圧倒的につまらない日々になってきたなあ
楽しさ、情熱に欠ける 対人は永遠にウマがあわない、こわい
@cognoscenti.bsky.social
cognoscenti(こぐのん X) クラシック・管弦楽・ベルリンフィル 吹奏楽 ピアノ独学リスキリングはじめてます
圧倒的につまらない日々になってきたなあ
楽しさ、情熱に欠ける 対人は永遠にウマがあわない、こわい
万博5回めぐり 未来や宇宙やいのちやら、生成AIに かりそめのなぐさめやらを受けて、きょうはかんがえない休息日
ジークアクス、そしてインターステラーを再見
通期パスで予約当選あれば休日欠かさず参りたい気分だが、インプットを経た思考を吐露するパートナーはいないんで 心身ケアはひとり確保しないといけない
discordは楽しげな交流圏だけれど、オフ合流まで至るのかな 手遅れだなあ
石黒浩教授「いのちの未来」
今回の万博の主題に真正面から答え、かつ衝撃的な締めを持ってきた(AIの安野さんによる事前評どおり)
他国の「現実的な」未来のパビリオンが物足りなくなってしまうほど、「いのち」「未来」の概念がゆらぐ
教授のお考えに、クリエイター陣が深く理解した上で創られたことが推察される、訴求力の高さ
涙一歩手前でしたよ
(ただ想定批判として、攻殻機動隊を通過しているようなアニメSF層としては既知の問い)
(ガンダムも当然良かったのだが、形而上的にアンドロイドが凌駕してしまったなあ)
万博のべ4回め 要約「真打ちは石黒教授 これだけは行け」
雨予報で予約が減り、狙い目かと9時入場目指すが、QRコード読み取り不具合で本降り中に数十分滞留
幸先悪いかと思われたが、当日登録をスマホで2度ゲトしたり、とれてたガンダムを中心に効率的に回れる(座れるとこあれば食事休憩とってしまう・じっくり座って次の行動決める)
傘ささず雨合羽で回るのが合理的 梅雨の予行演習になった(もっと機能的な雨合羽探したいが)
インドネシアとても良い
関西‐ロジ周り、狭さに疑問 徳島500円券が水被りおじゃん
西陣織(飯田G)に洋食店あり、休憩活用
今回の万博の真打ちは「石黒教授」で決まりかな
ふらり万博2回め
特に目的なくふらつき、音楽フェス的なDJパフォーマンスにて流れてきた「My Revolution」の歌詞にほろりと来たのがハイライト music.apple.com/jp/album/my-...
夢洲の予約を後日に延期変更
天気予報良くなく、予約も全落選で、5月病モード否めず
所属長懇談でせっかくなので吐露させてもらったが、あまり晴れた感なく しばし沈みますか 信頼なき人生くそったれ
新聞社支局襲撃事件を忘れずにメディアの役割を考え続ける企画にて、元府知事が登場しただけで「購読やめる」というご高齢者の貴重なご意見複数
あのですね、民主主義とは、異論も正論も別なく、論点に資するか公平に検討し、合意形成を惜しまず目指さしていく、不断の、耐久力を要する務めなんですよ
どうかその矜持を、異質な他者を包摂する度量を、諸先輩方が堅持していただかないと、次代を憂えるも何もないですよ
現役世代や今のメディアが注目する考えを取材で聴くのは、当然すぎる務めなのに 理解及ばないのかぁ はぁー
関西打楽器協のフェスで、活力ある演奏とクリニックでの学びを得たけれど、心身は常にcalmに戻らんと欲す
数少ない知人にも会うけれど、対人がやはりしんどいんだなあ 人の奏でた音楽には、属人性を感じず魅せられるのにな
classical.music.apple.com/jp/album/156...
さまざまな世の出来事に、即物的に反応せずまず静観することの善が、それを実践する人らのうちにだけ高まっているようにみえる
あるいは話題のピークをはずした時機に、練った論考を披歴することこそ、人の知性の砦となる
(生成推論AIに尋ねるのもすごく速くていいのだけれどもね XのGrok 3は優秀なパートナーになりつつある)
万博行った日にマルシルに扮した方に2度会場内で遭遇して、万博でのコスチュームプレーってどうなっているのかな――と気にはなったものの、即時反応はせず
次行くときには増えたりするのだろうか
大阪関連だが、5月18日に日本橋ストリートフェスタ この日は恒例でコスプレが大集合する www.nippombashi.jp/festa/
キリマはわざわざ近くの自販機へ買いに行くことがあるほどお気に入り 潮流来てるかな
shokuhin.net/118604/2025/...
演奏会のアンケート集計を見る 自分の楽器に言及されているお言葉、ありがたく
吹奏楽は復帰のきっかけをくれた、感謝しつつフェードアウトを企図 管弦楽で演奏できる一般楽団のめぐりあわせがあればなぁ
母校吹奏楽部の、広く学校部活動の環境に敷衍できるが、楽器環境は公的インフラ老朽化問題そのまんまの様相、つらい
一般(アマチュアという言葉は好きではないが)の活動も非常に至難であることを思い知る
億り人になってメセナ活動として振る舞えるようにしか活路がないような 気長に資産ウンヨー
すぐに写真を送るための投稿
某PAC。細川俊夫さんの「ホルン協奏曲 開花の時」を、ドールさんで再び聴いたのは、この日は私くらいだろう(十数年前のベルリンフィル来日で)
日曜は残念ながら「フラブラおじさん」定期会員が複数名いることが蓋然性高くなったため、来季は土曜基本にしよう
せっかくX避難所を確保しているので、へんぴトリミングで先日の中の人特別披露
(こうやって自分が写ったものたくさん確認するの、もうないかもな)
(シンバルの開き方がけっこう斜め方向、、録音で捉えられてない点も反省に、もっと前面への展開にとどめる動作の研究しがいあり)
某聖地の喫茶店前にて。焙煎コーヒー、喫茶店なので当然だがおいしかった。2杯、豆違いでいただきました
演奏会を終えて、特に書き留めずに平日の休日
やり切った気持ちと、そう思い込みたい意思からか、あれだけ集中してやったはずの時間が実存していないような、ほんとうに自分は参画していたのか、まるでおぼろげな感覚である不可思議
もっと技術を確立、高めないと(指導を仰がないと)、音楽ってできないんだろうな
これから何をするか、少し考える時間がやっとあったが、
いそぎつつも徐々にしか取りかかれないだろう また、音楽を聴き入る時間に戻ろう
ジャーナリストの行動として見た場合、より弱い当事者の権利侵害になっていないか― 報道倫理の警鐘を鳴らし、映画評価とバランス良く書かれている
私は見ないかな
(喫茶店で紙面で読む。「私の履歴書」は尾身氏であることに今気づく)
伊藤詩織監督「ブラック・ボックス・ダイアリーズ」に映るもの 闘う当事者と報道倫理の相克 - 日本経済新聞
www.nikkei.com/article/DGXZ...
吹奏楽の演奏会に向けてのラスト練習日 「集中しかられ」は避けられ、全体のまとまりを得て終える
(ゴール設定が控えめになってしまったのは)自分の至らなさがすべてだが、なんとかここまで
本番やりきり、共演者と培えた信頼を糧に、自己の次を追求していく機会に
音楽って、難しい、でも楽しい
どんなものも救いに感じられないメンタル 音楽すらも 打開策ないなあ
(胃腸の不調が治らず5日経つ)
ティンパニ十数年ぶりの本番を、日曜なんとかやりこなす
ミス次々、反省を次の真の本番にいかさねばならないが、ひな壇から音楽をなす光景というのはかけがえのないものだな、と感慨も得られた
「ガイーヌ」クラシック楽曲ゆえか、ブラボーもいただく 素直に感謝
少し荷が降り、千秋楽まであとわずか 締めくくりへ進む
80歳目前の恩師が、汗をかき、全身全霊でアルメニの新解釈を追求するのに楽団一堂くらいついていった結果、
来週日曜本番の曲練習ができず、、、 直前練習へ
シェアハウスを経て、他者を不快にさせない生活様式の最低限水準を実践できるつもりだが、
結局ずっと1人暮らしを続け、他者の存在・来客を想定しない空間が個人の最適空間なので、
共生なんてできない個性が自分なんだという諦観を確認する毎日
他者がいると、1人何もしない、ができそうになくて 他者の存在に賭けることができない
他者との共生で、心の底から幸せの感情を得たことが、そういう巡り合わせが、ただ無い
そんな巡り会いの偶然性を自分がどうこうできそうにない
うーん、一つ本番が終わって休息にあてる日だったはずが、心が曇ってしまうようなものが目に入りがち どよーん
せっかくガンダム?の映画見に行く思いつきとかも実行したのにな センチに触れるほうが多い
世間の「フジ」に対する認識と、
会社組織であるところの、
フジテレビジョン、フジ・メディアHD、フジサンケイグループ、それぞれの経営体における今般の問題対応についての責任認識、
それら認識や理解、整理がされてないようにみえるかな
フジ・メディアHDの取締役相談役を、世間が問題の責任者として追及する・会見の出席を要求するのは当然としても、会見上では今般の問題対応には「関与していない」と説明している
ただ、フジサンケイグループ代表としての説明責任は追及されうるか、という視点が成立するのか 法的によく分からない
会見の不規則な質問を見ていると、取材側の対応も見られてるのに残念なものもある
打楽器は手元が命、だが、本番 存外に緊張で手が震え、打ち外し数カ所の痛恨 次に期す(その次の本番が重責ティンパニ、、)
打ち上げの会の店に一人で途中参入する勇気がなく、誘われたが、妙な断りで退散
ケガの功名でお世話になっている先輩に遭遇、これで良しとする
結局、私情を安心して打ち明けられる人間関係が、築けない・築けなかったことを確認す
どうしようもないが、どうしようもない他者の偶然性に、自分の自律をかわしていくしかない
x.com/cognoscenti/...
ジョン・ウィリアムズ全部な定期ってのも異な楽しさあった(普段見ない客層多い)が、ひるがえって、では「通常の」クラシックで聴き手がとらえようとしている、形式美や抽象性って、ほんとのとこなんなん? ともおもってしまったり
24.01.2025 16:21 — 👍 2 🔁 0 💬 0 📌 0アンコン県大会へ 母校の打楽器さんが7重奏、3月に弊団と共演するため、差し入れ・あいさつ・応援
顧問(同じ舞台踏んだ後輩)に感想を聞かれ、「まとまっている」と前向きに伝える 帰宅後、審査結果を確認・・・銀 出番の次も打楽器重奏で、そちらは金・ブロック進出 比較の影響はあるだろう
「まとまっている」とは音楽において基本的な水準要件であって、音楽表現のレベルにまだ入ってきていないことを含意してしまったな、と気づく
練習はズレやハーモニーの是正に注力するが、いま一度「何を表すのか」の合意・その強度がないと、音楽の訴求力が生じてこない 伝えられる機会があればいいが、何より自分に対して、省みる
今やっている、関西の放送局が震災時の取材について考える試み、勉強になる
守りたい、だから伝える 災害報道の継承とこれから
~関西民放NHK連携プロジェクト~
www.nhk.or.jp/osaka/shinsa...
30年前、震度7の地で戸建て一部損壊、二段ベッドの上で揺れに耐える
私の近縁、周りの関係者に、命に関わるつらい知らせ、深刻な被害は聞かなかった 小学生だったため聞かされなかったのかもしれない
この日が来るたびに、生かされていることを少し感じる
今はどうだろう、自分は非力だな、不甲斐ないな、背負う必要とは違うようにも思うけど、それでもな、とあまり良い思いはしない
ルミナリエの募金額が減少している報にふれて、震災の記憶に「関わらず」風化することも認めてはどうか、と思ったこともある 心のありようはもっと自由なはず
共生の志向として「定住」か「遊牧」かがあるとして、これは他者との関わり=集団への属し具合=の志向でもあるならば、
自分はやはり「遊牧」的であって、
属したはじめから「出る」ことを片隅に考え続けるし、なにか不安に遭えば・いつづけることに相互の信頼を見いだせなければ、「出る」ことの方が優先される 自分はそういう考えを持つ
特定の音楽活動に適応してみて、特定の音楽志向を共有することの、誉もあれば、偏りに陥るデメリットがある なので活動から出る「区切り」は、はじまりのうちに想定しないといけない
ここまで、誰かの絶大な信愛をもらったことがないゆえ、末永く同じなことの誉を認められない、孤独者のメモ
新聞各紙、元日1面トップは中国の拡張、能登の思い、民主主義企画…産経は夫婦別姓と子供 www.sankei.com/article/2025... @Sankei_newsより
02.01.2025 09:27 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0