今日はドラコニア忌です。澁澤龍彥没後38年となりました。
『jem』は「創刊号と2号だけで4人も澁澤龍彦を単著のかたちで訳している方が参加」とのこと。ゆっくりと時間をかけながら、世界は澁澤龍彥を発見しつつあるのかもしれません。
@a10ga3.bsky.social
由来、科学の研究は厚顔無恥、無礼無作法を以て本領とする。──正木敬之
今日はドラコニア忌です。澁澤龍彥没後38年となりました。
『jem』は「創刊号と2号だけで4人も澁澤龍彦を単著のかたちで訳している方が参加」とのこと。ゆっくりと時間をかけながら、世界は澁澤龍彥を発見しつつあるのかもしれません。
\拡散希望🌈/
文芸誌『jem』日本文学の海外受容の状況を大特集した号を刊行したい!
クラウドファンディング挑戦中!
📖世界中の翻訳家、研究者による計7語圏についての論考
📖創作として韓国科学文学賞優秀賞受賞の傑作を一挙掲載!
9/7(日)まで📣
ぜひ、ご支援をお願いいたします。
greenfunding.jp/lab/projects...
ショーペンハウアーによると、人は苦痛では泣かないが、苦痛の表象では泣くという。
ショーペンハウアー師匠は、だらだら同じことを繰り返してだるいところと、急に切れ味鋭くはっとさせられるところが交錯するので油断できない。
「ストア派を評価する肩の力が抜けたニーチェ」みたいなところも良い。
澁澤龍彦は、1980年以降集中的にショーペンハウアーを読んだ形跡がある。
私は、ニーチェがあれば、ショーペンハウアーいらんのではと思っていた。「物自体」なんてものを肯定している時点で、駄目ではないか。
だが読んでみると違った。少なくともニーチェの「権力への意思」なるものは、ショーペンハウアーの「意思」があればいらないもののように思える。
澁澤がショーペンハウアー全集に書き込みをしているのは、伊達ではないようだ。
本当だ!
『澁澤龍彥集成』が国立国会図書館デジタルライブラリーで読める!
ndlsearch.ndl.go.jp/search?cs=bi...
本日6月2日はマルキ・ド・サドさんのお誕生日🎂
1740年生まれ、貴族、小説家。
主な作品に『ソドム百二十日』『悪徳の栄え』『美徳の不幸』など。
その作品のほとんどは獄中で書かれたもの。 日本では澁澤龍彦さんが紹介し、広く読まれるようになりました。
(澁澤は本当に偉大)
www.kawade.co.jp/np/isbn/9784...
macOS 12でずっと数年間ステイしていたが、いろいろ不便になってきたので一念発起して15にアップデートした。
すると、いつの間にか「デスクトップピクチャ」が「壁紙」になっている。既存のものがあまりしっくりこないので、「壁紙……壁紙……」と考えているうちに、ウィリアム・モリスの壁紙なんていいかもしれないと思いつく。リアル壁紙のサンプル画像を使わせていただいて、タイル表示すると、なかなかいい感じがする。
唐草模様だし、澁澤龍彥っぽいということにしよう。唐草模様というのは外国の草模様というほどの意味だから、モリスは立派な唐草模様なのである。
10年くらい前、『ワンピース』の初めの方を読んでみて、「魚人族というマイノリティーへの同情にあふれたなんと道義心ある話であろう」と驚くとともに、このような漫画が大好きな日本人はなぜマイノリティーに厳しいのだろうと訝しく思った。
最近はガンダムに難民が出てきて、主人公が難民のために怒って警官に暴力を振るったりしているが、ガンダム好きな日本人はたぶん難民に優しくない。
40年くらい前、まだ存命の澁澤龍彥が、ETを匿うような優しい子供が公園の老人浮浪者を殴ったり蹴ったりして殺すのだと言っていて意味がわからなかったが、けっこう当たっていたのかもしれない。「同情する弱い人間ダメ」のニーチェ理論なのだ。
高貴なルサンチマン|ジュール・モヌロ「哲学者ディオニュソス」(『無頭人』3-4号、1937)
しかし、このルサンチマンという語には、現在ではほとんど忘れられてしまってはいるがもう一つ別の意味がある。それは、人にはむかう純血の獣のように、受け入れることのできない人間、あきらめることを知らない人間の抱く憤りである。「誘惑者」は創造をうながす高貴なルサンチマン、聖なる怒り無くしては存在し得ない。それを知るニーチェはこう語る。……
第29回 澁澤龍彥研究会(オンライン)
2025年4月26日(土)、14:00~
◆発表者:跡上史郎
◆発表題目:澁澤、ニーチェ、現代思想
詳しくは以下のブログをご参照ください。
shibusawaken.blogspot.com/2025/03/blog...
小学館の「P+D BOOKS」で澁澤龍彥『人形愛序説』が出る(5月)。
このシリーズは、他社で文庫化、電子書籍化されていない澁澤の著作を拾いあげてくれるし、注が充実していたり編集が良いのでありがたい。
www.hanmoto.com/bd/isbn/9784...
中上健次編『日本の名随筆 92 岬』(1990・6)
sakuhinsha.com/essay/9923.h...
に、澁澤龍彥「風と光と影」が収録されている。
『旅のモザイク』(人文書院、1976・6)の「日本列島南から北へ」の中の一篇。
こういう例は他にもあるのかもしれない。
「金色堂異聞」の材源がアポリネール「プラーグで逢った男」であるのは知られているが、『アポリネール全集』等に拠らなくても〔02-09-25 現代仏蘭西短篇集、今日出海編、現代世界文学叢書、中央公論社、1940〕中のアポリネエル「プラーグで逢つた男」で読める。
鏡花におけるファム・ファタールを考えるにあたってブノワ『アトランティード』への言及があるが、それは〔35-03-04 世界大衆小説全集⑥、ブノア+カミ、永井順他訳、生活百科刊行会、1955〕に入っているピエール・ブノア『アトランティード』であろう。
先達が残したアンソロジーを楽しむことによって澁澤龍彥が作られたのではないか。
澁澤龍彥編『暗黒のメルヘン』が新装版で復刊され話題になっている。
『澁澤龍彥蔵書目録』を眺めながらつらつら考えてみるに、澁澤は名アンソロジストであるが、アンソロジー好きでもあり、しかもけっこう仕事の上でもお世話になっているのではないだろうか。
例えば、「マドンナの真珠」の材源は、劉佳寧さんの研究により〔02-09-26 仏蘭西の華、井上勇訳、聚英閣、1927〕中のマクオルラン「薔薇王」であることが判明している。原書ではないのだ。
『ミスター味っ子』のお好み焼き対決で、一流の料理人がさまざまな一流素材を使ってお好み焼きソースを作っていたのに対して、味吉陽一は、既製品のふりかけを複数混ぜて複雑な味わいを作っていた。
澁澤龍彥のやっていることは、まさに味吉陽一である。
『アンダーニンジャ』で「落雷」の話から急に「リテンベルク」と言い出すこの人は、ブルトン『黒いユーモア選集』の
「序文というものは、避雷針と題することもできるだろう(リヒテンベルク)」を踏まえている。
というかブルトンが引用するリヒテンベルクについて語る澁澤龍彥を踏まえている。
ジャパンナレッジ各事辞典の中で
『血と薔薇』(澁澤龍彥責任編集の雑誌)
の項目を立てているのは、
『日本近代文学大事典』増補改訂デジタル版(第4期より)
だけです。
www.bungakukan.or.jp/cat-whatsnew...
「シャアが来る」が迷曲とか珍曲とかいう話題が流れてくるが、今の世の中はそういうことになっているのか(半分くらい把握)。
思えば、「アニソン」という言葉がなかった時代のアニメの主題歌や挿入歌というのは、「売れなければならない」という縛りがない(売る気がない)ので、いかようにも好き勝手できたはずである。
アニメという言葉さえない「てれびまんが」時代の主題歌なんて、ブラスがぶんちゃかぶんちゃかいいながら水木一郎が歌っているところに杉並児童合唱団の声が重なり後ろでハープがポロンポロン豪華に鳴っているみたいな謎めいたものだった。
アニソンの成立とともに我々が失ったものは大きかったのかもしれない。
それから時は流れて、山田登世子『偏愛的男性論 : ついでに現代思想入門』(1995)とか、齋藤孝『偏愛マップ : キラいな人がいなくなるコミュニケーション・メソッド』(2004)なんていうのが出たときは、「よくわかっているな」と思って中身も見ずに買ったものである。肯定的な偏愛〜というタイトルの本は数え切れないくらい増殖し、すっかり一般的用法になったのである。
10.02.2025 07:28 — 👍 2 🔁 1 💬 0 📌 0「角田光代の偏愛日記」が各地方紙で連載中であるが、タイトルで堂々と「偏愛」を名乗るのは、澁澤龍彥『偏愛的作家論』(1972)をもって嚆矢とする。
と思ったのだが、念のため国立国会図書館のデータベースで調べてみると、果たしてそうであった。目次レベルだと「物ハ偏愛ス可ラサル説」とか「偏愛を戒めよ」「偏愛は恐るべし」とかいくらでも古い例はあるが、皆、マイナスのイメージである。澁澤は、それを逆さにして肯定的に使ったのだ。
青土社の『オスカー・ワイルド全集』には電子書籍がある
books.rakuten.co.jp/rk/cc2c58be4...
のだが、「※このコンテンツは文字サイズの変更ができません。」という。
テキストではなくただの画像なのだろうが、すると国立国会図書館の「図書館・個人送信サービスを利用する」で見られる『オスカー・ワイルド全集』と同じものなのだろうか。
他にも青土社は、「文字サイズの変更ができ」ない澁澤龍彥『機械仕掛けのエロス』とかも売っているのだが、こちらは国会図書館では見られない。
同好の士のみなさま。
めでたく復刊する『暗黒のメルヘン』、書影が出ました。
2025年3月6日発売予定。
同好の士、どのくらいいらっしゃるかとドキドキ。
ご予約お待ちしております。
澁澤龍彦が選りすぐった珠玉の小説16篇。怪奇幻想文学アンソロジーの金字塔的作品。
www.kawade.co.jp/np/isbn/9784...
ニーチェ理論によると、ギリシア悲劇というのは晴朗で健康なギリシア人だからこそ生み出せたものなので、ディオニュソス召喚には健康人の体力がいるのだ。漫画版ナウシカはバブル前夜からバブル残照までの豊かな時代、宮崎駿もクリエーターとして円熟味を増していった黄金期の産物だった。宮崎駿が明るい話ばかり手がけるようになったのは、時代も自身もピークを過ぎたからかもしれない。
すると、庵野秀明はどうなのだろう。年齢的にもナウシカでサトゥルヌス祭ができるのだろうか。いろんな「シン」をやっているのはピークが過ぎたからなのか、これからピークがやってくるからなのか、後者だとしたら、ピークでナウシカをやってほしい。
宮崎駿監督の『宇宙戦艦ヤマト』は絶対ないが、宮崎本人がヤマト的なものを作らせたら自分が一番上手いと自負している。もしあったら、古代守(古代進の兄)が主人公で、波動砲とかの必殺兵器のない小型艦で、大艦同士の派手な戦いの脇をすり抜けながらコスモクリーナーを取りに行く話。タキオン粒子の海をへんてこなスクリューを回しながら航行していくのでワープとかない。
一方、庵野秀明監督の『風の谷のナウシカ』はあるのだろうか。漫画版ナウシカは、いかにも手塚治虫っぽいものを作ってしまったと宮崎は忸怩たる思いのようだが、どうにも抑えようのないディオニュソスが噴出してきてしまった、ニーチェ風に言えばサトゥルヌス祭である。
第28回 澁澤龍彥研究会(オンライン)
2025年3月22日(土)、13:30~
◆シンポジウム「澁澤龍彥と教育」
◆講演者
・安西晋二(國學院大學文学部)
・大野ロベルト(法政大学国際文化学部)
・茂木謙之介(東北大学文学部)
詳しくは以下のブログをご参照ください。
shibusawaken.blogspot.com/2025/01/322....
もうすぐやってくる澁澤龍彥生誕100年に向けて『定本 澁澤龍彥全集』が企画されるべきである(電子全集歓迎)が、『澁澤龍彥翻訳全集』もすでに出ている。
すると、『鷗外全集』みたいに、創作と翻訳を同列に扱って編年体で並べてしまうのが良いだろう。
生前未発表のアルフォンス・アレの翻訳の周辺にデビュー作「撲滅の賦」を並べると、これは埴谷雄高よりもアレの影響の方が濃いな、とかわかるはず。
Xのトレンドにやたらガンダムが出てきて、綿野恵太までガンダムについて語るという。しかし、みたことがないそうだ。
これからファーストガンダムをみるとのことだったが、そうすると、「Gガンダム」におけるネオリベガンダムと逆張りガンダムとの戦いまで辿り着くのに、いったいどれだけの時間がかかるのだろう。
予定調和は良くないとか、そもそも調和はよくないとかしばしば言われるが、いつも引っかかる。
なぜなのかなと考えてみると、予定調和は良くないというのが決まり文句になっていて、「予定不調和」だからなのだと思う。
すると、順列組み合わせで以下の4つがあることになる。
1.予定調和
2.予定不調和
3.不予定調和
4.不予定不調和
1と2の罪の重さは同じではないだろうか。2の方にごまかしがあるような気もするので、より罪が重いかもしれない。
3は、調和を企図していないところに図らずも調和が訪れてしまうので、良いことではなかろうか。
4は何も考えていない蛸踊りでも実現できるので、別に偉くないかもしれない。
澁澤龍彥『魔法のランプ』の「楽しい悪循環」で『パラドクスの匣』という本が取り上げられている。結びは次のようになっている。
> ぱらぱらとページをめくっているうちに、これまた恐ろしく短いパラドクスが出ているのに気がついたので、それを最後に掲げておこう。
> 「自発的になれ!」
日々、自発的に自発性の大切さを述べることを強制されている学生たちを見ているとあまり笑えない。この圧力は、年々強まっているような気がする。
西山朋佳女流3冠の棋士編入試験は、結果的に勝ち越すことができなかったようだ。残念だった。
将棋の女流は差別だという人がいるが、その「差別」は女流に有利だと思う。女流の枠がなかったら、女性の棋士は皆、アマチュアになってしまう。西山3冠は差別のない奨励会にも所属しているが、勝率は5割程度で、それでは4段(プロ)昇級できない。しかし、実力が考慮されて特別な棋士編入試験が行われたのだ。
将棋に関しては、脳レベルの男女差があるのではと思いたくなってしまうが、構築主義者は子供の頃からの育てられ方によるという。
どっちでも良いが、私は西山の豪快な振飛車が好きなので、棋士になってほしかった。実際強いと思う。