ゲッチンゲンの数学の伝統はナチスによって破壊されたのだが、
これについてMacLaneの回顧録というものがあったらしい
taro-nishino.blogspot.com/2019/03/blog...
@ju2.bsky.social
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ゲッチンゲンの数学の伝統はナチスによって破壊されたのだが、
これについてMacLaneの回顧録というものがあったらしい
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こんなふうに調べるんだな、とか、こうやって情報を評価しているんだな、といった思考の筋道が見えてくると、それ自体が一つの教材のように映ってくる気がします。
そう考えると、生成AIとのやりとりは、単に答えを得るためだけの手段ではなく、調べ方や考え方にふれる機会にもなりうるという考え方もありそうです。
ChatGPTなどの生成AIでディープリサーチを実行すると、なかなか興味深い結果が得られることがあります。ただ、魅力を感じるのは結果そのものというよりも、その過程を観察できる点じゃないでしょうか。
たとえば、途中の「アクティビティ」をモニターしてみると、生成AIがWebなどの情報源をどう使い、どのように考えを組み立てているのかが垣間見えることもあります。
人が何かを調べている途中の思考の流れというのは、ふつうは他人からは見えにくいものです。しかし、生成AIにはそのプロセスが部分的に可視化される場面があって、そこに学べるものがあるように感じることもあります。
深夜に食べるお煎餅は美味しい
22.11.2024 16:07 — 👍 1 🔁 0 💬 0 📌 0