「私のやりたいこと」、のなかで、他者はどう存在しているのか、というはなしなのかなと。
27.09.2025 23:13 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0@momo-com.bsky.social
ライター&編集者
「私のやりたいこと」、のなかで、他者はどう存在しているのか、というはなしなのかなと。
27.09.2025 23:13 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0「お金を払う」ことの目的も世の中の変化にあわせてすこしずつ変わるのだから、なんでお金をもらうのか、の意味も考えられてあたりまえなはずで。
結果的に同じお金をもらったとしても、そこにたどりつくプロセスとか、根拠とかによって、受ける印象は変わってくるので、やっぱりお金の感覚が曖昧すぎるとそれはお客さん来ないよなと…
「演劇はやるものか、観るものか、やるものなのでは」みたいなのを見かけたけど、小劇場ブームくらいのときってまでってもっと観客があたりまえに演劇空間の重要な一員だった気がする。いや、演劇によるだろうけど。
27.09.2025 23:06 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0これ、映画には、けっこう逆の感覚になるんだよな
映画にある安心感はなんだろか
ただこの安心感が、いいものかそうでないかはわからないけれど
うまく言えないのだけれど、いいへんじ「われわれなりのロマンティック」を演劇としてどうとらえるか、整理できずにいる
観てよかった
作品がよかった
いい時間だった
観劇した人の感想
演劇ってなんだったのだっけということから迷子になるようで、でもこれ、話題の小説からも感じる
なんというか、フィクションと現実の距離感が、ただしいようでこわい
JICAの件はほんとに開いた口がふさがらん。足を引っ張るのは、知識がなく、怯え、閉じこもりたがる人たち。みずから思考を放棄し、選択を手放し、身動きがとれなくなっていくのに、それが自分のせいだときづかない。
25.09.2025 13:04 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0「午後の光線」がよい。
さいきん、フィクションは頭を麻痺させてツーンと冷静にさせて気持ち悪くなるんだけど、ひさびさによい。テキストが冷静に熱を帯びているからだと思う。自分にはもうない、ここにあるのは、思春期かもしれない。
さむくてびっくりした
トレーナー出した
コロナ禍にいろんな人と「演劇ってどうか?」「気持ちが演劇から離れていないか?」という話をした。あのときは、みんなマスクで、ロビーは無言で、不思議な時間だったから。
ただ、今、演劇をめぐる厳しさは、まったく質が違うし、これまでになかったものだと思う。
なんというか、演劇をアイデンティティにしている人しか続けられない状態になっていないか?という気がする。
そうはならないように、多くの人が、演劇に力を注いできたのだと思ったのに。
Xがあまりに殺伐としてるけど、たぶんほんわかしてるタイムラインの人がいるのかな
21.09.2025 01:08 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0みんなが削って、疲弊して、ゆっくりと落ちていき、溢れた人から消えていく
みんなが自分を差し出していて、そこでの奪い合いにもはやどう言葉をかけたらいいのかわからない
なんだこれ
文化芸術の赤字補てんの補助金について、その影響にとてもモヤモヤすることが続いている
搾取されやすい人が搾取される構造にもなっている
さすがに目がまわってる
12.08.2025 15:36 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0現在、エディンバラのフリンジで公演中の鹿殺し『ザ・ショルダーパッズ~銀河鉄道の夜~』について、紹介記事(英語)が出ました。オリジナルテキスト(日本語)を担当しています。
soil-net.jp/journal/insi...
こちらは緊急事態舞台芸術ネットワークSOIL(ソイル)事業にて実施。翻訳はSOIL事務局です。
SOIL事業は、日本の舞台芸術が国際展開するにあたっての基盤を目指し、2025年度は9名/9作品を選定し、エディンバラにてピッチ(プレゼン)をおこないます。
記事では、制作の方にお話を伺い、鹿殺しからは高橋戦車さんにインタビューしています。他団体も随時公開されます。
映画「国宝」を見て、
映画自体は楽しんだと同時に
こんなに話題になっている(ぽい)ことについて
SNSとエモの相性の良さを感じて怖くなる。
わたしはエモがあまり好きじゃない。
生きていることが簡略化されるようで。
エモくないことを大切にしなければいけないという危機感さえある。
「エモ」って「なんとなく」という言葉に似ている気がする。
寝かせてもらえないうえに起こされる
人とのかかわりのなかで、生きていく意味を見出すんだろうと思うと、誰と出会って生きていくかで幸福度が変わるのは面白くてとてもつらい
毎日毎日演劇のことについて仕事をしているのだけど、SNSに書かないと何している人なのかわからないっぽくなるの、フリーランスって感じ。
実際に、まったく発信はしていなけれど知識も教養も経験も信頼も得ている人はたくさんいらっしゃるんだけど、本当に知られていない。
復讐の連鎖、ってこういうことをいうのかなという芽を感じた。それは想像していた「復讐の連鎖」とはちがう感覚だった。
誰かにされたことによって連鎖するのではなく、
誰かにしたことによって連鎖していくんだろう
言葉にすればそのまんまなんだけど、
実感としてはちょっと違う
復讐の連鎖は小さくはならない
むしろ大きくなるしかないということ
倍返しをし続けたら、どうなるんだろう
書けないこと、の方が重要だったりする。
それでも書くことはもっと重要だったりする。
言葉がすくない人は信用できる(かもしれない)。
わたしはとてもおしゃべり。
同性カップルの友人にまもなく子どもが産まれる。嬉しいめでたい。
07.07.2025 12:21 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0子が全裸ではしりまわっており、追いかけるのを諦めてスマホを開いたら、かつて一緒に働いていた先輩が逮捕されており、いろいろ止まった
07.07.2025 12:07 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0この数年、あるときから文章が書けなくなった
20代くらいまでは書くことであらがおうとしていたと思う
でも、殴りかかってくる現実を殴り返すには、文章では届かなかった
まっとうに、正当に、適切に、段階的に、自分の主張めがけて、現実で戦わなければいけなかった
文章だと負け惜しみになってしまいそうだったし、なんとまあ、そのときは文章では「戦う」ことはできても「大切なひとを大切にする」ことができなかったから
文章がけして届かない人がいた
文章ではむしろ傷つけてしまう可能性がある人
その人のことが大切だった
さて、殴りかかってくる現実をありったけの現実で打ち返したので、そろそろ変化する頃かもしれない
Xはもうかなりキツい
Xになる前からキツかったけれど
四六時中見ていたのに、ほぼ見なくなってしまった
ときどき、きれいごとさえもエゴに見えることがある場所
エゴが楽しく爽やかに誰かを救った場所ではなくなってしまった
震災があって、コロナがあった
美味しいごはんの美味しさについて見ているときはほっとする
能登へ
天気が良い!!!
人のために動いているようでいて、前提に「自分のやりたいやり方で」が無意識についているのを見ると、怖くなる
Win-Winのうちは最強なんだけど、ひとたび行き詰まると融通がきかなくなりそのうちに、可愛さあまって憎さ100倍みたいなことになったりするんだよなぁ
それがいま現代でどんなに意味があり素晴らしいものだろうと、歴史を軽んじる姿をみると、その傲慢さに尊敬を失ってしまう。
誰かが生きたこと、時間や労力をかけたこと、それらを否定するにはまずリスペクトしていないといけないと。
ぐうぜん同級生にも再会して、よき日かな
08.06.2025 13:01 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0けっきょく、どこにいっても「言葉の力」かと思うと、げんなりしちゃうぜ
04.06.2025 23:20 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0発信者はあまりにも傷つけすぎてきた
それがここ数年でぐわっと噴出してきている
もう無邪気ではいられないはずなのに、覚悟はあっても責任はない姿勢をみると、もやもやして気持ち悪くなる
力をもってしまった人が無邪気でいたいのなら、傍に誰かを置かなくてはいけない