえる」というか、これだけ話題にしてもらえるんだよな、という不均衡は感じ、これも国内作品が履かされてる「下駄」なのよね。
海外の作品で質が低かった場合、叩かれるどころか、まずそもそも国内に入ってこないので誰も観ないわけでな。
国内/外だけでなく「マイノリティや社会問題を題材にした作品は、圧倒的に面白かったり出来が良くないとそもそも存在が許されない」問題にも似てるかもしれない
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真面目に言うと、良くも悪くも大衆向け娯楽作品というのは大衆を映す鏡なので、そのレベルが低いということは私たち観客のレベルが低いということを示唆せざるをえないし、何かひどい作品が現れたからって作り手を責めている時点で「遅い」とさえ言えるのよ、政治家のレベルが民衆のレベルを表すみたいな現象に近いと言えなくもない(かもしれない)。
作り手と受け手は思った以上に繋がっているし、だからこそ作品の質の高さや低さを見極めて、なぜ良いのかどこが悪いのかをちゃんと分析する「批評」が重要になってくるんだけどね。日本は正直あんまり批評が成熟してなくて、駄作に対しても貶し大喜利みたいのが目立つばかりになっちゃうのよね
今日ほんとは地元のイオンシネマ(月曜安い)でチェンソー、呪術、細田ハシゴで現代日本アニメ上澄み行脚しとくか、とか思ってたけど祝日だと知ってサゲぽよになったので中止。
まぁ細田新作は「いうて前作よりは好きやろ」という予感もなくはないが…(もう暗いやつ作りたいんだろうし、作ったら、と思っていたので)。貶し大喜利に巻き込まれるのもヤなので世間が飽きるまで待つのも手だな
てかさすがに『落下の王国』とかを優先すべきに決まっているのでそれからだわ
今ならなんとなく上澄み出羽守罪で死刑になりづらそうな世間の雰囲気を感じるが、こういう時こそ油断は禁物なので、媚びへつらっておこう
どいつもこいつも愛国心が足りないげすなぁ、敵性国家のアニメを褒めて自国の上澄みを貶すなど不届き千万、日本のアニメは世界一でげすよ〜四季もついこの前まであったげすよ〜
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『ひつじのショーン』みたいな一流の全年齢コメディ見てつくづく思うんだけど、子ども向けのエンタメ作品、まずはなんつっても笑わせてほしいんだよね。とにかくギャグの切れと手数に全力を尽くしてほしいし、基本的にドライ&クールであってほしい。その上で「ここぞ」という場面に絞って泣かせたりするのが効果的なのであって。日本の全年齢エンタメみてて、いちばん足りないと思うのがギャグなんだよね。
まぁ良いギャグってほんと難しいけど(経験者は語る)、「笑いは高い」とちゃんと認めて、脚本に金かけてほしい。
『映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!』の「NO〜〜〜」とか何度見ても最高だし、あの高みを目指すべきだよ
マジで傑作である『映画 ひつじのショーン UFOフィーバー!』を姪キッズと見たが、ウケが良くて嬉しかった。でかい羊から色んなものが出てくるシーンとかで就学前児童もだいぶ笑ってたので言葉なしで突き進むエンタメの底力を感じた。
映画パロなどポップカルチャーの引用を含め、これだけアメリカ文化への(イギリスから見た)憧憬にも溢れている作品なのに、年齢や国籍を問わず誰が観てもユニバーサルに楽しませようとする姿勢、それだけですげー偉いよなと思ってしまう。
あとエイリアン捜査レディの終盤の展開は毎回普通に泣きそうになってしまう。あの人かなりルーイエかもしれない(←それは単に直近の映画に影響されすぎてるだけ)
『リミタリアニズム』にも関連するタイムリー記事↓
イタリアはヨーロッパの経済大国の中でも、相続税率がかなり低く、そのことが「社会の流動性を阻害し、世代から世代へと特権を温存している」と専門家。
「ルネサンス時代の1427年にフィレンツェで富の上位3分の1を所有していた家は、戦争や疫病、革命、資本主義を経た2011年の時点でも、上位3分の1にいる可能性が50%高かった。」
という歴史的なデータも。
相続税をEU平均の水準に引き上げるだけで、イタリアは60億ユーロの税収を得るが、メローニの右派政権は反対。日本とも比較してみたいところ
jp.reuters.com/world/us/YWK...
フィクションの中で、マイノリティ属性をもつキャラクターが死ぬとか殺されるとか悲惨な目にあいがちな件、ひとつのクリシェ(例:Bury Your Gays)として批判されていて、必要な批判だと思う一方、難しいのが、事実としてマイノリティはよく死んだり殺されたりしているので、現実のシビアさから目を逸らさせないという意味では、そういう描写から逃げないことが必要でもある。
『ブルーボーイ事件』でも実際そういう作劇上の難しさを感じる局面はあったんだけど、ここでBury Your Gaysみを回避/緩和するためにも大切なのは、複数or沢山のマイノリティを(当事者性とともに)配置するということなんだなと思った
今日11/20は「トランスジェンダー追悼の日」。トランスの人々は空想の存在ではなくすぐそばで生きている同じ人間。一枚岩ではないリアルや社会からどう扱われてきたか、イメージで語る前にまず現在公開中のトランスジェンダー史に刻まれる映画「ブルーボーイ事件」をみてほしい。
www.gqjapan.jp/article/2025...
『落下の王国』や『石炭の値打ち』でBunkamuraル・シネマ行く人、ホープくん探してみて、近くにいるから(いけふくろうと被ってんぞ、とか言わないで)
bsky.app/profile/numa...
『ブルーボーイ事件』、実は予告編を観た時に「多様性という言葉が叫ばれる前の時代…」的なアナウンスだけ見て「あーそういう感じ?なんか"多様性アピールって息苦しいですよね"的な大衆の感覚に寄り添う系の?」とわりと冷めてしまったのだが、実際みてみると全然「そういう感じ」ではなく、むしろ非常にちゃんと作っていたので、何事も予告編の煽り文とかで判断してはいけないなと反省。TLの好評がなければ見逃してた可能性すらある、感謝(でも「多様性が叫ばれる」とかそういう言葉遣いはなんか他のを考えてほしいとも思う、少なくとも日本における権力トップ層は多様性なんか一切叫んでないどころか主に多様性の抹消を叫んでいるため)
23.11.2025 03:34 — 👍 113 🔁 25 💬 1 📌 0『ブルーボーイ事件』、脇を固める当事者キャストの皆さんもほんと良くて、重要な脇役であるアー子を演じたイズミ・セクシーさんをはじめ、わざとらしい感じはないのに実在感があり作品に奥行きをもたらすし、語りの当事者性と作品クオリティを同時に向上させる当事者キャスティングの重要性を改めて認識するのだった。
「演技とは"他者"になれることだから…」みたいな変にエモい言い訳で当事者キャスティングの重要性にケチをつけようとする向きもあるけど、映画や創作物がもつ複合的な意義への見識が狭すぎるだろと思うし、実際に当事者をガッツリ起用して成功している本作のような作品が増えていくことで、減っていく「言い訳」だと思う。
『ブルーボーイ事件』、なんといっても主役サチを演じた中川未悠さんですね。
身近な女性としてのリアリティ、「60年代の美人」としての絵的な佇まい、観客の心に触れる脆さと芯の強さの繊細な表現、まさに完璧だったと思う。
こういう時「さすがマイノリティ当事者が演じてるだけあって実在感が凄い」的に語られやすく、実際そうだし良いことなんだけど、でも当事者だからって皆こんなに「わぁすごい実在感!」って思わせられるわけじゃないから(当然だけど笑)、才能あってこそだよね。こういう天性の役者さんが"普通に"娯楽大作とかでもどんどん活躍してこそ、本当に映画業界が「進歩した」と言える
blueboy-movie.jp
『ブルーボーイ事件』鑑賞。
1960年代の日本を舞台に、性別適合手術を巡る裁判を描いた映画。特筆すべきは主演の中川未悠さん(演技初挑戦とは信じがたい素晴らしい説得力と奥行き)を筆頭にした役者陣や、監督の飯塚花笑さんも含め、トランスジェンダー当事者の方を中心に制作陣を固めていること。
劇中で示されるようにマイノリティの道のりは前途多難だし、60年代と変わらないこと言ってる人多すぎだろ問題とか見ると暗くもなるが、こうした真摯な映画の存在自体に、時代は変わるもんだなとも思わされるし、変えていかなければならない。性的マイノリティを題材に描いた日本映画の新しい基準となるだろう、誠実に撮られた良作だった。
あまりにおかしい額の大金を持ってしまったことで人生がおかしくなった人は(まぁ元から悪人だったとかいくらでも言えてしまうが)やっぱいるよなとは思ってて、実際、超富裕層は心理的にも変なことになりやすい、というのが『リミタリアニズム』で語られていて、まぁそうだよねと。ディズニーの娘さんとかが自ら語っていたが、どこ行っても誰に会っても金の無心されるし、そうすると同じ金持ちとしか付き合わなくなって、どんどん世界が閉じていくと。
超富裕層自身だって「どうせそのうち死ぬのに、こんな金もってて意味あんのかな」とか思わないもんかね。せめて「超」とったら?っていう
bsky.app/profile/numa...
『リミタリアニズム 財産上限主義の可能性』、個人への富の集中が「民主主義をむしばむ」ことを語る章があって、政治的な影響力は最も深刻だよなとは実感する次第だ(主にイーロン・マスクのせいだが他にも大勢)。
政治における金は、特定の個人を優遇するとかそういうレベルを超えて、「金持ちが政治課題そのものを決定してしまう」という点が真に深刻。億万長者がメディアを買収することで議論をさらに都合よくコントロールしてしまう。
極端な富によって作り出された情報エコシステムの一例が、超保守派の億万長者コーク兄弟の化石燃料ネットワークであり、莫大な富を投じたプロパガンダ政治活動によって地球温暖化対策を大幅に遅らせた。