Blog更新。
2022年に『俳句界』に書かせて頂いた論考です。「人称代名詞の効果」という特集でした。
池田澄子論はまたいつか改めて書けたらいいなと思っています。
水声: いっときを我は人にて 池田澄子俳句の《私(わたくし)》 岡田一実 suisei13.blogspot.com/2025/10/blog...
@2d3n13.bsky.social
俳人・岡田一実。句集に『境界ーborderー』(2014)、『新装丁版 小鳥』(2015)、『記憶における沼とその他の在処』(2018) 、『光聴』(2021)、『醒睡』(2024) 単著に『篠原梵の百句』(2024)HAIKU,for its own sake.
Blog更新。
2022年に『俳句界』に書かせて頂いた論考です。「人称代名詞の効果」という特集でした。
池田澄子論はまたいつか改めて書けたらいいなと思っています。
水声: いっときを我は人にて 池田澄子俳句の《私(わたくし)》 岡田一実 suisei13.blogspot.com/2025/10/blog...
石川桂郎『含羞』、読了。
解説によると「俳壇に揺るぎない大家としての地位を確立」とあるが、個人的にはあまり乗れなかった。リズム感が悪く、現場への執着が足りない。内容は「善良」であり、嫌味はないが、平凡ともいえる。採れる句は少なかった。
征くとまた告げ去りし畳蟻がゐる
函館は松に雨降る霊迎
凩やまた空耳の母を前
栗飯を子が食ひ散らす散らさせよ
黒々とひとは雨具を桜桃忌
文机に落葉聖書にうす埃
墨の香の梅の香の中菓子給ふ(秋桜子邸)
藤房を妻の手に戴す平かに
#読書
暗き森うしろに燕きたる家
非常なる世に芋虫も生れあふ
水洟の句を愛弟子のために書く
濁流や梅雨の蜩こゑ止めて
かまきりも少きとしの秋祭
稲雀百舌鳥に泣く子を置き去りし
白波に西日照りこむ沖膾
海道を一碧として菊日和
月光に遊びつゞけて喉渇く
花烏賊を煮て吹き降りの夕なり
田植一家飯くふ汽車の方に向き
蕎麦干すや富士に横雲馬に影
綿虫や海道一重山幾重
彼岸くる目刺来たりし海辺より
白鳥のごときダンサー火事を見て
正月の和服つめたき襟合す
萍や夏至の太陽やゝ西に
#読書
青楠の天地はじまる鯉のぼり
凍蝶とまなざし弱き父を見る
やはらかきはこべと水と鴨帰る
麦藁を犇とくゝれば昼螢
栗よりもすでに茸の艶まさる
天龍の大瀬へちかく稲雀
明星の白む焚火にあたゝまる
阿蘇も火を噴くと新樹のきのふけふ
一晩の宿をくらげの海のうへ
初百舌鳥の啼きいでてすぐ雨の中
高くゆく雲と一日秋のセル
沈む日を止め難くして草虱
蝎のいろ走る百足を朝鏡
地虫なくさみだれ水の虚空にて
蜩のこゑ振る山に汽車停まる
寒の暮兎の箱に足ふれて
瘤多き木に立春の日影さす
交りたるあと寂莫の鵙となる
干しひろげ紅き小豆の暮るゝまで
稲牛を見おくりて又雲をみる
二月はや天に影してねこやなぎ
#読書
百合山羽公『故園』、読了。
虚子門に入り、池内たけしに指導を受け、水原秋桜子に同行して「馬酔木」に移っている。全体的に「馬酔木」らしさが強く、濃い抒情性と季重なりにより移ろいが多く見られる。おおらかな自然詠は格調高く、取り合わせは俳味が光る。「ホトトギス」の一回性の不思議を取り入れてもいて、現代の一部で流行している句風に似る。あまり知らない俳人だったが、好きな句が多かった。
#読書
人ごゑ 岡田一実 とこしへを音なす水泡楤の花 眼差して驚き秋の麒麟草 風の通へるもも色の月の蝕 川音の雨気を含みて男郎花 秋蝶のゆらゆら寄つてものの糞 いつも澄みけふことさらに水澄んで 蜻蛉追ふ蜻蛉が逸れて空高く 死なば墓生きなば畦の曼珠沙華 虫の音のふと側溝の濡れてゐて ゑみ終へし顔に当たりて稲の風 しらしらと天の垂れたり伶人草 人ごゑの絶えて山道七竈
ようやく秋めいてきましたね。
岡田一実最新12句『人ごゑ』です。
お楽しみ頂けると幸いです。
#俳句
#読書
午過ぎは風立ちやすし猫柳
中空に秋の燕となりにけり
町角に短日の靄よどみそむ
夕空やむざんに晴れて凍みわたる
かなかなや友の焚くなる湯に浸り
はるかなる人語のあとの秋の風
漠々と雲白かりき十三夜
豆枯れて影たゞしさよ十三夜
初日さす瑞牆山の岩の間ゆ
枯原にわが空腹の影ながし
町の上の浅間が青し夏祭
友に傘ささせて雨の女郎花
高空は疾き風らしも花林檎
畦塗に天くれなゐを流したる
いさかひを楽しむ子等か暑き夜も
山脈の空みどりなす春の月
植ゑし田に夕焼淡くみだれたり
すぐそこに雨脚白し田取草
牛去りて樹頭に白き梅雨の花
#読書
相馬遷子『山国』、読了。
「馬酔木」を受け継ぐ「季重なり」は上手くいくこともあれば、味わいがバラけてしまうこともある。解説に「格調」という評言があったが、「格調」を狙った句はわざとらしさが残る。むしろ巧まざるシンプルな句にすっと残る佳さがある。
雲行くや樅は深雪に潰えつゝ
草枕ランプまたゝきしぐれくる
滝壺やとはの霧湧き霧降れり
小屋に寝て深山の月を瞼にす
雁の列寒き落暉の中に入る
闇の夜の風が打ちつくるものぞ雪
渡らむと馬を控へつ蝌蚪の水
たまゆらの道べの熟睡夏の月
黙々と憩ひ黙々と汗し行く
忽ちに雑言飛ぶや冷奴
電車より首出しゆくや星祭
片空に星座ひしめく野分かな
#読書
がまくんとかえるくんと水野太貴『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社、2025)
水野太貴『会話の0.2秒を言語学する』(新潮社、2025)、読了。
「ゆる言語学ラジオ」のスピーカーの水野さんの単著。
前半の基礎的な言語学のパートも十分面白かったが、「手話」、「先天盲とジェスチャー」、「言語常識が文化によって異なる」、「ASDと定型発達」、「吃音」、「会話の流暢性と能力主義」など、文化相対主義と人間特性の多様性に話が及んでいくところが非常に興味深った。
「普通に話せないことがおかしいとは限らない。むしろ普通に話せるのは、ある意味で奇跡ではないか」という結論が素晴らしい。
#読書
〈嫉妬の完全に禁止された社会は、どんな差異も許さない息苦しい社会となる可能性が高い。平等と差異(これらはいずれも民主主義にとって重要な価値である)が交差する地点こそが嫉妬の故郷であるとすれば、民主社会はこの感情の存在を受け入れる必要がある。 だとすると、嫉妬は民主社会を破壊するというよりも、民主主義と同じ土壌から生まれた双子のようなものであり、デモクラシーに不可避の情念であると言うべきなのである。〉
刺激的な「嫉妬論」でした。
#読書
最も興味深かったのは、第4章「嫉妬・正義・コミュニズム」。嫉妬の問題が、ロールズの「正義論」の急所となっているとした点。ロールズにおいて、嫉妬の誘引は、彼の公正な社会において減少するとされていた。しかし、システムそれ自体は公正であるとされ、私の待遇の悪さは端的に私の能力の低さに起因するとされたとき、私たちはそれを受け入れられるだろうか……。
#読書
がまくんとかえるくんと山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』(光文社、2024)
山本圭『嫉妬論 民主社会に渦巻く情念を解剖する』(光文社、2024)、読了。
私たちは、なぜ嫉妬という感情を手放すことができないのか。嫉妬感情は、 政治や社会生活、とりわけ民主主義とどうかかわっているのか。嫉妬にかんする古今東西の言説を分析しながら、この「厄介な感情」を掘り下げて考察。
#読書
boothに佐々木紺句集「平面と立体」何冊か入れときましたー
booth.pm/ja/items/555...
「みなみうらわおさんぽ句会」10月11日土曜日14時〜18時。南浦和・ゆとぴやぶっくすから南浦和エリアをぶらぶら散歩しながら俳句を作り、お店に戻ったら句会。季節のジェラート付きで2000円、定員は7名、申し込み締め切りは10月8日。
🔔予告🔔
10月の三連休の初日に埼玉は南浦和・ゆとぴやぶっくすさんでやります「おさんぽ句会」。今回も近くにあるお店・LETTERさんの季節のジェラート付きです🍨
初心者大歓迎!お気軽にご参加ください〜🍁
🔽申し込み🔽
forms.gle/R6MkKWmxJ77mKS…
がまくんとかえるくんと角川『俳句』9月号
角川『俳句』9月号、「新刊サロン」にて大塚凱句集『或』について「音楽的な平熱、その抒情」と題して句集評を寄稿しております。
お手に取っていただけると、幸いです。
#読書
#読了
「俳句界」9月号に「口語の発想が光る句」というテーマで、一句鑑賞を載せてもらっています。
おおにしなおさんの
ふちゅーいゆーいゆーえい禁止のゆめみる湖
という句について書きました!
柴田白葉女『遠い橋』、読了。
蛇笏門らしく、季重なりを厭わないが、もう少し整理しても良かったのではとも。重めの情感が溢れる句風だが、具体性はやや少なめ。
寒鯉の買はるる空のうすみどり
雪はだら鶏は冠をふり歩む
買初や買ひ疲れたる女の瞳
胡麻咲いて薄雲はしる月面
仮死の間に椿おびただしく散りぬ
雷遠し氷片指を辷り落つ
鉄骨に透く夕焼にさんま買ふ
洗ひ髪ならべて月に姉妹
夕時雨をんなの眼もて藍を鑑る
#読書
がまくんとかえるくんと高田裕美『奇跡のフォント教科書が読めない子どもを知って―UDデジタル教科書体開発物語』(時事通信社、2023)
高田裕美『奇跡のフォント教科書が読めない子どもを知って―UDデジタル教科書体開発物語』(時事通信社、2023)、読了。
書体デザイナーとして歩んできた32年間の軌跡。
アナログからデジタルの過渡期を邁進して、ユニバーサルデザイン(UD)と出会い、イメージだけではなくエビデンスも加えて「読みやすさ」を追求していく……。
専門的な情報も興味深く読んだ。
本書においてもUDデジタル教科書体がフォントとして選ばれている。
#読書
大野林火は「石楠」の臼田亞浪門で、この辺は脈々とヒューマニズムを大切に詠んできたのだろう。
「客観写生」の無を内包したドライさとは違う、ウェットな叙情が秩父には合っていたのだろうと思う。
正直、期待せずに読み始めたのだが、かなり面白かった。
#読書
わが膝に独楽を放さず甘えゐぬ
枯れ極む堅きその地へ水抛る
寒林の千の病者の中に病む
#読書
目迫秩父『雪無限』、読了。
病床吟も多いが、きらりと光る面白さがある句も。大野林火門であり、叙情句は非凡。吾子俳句も優れている。
秋風の鍵穴に日がさしこめる
天瓜粉に顔そむけつつ目を細む
天瓜粉の一刷毛花のごと胸に
船虫の散る岩の上に帽子置く
夜光虫浸すかひなの下に散る
夕焼に染まる春風とぞ思ふ
抱きおろせばわれに先だち蝶を追ふ
炎天にいま逢ひそれも過去のごとし
かへりみる墓地のあたりのいまは霧に
外套のまま寝るまでを壁に寄る
寒鴉おもたき声を暮れぎはに
地上にも百日紅の影曲る
月夜雲門内昏め過ぎにけり
どこに眼をやれば寒さに耐えへ得るや
妻や笑む寒林を来し呼吸もて
#読書
レシートの文字が薄れてゆくやうに眠りにしづむしづみつづける
室温になじむバターはやはらかく負けないやうに生きるさみしさ
ほのぐらい夢に知つてるひとがゐて夢に出慣れた表情をせり
ときをりをとほる車は灯をともし殺さぬやうにわれを抜かせり
白はなべてなべて遥けし雪のなき冬野に食べる湯豆腐の湯気
#読書
がまくんとかえるくんと門脇篤史『歌集 自傾』(現代短歌社、2024)
門脇篤史『歌集 自傾』(現代短歌社、2024)、読了。
現代的な風物や繊細な情感を文語の豊かさで捉える。絶妙に「イマココ」から解放してくれて、でも「イマココ」でもある。
とても好きな歌集でした。
バスのおもてに描かれてゐる空を見つ乗客からは見えざる空を
室外機の上に置きたるコーヒーの水面は昏く小刻みに揺る
手のひらにあらはれ過ぎたフリスクをひと粒ひと粒戻してゐたり
火曜日に旧き年度は消え去りて水の曜日におとなふ四月
駆け足になつてしまつた説明の足跡あさくみづの溜まりぬ
蚊のこゑは不意に聞こえてまた消えて思ひ出したる殺意がひとつ
#読書
段々、リズム感が「乗って」くるようになる。これは「上達」ではあるのだが、観照の冴えはその分出にくくなってゆく。
「上達」とは、難しいものだなと感じた……。
#読書
梨の皮蟻ゐる土に垂らし剝く
中天の日を浸し湧く冬泉
あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく
#読書
内藤吐天『鳴海抄』、読了。
大須賀乙字選で、ホトトギスの「写生」に飽き足らず、詩情を目指したのだろう。だが、個人的には「写生」に近い自然観照の句に惹かれた。
初蕨雨細ければさみどりに
蚊帳吊りて陋巷青き夜のくだつ
海冥く断崖(きりぎし)峙(た)てり祭笛
夏の雨柘榴の花を降り隠さず
時雨るるや浪はしりきて砂に消え
足もとに芝火の迫る榻にあり
探す家の番地忘れぬ豆の花
夕影にくれなゐふかし梅筵
朝寒や花より赤き蓼の花
焚火人金色の眼におし黙り
啓蟄や光り流るる厨水
寒雪の堅きが上に焚火する
蛙田に真昼の雨がつきささる
琅玕の竹に影して蟻のぼる
#読書
ポピュリズム政党への対処の方法は「孤立化」、「非正統化」、「適応/抱きこみ」、「社会化」の4つ。単純にポピュリズム政党を批判し、排除するのみではかえってその「正当性」にお墨付きを与える結果に終わる。
ヨーロッパの「福祉排外主義」は福祉・社会保障の充実は支持しつつ、移民を福祉の濫用者として位置づける。「啓蒙主義的排外主義」は「反イスラム」で、西洋的価値、啓蒙主義の理念による普遍的価値観を称揚したうえで、イスラムが「後進的」であると批判。
特に興味深かったのは、ラテンアメリカのアルゼンチンにおける「解放」のポピュリズムなのだが、それは是非本文で読んで頂きたい。
非常に面白かった!
#読書
水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中央公論、2016)、
水島治郎『ポピュリズムとは何か 民主主義の敵か、改革の希望か』(中央公論、2016)、読了。
ポピュリズムとはデモクラシーに内在する矛盾を端的に示す。現代デモクラシーを支える「リベラル」な価値、「デモクラシー」の原理を突きつめれば突きつめるほど、それは結果として、ポピュリズムを正当化することになる――。
ポピュリズムとは伝統的な右派や左派に分類できるものではなく、むしろ「下」に属する運動。既成政党は右も左もひっくるめて「上」の存在であり、「上」のエリートたちを下から批判するのがポピュリズム、という定義に沿って論が進む。
#読書
こういう「大系」とか「全集」とか「全句集」とかの類は「長旅」だと思っている。天候に恵まれないときもあるが、全体としてはそれも「長旅」の趣だと思う。
タイパコスパの時代にあって、「長旅」でじっくり時間を浪費するのも悪くない……。飛行機で移動できるところを、徒歩で遠回りしながら、道端の花を愉しむ。贅沢なんだよね、これが……。
角川源義『ロダンの首』、再読、読了。
逆編年体なのは知らなかった。
炎昼や妻のたよりを懐に
降り出でて淡路は近し薊(あざみ)咲く
黄鶲の富士いれなゐに暁けゆけり
銀座びと生き愉(たの)しめり春の雷
灯(ひ)ともせば雨音わたる茂りかな
#読書