はあ〜、うんこうんこ
30.05.2024 23:13 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0@ysck.bsky.social
読書とかしてます。
はあ〜、うんこうんこ
30.05.2024 23:13 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0仕事がやばたにえん〜〜〜😭
07.05.2024 10:19 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0かいました
24.04.2024 00:09 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0よんでる
14.04.2024 23:19 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0あばばー
20.03.2024 11:50 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0読んでる。だいたい、そうだよねという感じではあるのだけど、生活の中でうまく実践サイクルをつくるというのは工夫せねばだな。
20.03.2024 01:42 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0うーんやっぱインスタ好きになれん
18.03.2024 23:02 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0おはようございます
17.03.2024 23:05 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0おはようございます。読んでます。
17.03.2024 00:24 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0『障害学への招待』読み始めたんだけど、なんか哲学的でよくわからない…
13.03.2024 11:32 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0にゃーん
13.03.2024 03:49 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0人生いろいろあって大変だけどおもろい。
おもろいと思えてるのはだいぶ幸せだと思う。
おはようございます
12.03.2024 21:03 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0「店員さんにとったらいちいちアイスクリームのディッシャーを洗わなくて済むのでありがたい客だろう」に人生ヴェテランのユーモアを感じつつ、レーズンパン4個買ってウキウキしてるのが若者みを感じさせ、逆に「若者のような感覚を持つ円熟マエストロ」に思えてお茶目なおじいさんのよう
09.03.2024 22:36 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0読み始めた
09.03.2024 02:36 — 👍 1 🔁 0 💬 1 📌 0呑みすぎて…便秘
08.03.2024 07:55 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0おはようございます
05.03.2024 23:26 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0は〜あ、ぽんちきぽんちき
05.03.2024 01:03 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0おはようございます
04.03.2024 22:52 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0SNS利用の広がりなどによって、マイノリティや、困難に直面している人に対して「苦しさを吐かせないようにする」ようなコミュニケーションや言説が多くなってきていることに対して、「それでいいのだろうか?」ということを柔らかに、でもはっきりと問いかけるエッセイ。
マイノリティに対する心ない言葉や、個人を取り巻く課題に対しての自己責任論などについて、論拠をもって反論したくなることも多いが、まずその手前での心持ちのありかたみたいなものを、自分の中で立ち止まって考えることの大切さを感じた。
は〜あ!
04.03.2024 06:53 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0『まとまらない言葉を生きる』読んでる。
03.03.2024 23:08 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0おはようございます
03.03.2024 23:07 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0最近のちょっとした出来事、というほどでもないが少し思ったところがあって、自分もそのように、実は怒りを感じている、嫌だと思っているものを、大人としての理性で覆い隠そうとしているところがけっこうあるような気がする。
自分が寛容な人間として受容しようとする努力もありつつ、理性で心の奥底に埋め立てた負の感情・感覚は、ふとしたところで出てくる、もしくはそれがあることによって、「理性でしか人と向き合えない」みたいなことに、なりはしないか。
『花腐し』、作品の感想としては語りづらいのだが、、、
あとから、思い出してそういえば、ということだと、表題作『花腐し』の主人公が、デザイン事務所を共同経営していた友人にお金を持ち逃げされ、その友人について独り語るところで、「本当は自分はあいつが嫌いだったのだ、それを自分自身でも気づかないふりをしてずっと付き合ってきたのだ」「気づけばその男についての強い怒りが心のうちに渦巻いている」みたいな感じのことを言う。
『まとまらない言葉を生きる』読んでる
03.03.2024 07:30 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 130分ランニングしたあとの気持ち
03.03.2024 07:29 — 👍 0 🔁 0 💬 0 📌 0もう少し理解を深めて考えたいところとしては、障害の「普遍モデル」というパラダイム。社会に関わりその人らしく生きることが何らかの要因で阻害されているということを障害と捉えるなら、障害の範囲は今の社会の認識よりより広く、グラデーションのあるものになる。
たとえば高次脳機能障害がある人たちは、従来の障害の定義に含まれず、障害福祉の枠組みで支援を受けづらい、という話があった。これは医ケア児の話と同じ。このように、「定義に入っていない障害」が数多くあるのだろう。
といってもこれが「普遍モデル」の考え方であっているかは、ちとまだわからないので勉強せねばだが。
障害者福祉も「生命が保全されるように」→「健常者と同じように生活し働けるように」→「社会に参画できるように」→「その人らしくありのままで生きられるように」という流れをたどってきているように思う。
こういった考え方の変化は、当事者視点を起点としており、その当事者視点から考えるということを、歴史や社会の文脈からみていくのが障害学、ということなのだな。
歴史的に、障害者に対しては、身体障害など見た目にもわかりやすいカテゴリから、知的障害、精神障害などに「障害」のゾーンが広がっていったわけだが、健常者と比べて心身の機能として課題がある、という捉え方がなされてきた。
それゆえ個人の問題(インペアメント)として医学的にアプローチするのが主流だったが、第二次世界大戦後、マイノリティの権利擁護などの文脈もあり、社会に関わるにあたって障害(ディスアビリティ)があるという社会モデルが主流となってきた。