この二人のような関係が「知音」なのかな。
やっぱりすごく良い小説だと思います。
“过年好。”(あけましておめでとう)
という短い、ごく普通の言葉で、万感の想いを伝えられるんだなぁ。
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作家
この二人のような関係が「知音」なのかな。
やっぱりすごく良い小説だと思います。
“过年好。”(あけましておめでとう)
という短い、ごく普通の言葉で、万感の想いを伝えられるんだなぁ。
日本語で「なぜなら」を繰り返すと、くどくなって、原文のかっこよさを伝えられないから、この翻訳で正解だなぁと思いながら起きました。
原文の「因为,因为」からは、彼女が他人からはいつも通りの表情と態度に見えるのに、心の中では決定的な大きな変化(paradigm shift?)が起こっていることが伝わります。
日本語訳は「なぜなら」を省くことで、うまく同じことを伝えています。
どうしてかな。言語の特質の違いがあって、それを理解して翻訳しているということかな?
このような、心の中だけで起こる「決定的な変化の瞬間」を書くのが短編小説だよなぁ…
(悩みながら自分も執筆中です…)
《花开忘忧》《如愿》《世界赠予我的》の歌詞を思い出すような読後感です。
日本の小説や詩にはない、なんだろう…思慮深い、静かな、こう…愛情…
説明できないな…
とにかくとても良いですね。
《花开忘忧》《如愿》 の作詞家の唐恬さんは、笛安さんと同じ1983年生まれの女性ですね。《世界赠予我的》の袁晶さんは、1986年生まれの女性ですね。
世代も近いんだなぁ。
11巻で、笛安《圆寂》を読みました
最後がとても良くて、今ちょっと泣いちゃっているのですが、どういう意味なのか説明はできません。仏教的な話だったような気がする。(違うかも)
「古なじみの袁季にまた会えたから、古なじみの袁季の目が穏やかな色をたたえていたから、あの甘苦を共にした古なじみ、袁季が、今は幸せだとようやく分かったからだ」
最後、原文では「因为」(Yīnwèi、なぜなら)を繰り返してるんですね。
“因为,因为她又见到了她的老朋友袁季,因为她的老朋友袁季眼睛里盛着满满当当的安详,因为她总算是知道了,那个曾经跟她同甘共苦的老朋友,袁季,现在是幸福的。”
22巻で郝景芳の短編小説《去远方》を読みました。
最後の文、
“行けるところまで行こう。たどり着いたところが、遠くだ。これはわたしの理解で、正しいかどうかはわからない。でもわたしにはもう永遠に、その証を求める術はない。”
ここを原文で読みたいので、原書を注文しました。また…原書が本棚に増えていく…📚
郝景芳は日本ではSF短編小説《北京折畳》(折りたたみ北京)で有名ですね。これは傑作。
同じ24巻の、王蒙《灰鸽》も良かったです。
1980年代に、桜桃の名産地である故郷の桜桃谷から、都会に出稼ぎに来た若い男性のお話です。「彼は濁った涙を流した。桜桃谷から飛んできたに違いない鳩のためにーー」
魯迅文学賞、Man Asian Literary Prizeなどを受賞。
《上海往事》は映画化されました。(邦題『上海ルージュ』)
《推掌》はdrama、舞台、映画化されました。映画はBerlin映画祭で銀熊賞を受賞。(邦題『ブラインド・マッサージ』)
『ブラインド・マッサージ』が2016年に日本語に翻訳されているので、注文しました。
《玉米》が有名らしく、読んでみたいのですが、まだ翻訳されていませんね。
24巻の畢飛宇《虚凝》も、とても良かったです。偉大だった祖父、その祖父に抑圧されて生きた父、祖父を尊敬する孫息子の、三代の男性の物語です。
李商隠の漢詩が引用されていました。
相见时难别亦难 东风无力百花残
春蚕到死丝方尽 蜡炬成灰泪始干
晓镜但愁云鬓改 夜吟应觉月光寒
蓬山此去无多路 青鸟殷勤为探看
2014年に雑誌《鍾山》に収録された《虚凝》と、2015年に単行本《畢飛宇文集 相愛的日子》に収録された《虚構》の、二つの版があります。
畢飛宇さんのご意向で、日本には《虚凝》が翻訳されました。
15巻にあった蒋一談(蒋一谈)の《另一個世界》も良かったです。短編集が翻訳されていたから、注文しました。
「中国のChekhovを目指している」と解説されていたけれど、本当にChekhovみたいです。
谷崎、川端康成、芥川など、日本文学もよく読んでいるらしいです。
この「中国現代文学」series、すごく良いです。長編小説を書いている間、ずっとこれを読んでいようかなぁ📚
日本語に翻訳された陳春成の短編集『夜の潜水艦』には、originalの中国語版『夜晩的潜水艇』にある中編小説「红楼梦弥散」が入っていません。訳者の方が、他の作品とのbalanceを考えて、外したそうです。
1980年生まれの男が、昏睡状態になり、49世紀に目覚めます。未来では古典《紅楼夢》が失われていて、宗教的な経典になっています。男は世界でただ一人、《紅楼夢》を読んだことがある重要人物になってしまいました…!
というstoryらしく、SFの設定として面白いですね。日本では《紅楼夢》があまり知られていないから、外されたのかな…?
25巻に載っていた蒋韻の作品も良かったのですが、日本で翻訳出版されている単著は、まだないみたいです。
蒋韻が魯迅文学賞を獲った《心愛的樹》が載っている15巻も買いました。
夫と娘も小説家らしいです。
蒋韻と同世代の女性作家では、残雪と方方は単著が日本で複数、翻訳出版されていますね。日本ではとくに残雪の人気が高いと思います。
15巻に載っていた馮驥才の《彫花煙斗》も良かったから、単著《三寸金蓮》を注文してみました。36年前の本なので、古書店でみつけました。
いま長編小説を書いているから、自分が書いた分、人の本を読みたいので、面白そうな小説を探しています。
25巻を買ってみました。
26巻はまだ発売前でした…
この本に収録されている陳春成の短編が良かったから、Kindleで短編集も買いました。Hermann Karl Hesse、Somerset Maugham、Zweigなどの名前が出てきて、欧米の世界文学の古典を読んで育った人なのかなと思いました。自分もそうなので、その経験がどんな小説になるのか気になりました。読んでみます。
『中国現代文学』という本がありました。もう26冊も出ていました。
www.
hituzi.co.jp/books/399.html
日本の大学の中国文学研究者による団体が、翻訳しているようです。
www.hituzi.co.jp/kotoba/syoka...
同時代の中国の小説家の作品も、もっと読みたいなぁと思いました。最新の26巻から読んでみようかな。
鉄凝、裘山山、張悦然…。張悦然の小説は映画になりました。
映画
2024.tiff-jp.net/ja/lineup/fi...
遠くを見るべきかもしれません。
小説は翻訳されるし、AI翻訳を使って読むこともできます。
いま中国の小説をよく読んでいますが、優れた作家は「遠い土地や未来に言葉が届く」ことを信じていますし、実際にわたしに届いています。
それから、新人の作家さん、若手の方がどんな書き方を選択しているかも、勉強になると思います。手法の選択に必然性があります。
短編小説を書いていますが、昨日の総裁選もあり、排外主義、障害者差別、女性の社会進出などについて、途方に暮れながら考えています。
少し前までは、国内の読者がある程度、共通の価値観を持っているという前提で小説を書いていました。その価値観に合わせて書くこともあれば、あえて「本当にそうか?」と揺さぶって問題提起するように書いたりもしました。
いまは、あまりにも社会が分断されています。価値観の基準点は、もはや存在しません。
では…
「どう書くのか??」How???
です。
ーー相手の罪は認めない。罪は罪だから。でも、そのような人間になってしまった原因である不運と心の弱さには、憐れみを覚える。この同情心はとても強い感情で、どうしても冷静ではいられない。
note.com/sakurabakazu...
分断、陰謀論、ヘイトの時代に、どう小説を書くのか。
考えているうちに、午前中が終わっていました…。
「文学が遠く(立場、考え、時代、土地、民族)に届くことを信じ、自覚する」
note.com/sakurabakazu...
たとえば、家族の誰かが死ぬが、隣家では赤子が生まれる。誰かが出て行くが、誰かが結婚する。こうして全体として生き残ることができれば、自分が死んでも、消えないはず、と。
「飢えるのはごめんだといって喧嘩するやつがいたら、おれはそこにいる」「みんなが怒って怒鳴ってるとき、おれはそこにいる」「母ちゃんがどこを見たって――おれはそこにいるってことだ」
生活が困難になるほど、連帯は強まっていく。そして絶望した人々が、一人また一人、共同体に沈み込んでいくというこの物語を、わたしは震えて読んだ。
参院選の状況から、スタインベック『怒りの葡萄』(1939年アメリカ)を連想します。
貧困に陥った主人公は、自分は個人ではなく「集団の一員だ」と思うようになります。たとえ自分が破滅しても、集団は生き残るからです。そして人間が内と外、身内と敵に分かれていきます。
以下はわたしが以前、新聞に書いた『怒りの葡萄』書評からの抜粋です👇
ーー本書が描くのは、極端な貧困状態を生き延びるため、人々が、自分は個人じゃなくて、大きな種族のひとかけらなんだと、認識を改めていく姿だ。(続)
名も無き遠い雲が、二人で見上げた後は「わたしたちの雲」になったので、「この雲」(这片云)なんだなぁと思って、詩的に感じました。
日本語だと「あの」のまま変わらないからそう思ったのですが、中国語話者にとっては、当たり前の文法なのかもしれません。
ときどき、こういう綺麗だと心から思う言葉のことだけ考えていたいなぁ、と思うことがあります。
この本に、
「これ」(这)
「あれ」(那)
の使い方が書いてありました。
たとえば、わたしが空を指さして、あなたに言います。
「你看,那片云」(ねぇ、あの雲を見てよ)
するとあなたは空を見上げて、こう答えました。
「这片云真漂亮」(この雲、綺麗だね)
最初は、遠い空の上の雲なので「那」(あの)でした。
その後、雲の存在が二人の共通認識になったので、「这」(この)に変わりました。
negativeな後半は言わずに、察してもらうという、日本の例のあれです…。
そういうわけで、先生はそのままお酒を飲み続けたそうです。
中国語にも、このように省略される言葉があるので、中国の文化を知らないとわからないそうです。
だから「その言語を使う人たちの、考え方の道筋や価値観」を知ることが大事だと書いてありました。
まったく同じことを考えていたので、ほっとしました。
この本、論理的で構成がしっかりしていて、わかりやすいです。
日本語を30年、勉強している中国人の先生が書いています。
序文に、わたしが考えていたことと同じことが書いてありました。
「言葉は、言った言葉だけでなく、言わなかった沈黙の言葉からもできている」ということです。
この先生は日本で、知人の家に招かれてお酒を飲み、夜遅く、こう言われたそうです。
「そろそろ…」
これは、じつは日本語ではこういう意味ですが、先生にはわからなかったそうです。
「そろそろ…」(帰ってください!)
自分の発音を確認するためにも、翻訳アプリに話しかけて、文字に起こしてみています。
「我也来了」(私も来ました)は、3回に1回は、ちゃんと発音できて「我也来了」と文字が出ます。
でもときどき、ぜんぜん違う言葉になります👇
発音を覚えるために、文章を翻訳アプリに入れて、音を聞いています。
昨日、予習していたところの例文も、ちょっと面白かったです👇 なんだろう、友達がパンイチで話しかけてきたんですかね…? 喂…
初級の教科書、後半に来て、例文がちょっと面白くなってきました。
「駅にはどうやって行くの?」
「私も知らない」
「誰かに聞こう!」
「聞くのは好きじゃない」
「じつは私も」
「じゃ、どうする?」
「地図を見よう!」
「だめ、地図をなくした!」
珍道中っぽいです…🚉👭🧳
中国語の勉強中です。教科書です。
我打死他了(Wǒ dǎ sǐ tāle)…
一つ前のページまでは普通の例文だったのに、急にどうしたの!?
「美術館に行きましょう」「中国に行ったことがありますか?」とかだったので、急に変わってびっくりしました😅
『名探偵の有害性』は、韓国語版、中国簡体字版、英語版に続いて、イタリア語版も出ることになりました。
英語版と同じく台湾のagentのおかげです。感謝しています。
このイタリアの出版社からは、わたしの本は『赤朽葉家の伝説』『少女には向かない職業』が翻訳出版されていて、今回で3冊目です。
1979年にローマで設立された会社で、当時は冷戦下の東欧で書かれている小説を出版していたそうです。(『The Painted Bird』『火葬人』とかかかな?)社会的、歴史的意義をもって設立された会社なのだろうなと推測しています。
現在は様々な国の作品を扱っています。
昨年の8月に出版した『名探偵の有害性』は、9月に韓国語版、12月に中国簡体字版、そして今月に英語版の翻訳が決まりました。嬉しいです🤸♀️🏋️♀️💃
英語版が出ると、様々な国の人が読むことができるようになるので、さらに別の言語に翻訳されることも多いです。
今回は、台湾の出版agentが、わたしの日本語の本を読んで、英語の資料を作り、NYと Londonにofficeがある英語出版社に紹介してくれたみたいです。資料とは、おそらく、storyをまとめたり、大事なところだけ英語に訳したものだろうと思います。この台湾のagentに、わたしが印税の一部を手数料として払います。